先日、わたしは南雲にある頼み事をした。南雲のその手で、わたしの首の頚動脈辺りをスパッとナイフで切ってくれないかと依頼したのだ。そうしたら、烈火のごとく怒られた。何がそんなに気に障ったのか知れないが、あやまってみた。許してくれそうにない。理由を問うと、もっと怒られた。死にたいのか、そんで、オレを人殺しにしてぇーのかてめえは!と喚くので、そんなつもりは毛頭ないことを告げる。わたしはただちょっと、南雲に傷つけてもらいたい気分だっただけなのだから。それを言ったら今夜から一緒に寝てくれなくなりそうだったので、わたしは口をつぐんだ。
ポケットに忍ばせたナイフも、とうとうそのままだった。



そしていま、場所はファミレス、南雲は、私の目の前で、わたしがあんなに受け取って欲しかったナイフ(わたしのポケットにあるものよりいくらか可愛らしいナイフ、つまり別物のナイフ)を手に持って、機嫌良さそうにしている。それはそうだ、彼の目の前のテーブル(わたしの目の前のテーブル)には、どうにも異次元的な世界が広がっているのだ。
ずらりとならんだ色とりどりの甘味…それはバナナと生クリームとチョコレートの混在する背の高いパフェだったり、何枚も重なった薄いクレープ生地に木苺のソースがからめてあるものだったり、直径がとんでもなくてしかも底の深いガラスコップに盛られたカラフルなアイスクリームだったり、ほかほかと湯気を立てる焼き芋に練乳のかかったスイートポテトだったりした。ちなみにこれらでさえ、この異色の世界を形作るもののうちの数例でしかない。思わず嘆息を漏らす。これだけの山を築き上げるための制作費は全て、わたしのなけなしの財産である。まあ仕方ない。これで南雲の気持ちがおさまるんだったら。目をきらきらさせている彼を、横で見ているのは決して悪くない。


「ふふっ」


妖しげな笑みを浮かべた南雲は、まず、重層のクレープを手元に引き寄せた。彼の右手のナイフがぴかっとひかった。
さぷ、さぷ、音にするならこうであろうか、南雲に持たれた銀のナイフの切っ先が、薄くもろいクレープを切り分けていく。
わたしは、自分の瞳孔が見開くのを自覚した。ごくり、つばを飲み込む。
ああっ…なんと羨ましい。自分がよもやクレープなどと云う脆弱な甘味物に嫉妬する日が来るなどと、誰が想像したことか。
ざばっと切り分けられたクレープどもは、フォークに串刺しにされ、南雲の真っ赤な舌の上に運ばれてゆく。

わたしは想像した。バラの彫刻の施されたその銀のナイフで、南雲が私の首元を掻っ切る様を。
鮮血の溢れる傷口に、南雲の花唇がそっと寄せられることを。そこを激しく吸われる感覚を。痛みを。南雲は優しいからきっと涙ぐんで、血まみれになった手で顔を覆う。

異端過ぎる妄想に、激しいめまいと恍惚を感じた。
吐き出した溜息には、気色が悪いほどの欲気が滲んだ。


「ん?どうしたんだよ」


口元の木苺のソースを舐め取りながら、南雲が不思議そうな顔してる。
わたしは銀のナイフを、切なくなるほどじいっと見つめた。


「ああ、そうか。まああれだよ、少しくらいならあんたも食べて良いぜ」


差し出されたナイフの切っ先はわたしのほうを向いている。
わたしは我慢ならなくなってしまった。