彼女は  を渡った

 
 兵士を志願して訓練兵団へと入るまえは、壁の中で両親とともにすくすく育ち、壁の壊される845年まで、かりそめの100年の平和を信じていた。

 とかだったらよかったのにな。

 飽和した食料事情、発達した科学、最先端の技術による電子機器、充電長持ちなスマートフォン。ばりばり現代社会で甘ったれて生きてきた私である。高校を卒業して希望の大学へ入り、親元を離れて自炊しつつ車の免許を無事にとって休みの日は遊び呆け、輝けるキャンパスライフを満喫し、就職難と言われていたが自宅から通える位置の中小企業に内定をもらい、新しい生活に胸を躍らせていた矢先のことだ。

 飲食店バイトの帰り、全身にものすごい衝撃を受けて気を失い、目が覚めるとそれなりにふかふかだったおっぱいは消失し、夏休みに行く予定だったプールのためにくびれさせた腹はぽっこりとしていた。手足は短くちまっとしているし、視界はとても低い。まぎれもなく幼女だ。しかもこのちまさは未就学児、4歳くらいだろうか。

 混乱した思考を携えウワアアアと頭の中で叫ぶしかない。周りを見渡してみても21世紀を迎えた日本にはめずらしい町並みが続いており、なんかでっかい壁でぐるりと覆われている。見える限りはこの高い壁はどこまでも続いていた。こんな観光地知らない。

 通りに出てみると道行く人はみんながみんな、質素な服に身を包んでいた。若い人も子どもも年配の人と同じく質素な服で、なかなか選ばない……というか売ってないと思う。全員してロハスか。
 染めているのかと思った彼らの髪の毛はどうやら地毛であった。顔立ちも日本人からかけ離れた容姿の人達ばかりで、ここはドイツ村的な観光地でも、果ては日本でもないのだと、自分の身に起きた不可思議な状況を受け入れざるを得なかった。


 「お嬢ちゃんひとり?お母さんは?」

 呆然と川縁に座っていた私に優しく声を掛けてくれたのは白髪まじりのおばあちゃんだった。彼女の声は自分の祖母に似ていた。途方に暮れてしょんぼりしているところにそんな安心できる声を聞いてしまったら、私の涙腺は決壊することしか選ばなかった。顔を上げて、目に入ったおばあちゃんを見て、やっぱり祖母じゃなかったとさらに大泣きした。お母さん、お父さん、おばあちゃん、なんで、ここはどこ、かえりたい。しゃくりあげながら言ってみても、閉じた目を開いてみても景色は変わらず、質素な服を着たこの人が私を優しく抱きしめてくれるだけだった。

 830年のことである。

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