ズザァァァわたしの体は地面と摩擦し合って、哀れ数メートルはふっとんだのだろう。体の左側面を下に、乾いた土のグラウンドに容赦なく腕を擦らせたので、左腕がひりひりとした。患部を見ると、なかなかに見苦しい。幾重ものすり傷やみみずばれや切り傷がある。まるで、幼児が赤いクレヨンで思うままに描いた落書きの様に、無造作で無垢で残酷めいた痕だった。腕まくりしたユニフォームの袖がだらりと下がりかけて、余計にまぬけだ。


「うっ…」


傷口についた砂を払いながら体を起こそうとする。が、それは叶わなかった。左側頭部に強く鈍い衝撃を感じたと思ったら、もたげかけたわたしの頭蓋骨は再び地面と接触し、ゴン、嫌な音を立てたのだ。ゆっくりと、眼球だけ動かして、空を仰ぎ見た。そこにあるのは、太陽ではない。太陽の逆行を一身に浴びて、真っ赤なユニフォームを纏っている、見下ろす赤毛の人間。その愉快そうな笑み。わたしの頭蓋を押さえつけるスパイクの土臭さは生々しく、それを穿く細い脚は場違いに生白くて、美しいのだった。


「ば、ン」

「しゃべんじゃねぇーよ」


そのままこめかみになにやら圧力がかかり、頬が地面に密着する。ぐりぐりとねじりこむような踏みつけ。地面は固く乾ききっているのでひどく高反発だ。小石が頬に食い込んで痛む。わたしがわずかに呻くとバーンは、ハッ、と嘲笑らしきものを漏らした。そしてわたしを踏みつける脚を、彼の利き足であるその力強い脚を退いた。ので、一瞬、もろもろの痛みから解放された。と、思ったのもつかの間、今度はみぞおちあたりになにか爆発的な衝撃を受ける。


「―――」


驚く間もない、わたしはやはり2、3メートルは飛ぶ。今回は地面と擦りあうことはなく小さく弧を描いて飛んだ。ドス、と音を立てて着地。上手く受け身をとれず、運悪く顔から落ちたので鼻なんかがずきずき痛む。やってしまった。


「ぁ…ぐ…」


震える腕、地面で打撲したせいであまり頼りにならない腕で、正によろよろと、体を起こそうとする。頭をもたげた瞬間、ぽた、地面に落ちる赤い血。鼻から出ているのか口から出ているのか…どちらでも同じようなことだ。とめどなく滴る血の水玉をじっと見つめていると、その狭い視界に、ざ、となにかが割り込んできた。バーンのスパイクだった。わたしの目と鼻の先につま先があって、ああ、この距離からさっきみたいに蹴られたら痛いだろうな、と思う。思いながら。ゆうるりと見上げる。太陽の逆光で陰影を失った顔が、その凛凛とした表情が、やはり楽しそうに歪んで在った。


「ザマァ」


クツクツクツ、最初は抑えたような笑い声、そして終いにはアハハハハハ、と高笑い。しかし口元はさして笑っているように見えない。そんな風に笑う意味がどこにあるのか。


「なァ、もう懲りただろ」


今度は、高笑いとは違う、非常に妙なる笑みを浮かべながら逆光のバーンは言う。哀れむのに近い笑い方だ。彼の薄い唇がかすかに震えたのを、わたしは見逃さない。


「ふふ…懲りたって…なににさ」

「っだから!!」


ダン!わたしの目の前、苛立ちを多分に含んだ動きで、スパイクが地面を叩いた。


「これに懲りたら!二度とあんな冗談抜かすんじゃ……」


わたしは最後まで聞かずに、バーンの右足首を掴んだ。引っ張った。


「ぐあっ」


ぶれた呻き声。ゴン、鈍い音。バーンの忠告(らしきもの)は中断され、形勢は逆転した。仰向けに倒れたバーン。覆いかぶさるようにして彼の頭の横に手をつき、捕まえる。大きく見開いた金目に、とろりと、戦慄の色が差す。逆光なわたしの顔は、そんなに。


「…やめろ」

「なにを?」

「やめろって!」


もがきだすバーンの両手首を押さえ付け、尻の下に敷いた細い腰に体重をかけてやる。そうすればいとも簡単に組み伏せられるのだから、たやすいものだ。いよいよ髪を乱して涙を浮かべ始めたバーンが可哀相になってきたので、優しく微笑みかけてあげる。


「大丈夫だ、バーン」


何故バーンは怯えた顔をするのだろう。

心配になって顔を近付けて覗き込む。ぽたた、バーンの白い頬に突如赤い斑点が浮かび上がる。ぽた、ああなんだわたしの鼻血か。ぽたぽた、舐めて綺麗にしてやろう。


「やだ!」


バーンは泣いて暴れて嫌がる。


「どうして。大丈夫、すぐ綺麗になる」

「も、やめろよぉ…きもちわり」

「すきだよ、バーン」


ピタリ、バーンの動きが止まった。彼のわたしを見る目は死んだ鳥を観るような目、嫌悪、そんなはずはない、目の錯覚だ。さっき頭を打ったから、仕方ないかな、


「冗談は、やめろって」

「わたしは冗談等言わない」

「…っもお、いやだあ!」


ドンと私を突き飛ばして起き上がり、走り出すバーン。地面にもんどり打ったわたしは、こめかみと額になにか鉄臭い液体が一筋二筋伝うのを感じたが、気にしない、すぐに立ち上がって走り出した。バーンの腰に両腕を回してあっさりと捕らえる。あっさりと。なんだかんだ言って、バーンも本気で逃げる気などないのだなあ、可愛いなあ。よろけて俯せに倒れたバーンの背中から抱き着いて、浮き上がる肩甲骨の谷間にきすをする。バーンの背番号、10の文字に、わたしの血がぼたぼたぼたぼた。なんだか愉快だ。


「すきだよ」


ゆっくりとわたしの方を見返ったバーンも、鼻血を垂らしていた。唇を噛んで、歯をかちかち鳴らしている。そんなに緊張する必要はないのに。バーンの尖った顎を引き寄せて深く深くくちづける。絡まる舌の奥で、彼の嗚咽が聞こえた気がしたが、わたしが優しくすればすぐに泣き止むだろう。

それにしても、きすは、いつも鉄みたいな味がする。