小説 | ナノ


  もふにん


 私が、山の中でなまえと出会ったことはなにも不思議なことではなかった。裏裏裏山にしろ、裏裏山にしろ、学園周囲の山間部は割と天気も不安定だし、下級生がたった一人で入るには危ない場所である。いつもならば人間の姿でなまえの安全を見守るのが私の常ではあるが、今日に限っては獣姿にならざるを得なかった。
 同種と言えばいいのか、まあ向こうからすれば私は異端な存在ではあるだろうが、今日は狼の群れが裏裏裏山に出現していたのだ。このあたりの狼とは戦い、勝利をしているので私の言うことなら割と聞き入れる。狼は上位のものには手を出さない。上位の、者。物。もの。なまえを腹を空かせた狼たちになぞくれてやるものか。なまえは私のものだ。以前数回ほど言い含めたのだがまだ理解していないやつがいたようだ。きちんと躾けておかなければ。私は獣姿をとり、狼たちにくどいほど教え込んだ。
 学園の生徒には手を出さない、とくになまえには触れることも許されない。狼は私の言葉を理解したようで、他の獲物を探しに学園とは逆方向へ駆けて行った。

 さて獣姿の良い点は、足が速くなること、人間時に比べ鼻や耳がより利くこと、などなどあるのだが、悪い点はといえば理性が薄れることである。さっさと人間の姿に戻ればよかったのだが、獣姿で山を駆けるのはなかなか楽しいもので、気付けば私の鼻はなまえの匂いを捉えていた。それからはもうなまえのところに一直線。いけいけどんどん。木々をかき分けかき分け、辿りついた先には縮こまったなまえがいて、学園を出発した時に比べて籠が重そうだなあと思った。あとは、やっぱりいい匂いがすることか。
 なまえは独特の良い匂いがするから、私が人間の姿の時だってたくさんの人の中から簡単になまえを見つけられる。それが今、私は獣姿なもんだからなまえの匂いは濃く、ふくよかな甘さで満ちている。学園内でだって、こんな近くでお話したことなんかない。三年間一度もだ。なまえの所属している保健委員にはなれなかったし、ちゃんとした会話もしたことない。獣姿でよかったのではないか。なまえのこの匂いを胸いっぱい吸い込んでから離れよう。離れて、いつもみたいに遠くから見守って、必要とあらば山の危険を排除してやるんだ。
 思うままにふんふん嗅いだ後に、匂いのあまやかなところをマーキングとしてぺろりと舐めたところで、なまえが泣いていることに気付いた。やばい!怖がらせてしまったのか!な、泣くななまえ!
 なまえの顔を覆ってしまっている手を鼻で割ってこじ開け、顔を舐めて慰めてやると、なまえはおそるおそるだが狼である私とコミュニケーションを取り始めた。これが野生の狼だったらこうはいかないんだぞなまえ……!と思うも嬉しそうに抱きつかれてしまっては、ちょっと驚いたが良い匂いに包まれたので深くは言うまい。というか言えない。獣姿だと声帯が全く違うのか、人間の時のような喋り方が出来ないのである。

 狼の私を怖がらなくなったので、そのまま良い匂いの空間でとろけながらも、なまえの護衛を続けた。しかしやはり早々に人間の姿に戻ればよかったのだ。

 飼育小屋でしゃがみこんだなまえだったが、良い匂いは特に耳の裏や首のあたりからしているようで、匂いの甘さにくらっときてしまってついつい嗅いだり舐めたり。なんとなく甘い味がするような。竹谷が何か言ってきていたが、私は匂いの強い場所を探すのに忙しい。なんせなまえがこんなに近くに居ることなんてめったに……全く……ないのだからな!
 鼻をぎゅっと太ももで挟まれた時は「あ、これはやばい」と逆に理性が働いて飛びのいたが、なまえから「おいで」と言われてしまえばぷっつんするしかないよな!思う存分なまえの顔を舐めまわして、味と匂いを覚えようとしていたのだがなまえから思わぬ反撃をくらってしまう。
 まだ手も繋いでいないのに、ちゅーをされてしまった。頭に、だが、ちゅーされた、と理解するなり体がカッと熱くなって人間の姿に戻ってしまうのを感じた。手近に居た竹谷を掴んで咄嗟に逃げたが、ばれていないだろうか?あああでもいきなりあれはずるい!興奮してしまうに決まっている!赤くなった顔のまま、青い顔をしている竹谷に口止めをしておいた。

 この気の昂りを誰かに……そうだいさっくんが今日は男子一人で下級生と医務室にいるって言ってたはず!なまえと近しいいさっくんに聞いてもらおう!薬草と消毒液の匂いが充満している医務室へ走り込んで、さっと中を見渡しいさっくんだけなのを確認する。下級生はまだ来ていないようだ。そうして、なまえがめちゃくちゃ良い匂いだったこと、すごく近くで顔を見れたこと、舐めるとおいしい味がすること、ちゅーされたことなどを興奮気味に話すだけ話して、医務室を後にした。誰かに話を聞いてもらうのはいいことだ。話した分だけ落ち着ついたので、他のことを考えるだけの余裕が生まれる。そして私はその生まれた余裕で考えたことは次のようなものであった。「なまえは、いきなり姿を消してしまった狼に対してどう思っているのか」「学園の狼と思ってくれれば今後会いやすくなる」「もう一度なまえの前に姿を見せて反応を見よう」思い立った私は裏山でこっそり獣姿になってから、くのいち長屋へ忍び込んだ。

 なまえの匂いが強い方へと進み、とくになまえの匂いがする部屋の前の木立へと身を潜めた。おばちゃんのお手伝いまでにはまだ時間がある。ぴゃっとなまえの反応を見てぴゃっとおばちゃんのお手伝いに行けばいい。伏せた状態で、木漏れ日にうとうとしながらなまえを待っていると、ふわふわとなまえの匂いが鼻をくすぐった。なまえが近い!ばっと顔を上げるとなまえは待ち伏せた部屋にちょうど入っていくところで、私は他に何の匂いもしないことを確認し、木立から飛び出した。

 私に気付いたなまえは嬉しそうに駆け寄って来てくれ、私を縦横無尽に撫でくり回した。ふおおお……この、テクニシャン……!ふうふうと息を整えながらなまえを見遣る。……うん、この反応からすると特にマイナスイメージは持たれていなさそうだ。ほっとしたのもつかの間、なまえはいきなり落ち込みだしたから私はとても驚いた。大丈夫か?何があったんだ?どこか痛いのか?なまえの周りをうろうろして、体や顔をこすりつける。
 なまえの横に立った時にぎゅっと抱きつかれてしまい身動きが取れなくなった。耳元で聞こえるなまえの吐息とため息。ちょっとくすぐったくて身をよじろうかと思ったその時だった。なまえが、私の名前を呼んだのだ。ものすごくびっくりした。

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