ある年ある冬ある日の話。
劉輝は幼い頃、父の顔を知らなかった。
というのも、会ったことがなかったからだ。
それでも『父』という存在がいることは知っていた。
ーー誕生日おめでとうーー
なぜなら、その一言だけ書かれた文が劉輝の誕生日に毎年届いていたからだ。
ただ、母親から「あんたなんか産んだからあの人の愛情が薄れた」と虐げられていた劉輝は、自分の誕生日がいつなのかも知らなかったし、誕生日とは何かも理解していなかった。
ある時、劉輝は室に来ていた清苑に尋ねてみた。
外は北風が冷たく、今にも雪が舞い出しそうな白々とした空気をしていた。
清苑が訪れて来るまで火鉢もつかず、暗く冷え冷えとしていた劉輝の室。
毛布に包まって寒さをしのいでいた劉輝も、ようやく室内が明るく暖まり安心したのか小さい手でそれを差し出した。
「兄上…これは何ですか?」
清苑は弟から差し出されたものを手に取ると目を見開いた。
自分の誕生日にも父から文が送られて来ていたのだが、この幼い弟にも直筆の文を寄越していたとは。
冷淡なあの父が、まさか息子達の誕生日に文を送っているなどとは思いもしなかった。
それにしても冷たい弟の小さな手を両手で握りしめてやる。
「これは、父上から劉輝への贈り物だよ」
「…贈り物、ですか」
「劉輝の誕生日をお祝いしているんだ」
清苑が穏やかにそう伝えると劉輝は首を傾げる。
「誕生日とは何ですか?」
清苑は言葉を失った。
劉輝はすでに六歳。
誕生日とは何か?
あの母親ならば今まで息子の誕生日を祝うことなどなかったのだろうと想像はつく。
かくいう自分も母から祝われたことなど一度もなかったが。
「…誕生日は、生まれた日だよ。この文は、父上は、君が生まれて成長していることを喜んでいるんだ」
「母上は、僕をいらないと言っているのにですか…」
寂しげに俯いた劉輝を清苑は今度は体を抱きしめる。
「私も劉輝が生まれて来てくれて、とても嬉しいんだ!劉輝の誕生日はいつだ?次は一緒にお祝いしよう!」
腕の中の弟が顔を上げて平然と答えた。
「わかりません」
その表情に先程の寂しげな様子は見られなかったが、清苑はまたも弟の返事に言葉を失い、表情を固くした。
誕生日が何かも知らず、自分の生まれた日がいつなのかも知らず、ただ母親から虐げられて生きてきた幼い弟。
そしてそんな弟の誕生日をやはり知らなかった自分をとても悔やんだ。
「…これは、いつ貰ったんだ?」
清苑はしばらく無言で弟を抱きしめていたが、体を離すとようやく口を開いた。
「えっと…この前兄上と遊んでもらった次の次の日です!」
前回遊んでいた時を思い出したのか劉輝は嬉しそうにそう答えた。
(あとで確認しよう)
清苑はそう決めると劉輝から見せられた父の文を改めて見返した。
とても素っ気なく一言だけではあるが、父らしい荒々とした力強い文字。
「父上はマメだな…」
父の意外な一面に清苑は思わずそう漏らした。
それを聞いた劉輝が袖を引いた。
「あの、清苑兄上は、これをくれた人を知っているのですか?」
「……」
清苑は今日何度目ともわからない動揺を受けた。
そんな兄の様子に気付かず弟は続ける。
「あの、もし知っている人なのなら僕はありがとうと言いたいのです」
「父上を、知らないのか…?」
振り絞るように尋ねれば、劉輝は当然のように答えた。
「お名前が父というのはわかりますが、僕は顔を見たこともないのです」
清苑の誕生日に文を届けに来るのは、黒髪のあの人である。
おそらく劉輝や他の兄弟にもそうなのだろう。
「父とはどんな人ですか?女の人ですか?男の人ですか?」
清苑は今度は目眩を感じた。
いくら母親から日頃せっかんや虐待を受けていても、これほど自分の両親を知らないとは…。
「兄上の知っている人なら、きっと優しい人ですね。いつかお会いさせてくださいね!…僕は…時々会うおじちゃんは、怖いです…」
笑顔から一転、表情の陰った弟の言葉に清苑は苦笑しか出来なかった。
その怖いおじちゃんが自分達の父だと、この幼い弟が理解するのはいつになるのだろう。
室内がヒンヤリしたと思えば、外は雪がちらつき始めていた。
終わり
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