2《再会・前編》
「…ここ、だな」
教えられた住所のメモを確認すると、丸井は静かにドアを開いた。
「あの、ハルカさんにグルメ雑誌の取材で予約を入れた丸井です」
カウンターにいた男性店員に声をかける。
「いらっしゃいませ、丸井様ですね。私、マネージャーの時田と申します。今ハルカさんお呼びしますので、こちらでお待ち下さい」
名刺を交わし挨拶を済ませると、店の奥にある赤いソファーの席に案内された。
時田と名乗るマネージャーは、オレより年上のような落ち着きがあるものの、見た目は何だか幼さの残る年齢不詳な人物だった。
ここに“仁王雅治”もといハルカがいるのかと思うと、柄にもなく緊張している自分がいた。
だって、中学高校と密かに恋い焦がれていた仁王は自分と同じ男だったのだ。しかしこれから対面するハルカと名乗る仁王は女。
知り合いのはずなのに初対面になるような、そんな訳がわからない状況に膝に置いていた手が汗ばむ。
「いらっしゃいませ、お待たせしてすみません」
ハッとして声の方を向くと、黒地に赤い花の刺繍、そして金色の帯と言う和装姿の女性がいた。
銀色のロングヘアーは後ろで纏められていて、口には鮮やかな紅。
変わらないのは切れ長の目と口元のホクロ。
「あっ、ああ、あの、今日はよろしくお願いしますっ」
気付けばボーっとしていて挨拶が吃ってしまった。
懐かしいはずなのに、見惚れていた自分が情けない。
「そんな慌てんで良かよ丸井さん。よろしくお願いします」
焦るオレとは対照的に、一瞬驚いた後微笑んだ仁王は、学生時代と変わらないどこか余裕気な表情をしていた。
―――――
「丸井さん、久しぶりやね。…高校以来?」
せっかくだからとアルコールを勧められ水割りを作りながら仁王が口を開いた。
「……そう、だな。つうか、お前、こう見るとお姉さんにそっくりだな…最初、お姉さんかと思った」
学生時代に何度か会った事がある仁王のお姉さんは、髪色は茶色だったけど、切れ長の目や顔立ちはどことなく似ていた。
だから最初は、仁王本人だなんて思えなかったけど、実際会ってみて言葉を交わせば、やはり懐かしさが湧いた。
「まあそれは小さい頃からよう言われてたしの。丸井さんちももう弟達は大きいんよね」
「ああ、今2人とも高校。つうか、前みたくブン太でいいって」
丸井さんとか呼ばれるとくすぐったいと言えば仁王は笑った。
「…ブン太は、どんな雑誌作ってるん?」
「オレはグルメ雑誌。美味い店取材して、雑誌で紹介すんの。スイーツに限らず和洋中いろいろとな」
「中学ん時から変わらんね。毎日購買で何かしら買って食べてた」
「まあな。だからこの仕事すげー楽しい。美味いモノも食えるし」
仁王に視線を向けると、また楽しそうに微笑む。
仁王は、よく笑うようになった気がする。
「…仁王は、さ…」
渡された水割りを呑みながら、聞きたい事はいくつもあるのに言葉がまとまらない。
読者にわかりやすく言葉をまとめるのが仕事なのに。
「…ウチな、高校卒業してすぐ家出たんよ…とりあえず金稼がなあかんかったからこっちの仕事手伝わせてもらって…」
自分を『ウチ』と呼んだのは初めて聞いた。
学生時代は『ハル』と言っていた。あの頃は『お姉がマサミでマサ呼ばれてるから癖なんよ』と恥ずかしそうに話していた覚えがある。
「昔っから、お姉とままごとしたり人形遊びしたり…何で自分は男なんか不思議でな」
その頃を思い出したのか、オレと同じように酒を呑んでいた仁王が、一瞬哀しそうな表情をした。
「中学も高校も、本当はスカートが穿きたくて仕方なかった」
「…それなら何で、あんな王者って言われてたテニス部になんか入ったんだよ」
あれだけの生徒がいた立海の中で、部活が同じにならなければきっと知り合っていなかったと思う。
「それはもちろん、女テニのスコートが欲しかった」
仁王は悪戯っぽく笑う。
「お前なぁ…」
「まあ他にも、幸村や参謀みたく妙に美人がおったし」
ブン太なんかあまりに可愛えから最初マネージャー希望の女子かと思った、続けられた言葉にイラつきながらも呆れてしまう。
「そういえばブン太は、何でウチの店わかったん?」
「ああ。2ヶ月前ぐらいに専門時代の同級生に会って、そいつが店開いたって言うからネット見てたわけ。で、テニス部連中とか検索して、お前の名前入れた時にブログ出てきたっつう…お前相変わらずピヨピヨしてんのな」
ブログタイトルを思い出して笑えば、仁王は少し頬を赤らめた。
「…何?」
「……ブン太、格好良くなったな」
「はっ?」
仁王の言葉に今度はオレが照れる。
「いつの間にか身長もウチとそう変らんぐらいになって、顔も凛々しくなって、声も低くなって……すっかりイケメンやね」
「男前なのは昔っからだろぃ!」
「ふふ、ブンちゃんも話し方変わってないんやね」
無意識に出た語尾に2人して懐かしくなった。
「こんなイケメンなら彼女おるんやろな」
「…いねえって」
オレの返事に仁王が意外そうな顔をした。
高校までずっと仁王を好きだったのだ。
卒業して音信不通になってもすぐ忘れられるわけもなく。
仁王への恋心も憧れだったのだと思い始めてからは、専門時代に彼女がいた時期もある。それでもお互い就活や何やらとすれ違い、結局卒業する前には別れてしまった。
就職した今も、慌ただしい毎日の中恋愛なんて頭になかった。
「ホンマに?」
「マジだって!」
「中高あんなにモテモテだったんに?」
「今もモテないわけじゃないから!……それにオレ、あの頃は好きなやついた、し…」
「え?」
今ならもう、思い出話として打ち明けてもいいだろうか。
そう思い口にした言葉に仁王の表情が曇った気がした。
「そっか…。ブンちゃん好きな子おったんかあ」
「…まぁ」
「教えてくれとったら協力したんに!その子とはどうなったん?」
「や…ずっと片想いで…告白しないまま卒業したから…」
「ふーん。ブンちゃん一途だったんやね」
正直、こんな話をしている今現在、仁王への想いが胸の中で燻っている。
あの頃は男が好きなのか?と自問自答し泣いた事も何度もあった。
それでも仁王は格好良くておもしろくて、いつまでも一緒にいたいと思ったのだ。
しかし女性となった仁王に再会した今は、また違う想いが膨らんでいる。
相変わらず話していると楽しいし、あの頃あまり見る事のなかった笑顔がとても可愛らしかったり、いつの間にかオレより華奢になった姿が何だか儚くて守ってやりたいと思っている自分がいる。
告げても…いいだろうか。
「そう言う仁王はどうなんだよ?」
しかし再会し再び惹かれても、望みがなければ気まずくなるだけだ。
「…ウチも今はおらんし、高校までは好きな人おったよ」
「そっか」
仁王も中学高校と女子からの人気はすごかった。
ほとんど笑わないし喋らないし、大抵1人で行動していたからミステリアスさと一匹狼のような風貌が人気に拍車をかけていた。
そんな仁王にも好きな相手がいたのか…。
自分で尋ねておいて過去の話に何だか落ち込む。
「ウチの事はもうええから!ちなみに誰?ウチもわかる子?」
仁王が興味津々と、向かい側から隣に移動してきて座る。
「…ああ」
「同窓会で再会とかしとらんの?」
「…そいつ同窓会来てないし」
「残念やね。大人んなって美人さんになっとるかもしれんのに」
「うん、また好きになるぐらい美人になってて驚いた」
「え…?あ、偶然見かけたんか」
「そう、偶然見つけて、ビックリして、だけどとにかく会いたくなって…だからオレは、今日ここに来た」
今は好きな人もいないと言う仁王の手を掴んで目を見ながら告げてしまえば、明らかに驚いている。
「えっ?あ…ん?…ま、」
「オレ、中学高校ってずっと仁王の事が好きだった」
振り払われなかったのをいい事に抱き締める。
学生時代憧れた相手がこんなに細かったなんて。
「なっ、何言うて…だってウチ男やったし」
そしてこんなふうに動揺する仁王は見た事がない。
「そりゃ悩んだぜ。ジャッカルみたいにハゲんじゃねえかなってぐらい」
「…それ悩んでないよな?」
「冗談だって!でもあの頃お前の事好きだったのは本当…高校卒業した途端連絡取れなくなって、すごいショックだった」
「…ごめんの」
「だからお前のブログ見つけた時すげー嬉しくて、すぐ会いたくなった」
「…、ありがとな、来てくれて」
「お前は…どうなわけ?」
「………うん」
「うんじゃわかんねえんだけど」
「…ウチもずっとブン太の事好きだったんよ?でも男やったし、だからってこの事も言えんし。すごい辛くて…だから忘れようと思った」
言いながらオレの背中に腕を回す。
「でも忘れられなくて、…ちゃんと女になればええかなって思ったけど、今度は女として会うんが怖かった…」
仁王が涙声で続ける。
「だけど今日会って、あの頃よりずっとずっと男前んなったブン太見たら、やっぱり…」
「オレも。あの頃は格好良いって憧れてたけど、今は仁王がすごく綺麗で守ってやりたいって思う」
「ホンマに?」
「うん」
「ウチ男だったんよ?」
「…その男の時に惚れたからなオレ」
「っ、ぅー…ありがと、ブン太っ…!」
細い身体を抱き締めて髪を撫でれば、涙が溜まった瞳に見つめられる。
「仁王に会いに来れて本当に良かった!」
「ウチも、ずっとブン太に会いたかった」
仁王が瞳を閉じる。
オレは静かに仁王に口付けた。
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