"ハムときゅうりと太もも"




















わたしは目が覚めていたが起き上がるのもおっくうで服を着ることなんていうまでもなく、つまり怠惰な休日を過ごそうかと決意をかためたわけだ。
ふと隙間風が肩を撫でた。寒い。寝る前にはすっぽり腕の中にしまいこんでおいたはずの南雲が、少し離れた所でわたしに背を向けて眠っている。つまらないことだ。
今日は曇りらしい。部屋が薄明るく、白い。目の前の白い背中は余計に白く生っぽい。
寝室の冷たく静かな空気のなかにとろけてしまいそうにすべらかな肩のライン、肩甲骨のライン、薄く浮き上がった背骨のライン。
なにか得体の知れない食欲的欲求がわたしを支配して、思わず(本当に思わず)手を伸ばすと、驚いた、南雲が急に起き上がったのだ。
そこでわたしが寝たフリをする必要など無かったのだろうが、間と云うものがなんとなくわたしをそうさせた。
むっくりと起き上がった南雲の腰元からずるんとシーツが流れ落ちて、カバーのぐしゃぐしゃになった敷布団の上にわだかまった。
正しく一糸纏わなくなった南雲の背中から何からがなんとなくまぶしい。首もととわき腹の赤い痕。コントラスト。
窓から差し込む曇天越しの日差しなんて比じゃかった。それは寝不足の目には少し厳しい。
南雲はしばらく状況が把握できないといった風に室内をぐるぐると見回して、跳ね回っている赤毛をがしがしと掻いて、それからじっとわたしのほうを見て、そして呆れたような長い長い溜息をついた。
人を見て溜息をつくとはつくづく失敬な男である。薄く目を開きながら、わたしまで溜息をついた。
南雲は南雲だから、その溜息に気付くはずもない。わたしが起きているとも知らずに豪快にハダカで起き上がって、豪快に着替えをして、そ知らぬ顔で部屋を出て行ってしまった。
ばたん、とドアが閉められてから、すぐにわたしも起き上がった。床に捨てられていたタンクトップとズボンを急いで着る。
どうにも、一日ベッドの上でだらだらと過ごすという素晴らしい計画ははかなく散ったらしい。
ひとりでしたってしかたがないのだ。

台所に行くと、昨日と同じ黒いパーカーとカーキーの短パンを着た南雲がだるそうにシンクに向かっていた。
なにをしているのかと聞くと、視線も合わせず、おう、とだけ返ってくる。
もう一回なにをしているのかと聞くと、見りゃわかるだろうが、と鬱陶しそうに、掠れた声が返ってくる。
蛇口からざーと流れ落ちる水は、部屋に光源が少ない所為で鈍くひかっている。しなびたキュウリを洗っている南雲の手だけがぼうっと浮かび上がっていた。
南雲は至極辛そうにかがんだり背伸びしたりして包丁やまな板を取り出すと、よい手際でキュウリを輪切りにし始めた。
さくさくさく、と、鮮度のよろしくないキュウリは大人しくスライスされていく。
冷蔵庫からハムとって、あとマヨ、と南雲がこっちを見ずに言うから、わたしは助手のようにそれに従った。
わたしの手からひったくられるように奪われたまあるい薄いハムは、驚くべき速さで銀杏の葉の形になった。
マヨネーズのチューブを手に棒立ちになっているわたしを置いて、南雲は傍らの六枚切り食パンの袋からまるまる一斤取り出す。
調理台にタイルのように敷き詰めたそれらに適当にハムとキュウリを並べて、またもやひったくるようにマヨネーズを奪取。
かけすぎだというくらいに、うねうねとあぶらっぽい波線を描いていく。
南雲がそれにふたをするみたいに新たにパンを重ねて、いわゆるサンドイッチができるわけである。
切り分けたそれらを白い皿に並べながら、腹減ったんだよあんたも食えよと南雲がつぶやいた。
わたしはとても感心した心持でそれを受け取る。キミはできたやつだ。見直した。
皿を運ぶ南雲の後ろからそっと抱きつくと、あ、とそこまで驚いても無さそうな微妙な声が上がる。
ポスリ、サンドイッチがひとつ床に落ちて、パンとハムとキュウリがばらばらに散って、勢い余った南雲の脚がぐちゃりとそれを踏みつけてしまった。
黄みを帯びた白のマヨネーズが南雲の足の指に引きずられて床を汚した。あー、と心底面倒くさそうに脚を上げてみせる南雲。
くすんだ床を背景に伸びている脚、短パンから覗いた真っ白い太ももの向こうに、残念そうなハムとキュウリとパンが横たわっている。おいしそうだ。





副題:りんご汁