・フィリップ×エドガー




















美しいものが壊れる瞬間を見るのが好きだ。美しいから。


「お前に私の気持ちが解ってたまるか、お前になど…」


そう言ってエドガーは、空になったティーカップを丁寧に受け皿の上に戻した。
先ほど、俺の顔面に向かって薫りの高いアッサムの紅茶をぶちまけた時とは違って、酷く優雅で慎重な動きだった。それはきっと、緻密な花の模様があしらわれたそのティーカップがとても高価な一品なのだと彼は知っているからだ。俺が大事にしているカップだという事も勿論。変な所で理性の働く人だと、自らの髪から滴る紅茶を肩に感じながら苦笑した。するとそれを見たエドガーは余計に気を悪くしたのか、薄い唇をくっと噛んで、そのまま部屋を出て行ってしまう。木のドアがばたん、と乱暴に閉められる音がして、もう一度遠い所でばたん、と別のドアが閉まる音がした。
リビングに静寂が訪れる。エドガーにかけられた紅茶(そういえば、エドガーは一口も口をつけていなかった)はもともとぬるかったが更に冷えていき、段々と濡れた髪と肩が寒く感じられてきた。側にあったレースたっぷりのナプキンで顔を拭う。溜息をつく。
テーブルの上にある三段のティースタンドの上には、冷めたスコーンと、きゅうりのサンドイッチと、どこかで買ってきた複雑な形の洋菓子が手付かずのまま鎮座している。ひとりではとても食べきれない。
激昂したエドガーは何処へ行ってしまったのだろう?
俺は静かにリビングを出た。
こんこん、薄くドアが開いたその部屋をノックする。返事がないので、しばらく立ち尽くしてみたりもしたが、どうにもならないので、ドアノブを掴む。


「エドガー」


豪奢なカーテンが引かれている部屋は薄暗かった。どれも一品ものなのではと思われる家具が立ち並ぶ部屋の隅に、白いソファがある。そのソファに積んである柔らかなシルクに埋もれるようにうつぶせ横たわっている人がいる。薄い肩を震わせながら…。
俺はひざまずくように、その傍らにしゃがみこんだ。


「エドガー、悪かった、俺が悪かった」


華奢な背に散る飴細工にも似たか細い髪を指ですく。さらさらと、重力にしたがって指の間を滑り落ちていく様は、砂時計を思わせた。


「すまない、ひどいことを言って。でも、ちゃんと考えてみたら、エドガーの気持ちがよくわかった。謝るよ」


ぴくり、と反応する肩の震えが不規則に変わる。小さく、小さく、嗚咽する音がした。ふと、俺は、足元に赤いひもが落ちていることに気がついた。拾う。エドガーの髪留めだった。輪が切れていた。それを手の平でもてあそんでいると、突然に、フィリップ、とこもった声が聞こえてきた。


「本当に、解っているのか?」


盗み見るように覗かせたミントブルーの隻眼はどうしようもなく濡れていて、長い下まつげもつややかにひかり、俺はいてもたってもいられなくなった。涙の溢れる目元に指を寄せてじっと覗き込んだ。俺の見たかったものがあった。

美しいものが壊れる瞬間を見るのが好きだ。美しいものが確かに美しいものであることよりもずっと素晴らしいと思う。俺は幼稚なのだろうか。


「ああ、わかる、わかるよ。辛かったろう、でももう大丈夫だから」


だからちゃんと顔を上げてごらん。エドガーはほんのり赤らんだ鼻をすすりながら、ゆっくりと顔を上げた。青い柳眉は不安そうに垂れていた。


「紅茶…淹れ直してくれるか」


かすれた声に、俺は深々と頷いた。


「ダージリンが良い、スコーンももう一度温めて、カップは…、…」

「どうした?」

「…さっきはすまなかったな。…カップは、同じもので良い」


完全に体を起こしたエドガーはようやく落ち着いたようで、バツが悪そうに、俺の生乾きの髪を触った。自然に微笑みが漏れる。いじらしい彼をふんわりと抱きしめ、ついでにちぎれた赤いひもで髪を結い直してやった。


「さあ、戻ろう」


手を差し伸べると、ためらわない白い手が俺の手に重なる。


「…フィリップ」

「なんだ?」

「本当に、解ったのか?」


潤んでいるがもう揺れはしない碧眼が、俺を見上げている。ややふらつく肩を支えながら、俺は笑った。


「もちろん」


俺は嘘つきである。
そして美しいものが壊れる瞬間を見るのが好きだ。だからまたひどいことを言って君を怒らせることがあるかもしれないけれど、許してくれ、エドガー。