ガゼル様は今日も美しい。
特に、試合に臨む前の凛とした横顔は格段に綺麗で、俺は見惚れてしまう。
すとんと重力に任せるように服を脱ぐ所作も、ボタンを外す指の細やかな動きも、そうしてあらわれる褐色の肌の色も。
何もかもが精緻で優雅だった。


「わたしが着替えるのがそんなに珍しいか?アイキュー」


いえ、お美しいです。そう言うと、ガゼル様は何も思うところなど無いように、そうか、とだけ言って、おもむろにかばんを開けた。
取り出したユニフォームにするっと頭を通して、ゆるやかにうねる銀の髪がぱっと現れる。
貴方はふるふると首を振る。乱れた髪を、いつもそうするように手櫛で何度かすいた。
そんなときにふせられる目の縁のまつ毛の長く麗しいこと!
そして最後にいつも、ユニフォームのだらりと垂れた袖に手をやって、それをくるりくるりと肩まで巻くのだ。
その仕草の理由を他の奴はわからないと言うし、俺にだって到底判らない。でもきっとすごく高尚な理由があるに違いないのだ。
ほら例えば、ガゼル様のすごく尊敬する選手が同じことをしていたとか。ああ、俺なんかでは考えの及ばないのも仕方が無い。
と、ブロンズ像のそれのようになめらかでしなやかな腕が覗いて、ユニフォームの白とコントラストを描いているのをうっとりと眺めている時に、ふと気が付いた。


「そのきず…どうなさったんですか?」

「え?………ああ」


左腕の、肘よりこぶしふたつ分ほどのぼったところに、ななめに、赤黒いかさぶたのすじが等間隔でよっつ。
結構に派手な痕で、そのうえ新しく見える。ああ、おいたわしや!
両袖をきっちりと捲り上げたガゼル様は、ふ、とその傷をご自分自身で撫でると、とても名状しがたいお顔で静かに笑った。
その表情を言葉で表すのは非常に難しいことと思われるが、強いて月並みに言うならばこう。
愛しいものを見つめるような優しい顔だ。いままでに、見たことの無いような。
俺は、それを見て、少しだけどきっとする。


「昨日、猫にひっかかれたんだ」


ガゼル様が言う。うってかわって、妖しげな笑顔で。とても楽しそうだ。


「猫ですか?…猫がいるんですか?」

「ときどき、夜になるとわたしの部屋にやってくる猫だよ」


どこに、と俺が聞くより早い返答。
ガゼル様にしては珍しいことにお話を続ける。(ガゼル様は普段、俺なんかとは長く会話をしない。してくださらない)


「珍しいですね」


そもそも、我々侵略者の根城であるこの施設に、猫などどうやって入り込んでくるのか。
やはり俺には思い及ばなかった。
いよいよ記録が更新されるほどガゼル様が俺相手にお話し続けていて、俺にはその方が珍しかったからかも知れない。


「どんな猫なのですか」


もっとお話していたいのと、純粋な興味で問うた。
すると、どうしてだかはわからないが、きょとん、と虚をつかれた子どものような目をされてしまわれる。
…今日は珍しいことばかりだ。
そしてガゼル様は、ちょっと考える様に口元に手をやって、ややあってから、またあの優しい顔で微笑んだ。


「寒がりな奴」

「寒がり」


どちらかというと、その猫の見た目、毛色とか目の色について聞いたつもりだったのは内緒だ。


「ああ、昨日も、とても寒かっただろう?わたしがベッドで寝ていたら、いや、もっとも目は覚めていたが、そいつが布団に潜り込んできた」

「なついているのですね」

「………さぁね」


ガゼル様は少しだけさみしそうに溜息をついた。


「そいつ、わたしがもう眠ってしまっていると思ったみたいで、わたしの懐に入ってこようとするんだ。普段は触らせもしないくせにそんなときばっかり」

「可愛いじゃあないですか」

「だから、とっ捕まえて撫で回して遊んでやった。びっくりしてたみたいだったな。みゃあみゃあ高い声で鳴くから、面白かった」

「そのときにひっかかれたのですか」

「そうだよ。奴が気持ち良さそうにしてたからわたしも調子に乗ってしまったけれど、だからちょっとやりすぎたかもしれない」


でもあれは小さい猫だから、こんなきずだって痛くもないが、と、まるでその猫を撫でるかのような手つきで再び傷跡をなぞるガゼル様。
俺は、やはり珍しいと思うのと、その優しいまなざしと、声色と、色々に、なんだか不思議な気持ちだった。
こんな貴方は初めてだった。


「その猫が可愛くて仕様がないみたいだ、ガゼル様」

「…そんなことはない」


断じて、だってあんな奴、うっとおしいだけだ、あつくるしい、ほんとに嫌な奴なんだ。
そんな言葉がするすると、でも少しためらった風に、出てくる出てくる。
俺は堪え切れなくて笑ってしまった。ああ、そんな風に睨まないで下さい。そんな、ほんのり赤い顔で。逆効果ですよ。


「またいつか、俺にも見せてくださいますか」


その猫。きっと、このうえなく可愛いに違いない。貴方がこんなにも嬉しそうなのだから。
ガゼル様は、見せるだけならいつでも、といつもの調子で言って、ロッカールームの扉を音も無く開いた。俺もその後に続く。
静かな廊下を歩いていると、不意に、ガゼル様が呟いた。


「可愛いよ」


とても、と。








グラウンドに行くと、一足先に来ていたらしいバーン様率いるプロミネンスの連中が待ちくたびれた様子でいた。(特に、バーン様はいつになくぐったりと疲れているようなご様子だった。朝っぱらなのに)
俺たちダイヤモンドダスト一行を見るなり、チーム総勢で文句の嵐である。これだから紅蓮の炎とか言っているやつらは。
ふと見ると、喧騒から一歩引いた所にいるガゼル様が、腕組みをしながらどこか遠くを見つめている。あの、優しい目で。
視線の先を追えば、そこにはただバーン様がいるだけだった。あの猫が、いるのかと思ったのに。