水没し逝く抜け殻




黒百合の花言葉を知っているか、とある日ふと黒影は呟いた。外の世界なんかに興味はないし、花言葉はもっともっと興味がない。何よりこの世界には花らしい花もない。くだらない質問だね、と返せば、そうだなと彼は一言だけ言って、それきり黙りこんでしまった。そういう日の黒影はボクを殺そうとしてはくれないし、構ってもくれないので、ボクは早々に屋敷から立ち去ることにした。
踵を返して、半壊したドアへと歩みだす。黒影に別れのあいさつを告げても、彼はぴくりとも動かなかった。


朝を迎えても、ボクの頭はもやもやしていた。昨日の問いの答えを黒影から聞いていないからだ。本当に分からないことをボクに尋ねるようなヤツじゃないってことくらいわかってる。だから、知っていてわざとボクに聞いたんだろう。答えられはしなかったけど。その時の彼は心なしか寂しそうな顔だった気もする。ボクが当分黒影の弱みとして握っていられるような顔をさせた黒百合の花言葉はいったい、なんなのだろう。
ゼンは急げ、なんてどこぞの国の言葉を思い出しながら、ボクは地面を蹴った。

黒百合の別名はフリティラリアというらしい。シヴァの館にお邪魔させてもらったボクは、半壊したドアの向こうにある書庫の本を読んでいた。このボクが本を読むなんて、黒影が見たらどう思うだろう。きっとびっくりして腰を抜かすに違いない。ホコリを被っている、誰にも読まれないであろう汚れた本の頁をひたすら捲って、ボクは花言葉を探した。黒影が口にするくらいだから、さぞかし立派な花言葉なのだろう。例えばそう、憎悪だとか、呪いだとか、復讐だとか。あの冷酷な男にはそれらの言葉がよく似合っている。くくく、と小さく笑みを零しながら、ボクは3冊目となる本に手をかけた。表紙のホコリを右手で雑に払う。とがった爪のせいで傷がついたが無視した。どうせ誰にも読まれずに書庫でおやすみしてるだけの本だしね。ぱららら、とこれまた雑に頁を捲って、黒百合の花言葉を探す。古ぼけた頁は茶色い染みだらけでところどころ読めないほどに滲んでいたが、お目当ての頁は見つけることが出来た。指で説明分をなぞりながら、文章を読んでいく。声に出さないと頭に入ってこないのは仕方がない。そして約5行目まで来たところで、僕が朝から求め続けていた答えがようやく分かった。

――「呪い」。「復讐」。そして…――

なんだってぇ、と素っ頓狂な声を上げてしまった。予想した通りの答えじゃないか。ボクの勘も捨てたもんじゃないね。乱暴に本を棚の中へぐいぐい詰め込むと、僕は錆びついた窓を無理やりこじ開けて外へ飛び出した。…やっと求めていた答えを見つけたはずなのに、もやもやはまったく消えてない。まるでこの世界に浮遊する瘴気みたいな真っ黒なもやもやが頭を覆っている。なんでかはわかってる。黒影がなんでそんなものを気にしていたかがわからないからだ。黒影がずぅっと昔に人間を恨み、復讐して、その結果自分さえも呪うようになったのは知っているけれど、まだそれが続いてるのだろうか。翼を何度か羽ばたかせながら、ボクは彼の屋敷へと向かう。気になることは調べずに直接聞いちゃえばよかったのに、ボクはこういうところがちょっとだけ抜けてる。そういえば黒百合がどんな見た目なのかよく見てくるのを忘れていた。やっぱり、ちょっとだけ抜けてる。



彼の屋敷のドアは昨日のまま、崩れそうな形状を保っていた。部屋の中央にぽつりとある椅子にはいつもの通り黒影が腰かけている。部屋の電気はついていないから、ぼんやりとわかるだけだけど。
いつもと少しだけ違うのは彼の手元には見慣れない花があるというところだ。それは黒影の力を受けてか、薄赤く光を放っていた。黒影はただ黙って、その花を見つめている。ボクは普段とあまりにも違う黒影の様子に比例するように静かだった。一歩、彼に近づく。外の世界の淡い光を映し出す泡が、部屋をぼんやりと照らし始めた。黒影の顔が見えていく。まばたきをゆっくりと繰り返すその目は、黒百合を見つめ続けていた。

「花言葉、わかったよ黒影」

ぽそりと呟くと、黒影は目線だけをこちらに向けた。よかった。死んではいないみたいだ。ボクをほんとのほんとに殺してくれるまで、死んじゃ駄目だよって約束したもんね。黒影にふふふ、と微笑むと、彼は怪訝そうに眉を寄せた。

「黒影は、まだ呪いだとか、復讐だとかにしばられてるの?」

彼の前にしゃがんで小首を傾げながら聞く。黒影はしばらく黙ったあと、昨日と同じ様にそうだな、とだけ呟いた。その声はやっぱりいつもの黒影とは違っていて、ボクはもしかしたら黒影は別のひとになってしまったんじゃないかなんて錯覚を起こしかけた。黒影はまた花へ視線を戻す。薄赤く光るそれはよく見ると真っ黒で、俯いている。まるで黒影みたいだなと思った。これが黒百合なの、と彼に聞くと、ぶっきらぼうにああ、と返された。花には興味なんてないし、どうでもいいと思っていたけれど、この花はとても綺麗だと思った。血の赤を纏った黒影を見ているようで、綺麗だと。彼が世界を、人間を、自分自身を呪う気持ちも、復讐したいって思う気持ちも、全部全部ボクに向けてくれればいいのにとぼんやり思った。ボクの血で染まる黒影はとてもとても綺麗だ。多分、他の奴らを殺した血で染まったって、この花みたいにどす黒くて、綺麗じゃない。黒影にとってのトクベツはボクでありたい。だからこそ、ボクに花言葉なんて聞いてきたんでしょう? 黒影。都合のいい解釈かもしれないけど、全部が間違いじゃないって、思ったっていいでしょう?
体を伸ばして、黒百合の花びらを食んだ。黒影に殺されるのはボクだけでいい。黒影を殺すのも、ボクだけでいい。

「すきだよ、黒影」

ぴくん、と黒影の体が揺れた。口から離れた花びらがひらひらと床に落ちる。何もされないのをいいことに、ボクは黒影の頬に手を添えて、薄く開いたままの唇を食んだ。花びらのような感触ではなかったけれど、確かに、黒百合のそれと同じ匂いがした。ボクはボクの体に押しつぶされた黒百合を視界の端で捕えながら、あの書庫で見た花言葉をもう一度思い出した。

――「呪い」。「復讐」。そして…「恋」。

彼の「呪い」も、「復讐」も、「恋」の相手も、ボクだけならばいいのに。ガリ、と黒影の唇を噛んで、そこから流れた血を舐めとる。ほのかに甘い味がするのは黒百合の香りのせいかな。君自身が黒百合のようなひとだからかな。自分を見つめて、どう思ったの、黒影。ボクのこと、好きだなって、殺したいなって、思ってくれた? ちゅ、ともう一度血を舐める。やっぱり黒影には赤が似合う。普段ならこんなこと絶対考えたりなんかしないのに、今日はどっかおかしい。全部全部、黒百合の、黒影のせいだ。このまま、腹の下で潰れたぐちゃぐちゃの花みたいに、ボクも黒影も一緒にぐちゃぐちゃに混ざり合って、真っ黒になっちゃいたい。そしてこの反転世界に沈んで、誰にも気づかれないまま溶けてしまう。それはとても、幸せな「恋」の結末だ。




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終わりどころが見つからない  タイトルはhttp://nanos.jp/asesese/様よりお借りしました

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