・なんとも超次元




















「おや、雨だ」


風介が、空を見上げながらつぶやいた。左手のひらを上に向けて、しずくを待っている。


「えーマジ?」

「ぽつりと来たぞ」

「うぇえ…」


空は、雲一面に覆われていた。ただそれは、よく見る灰色の雲ではなく、何故か一面に黄色がかった雲だった。ひかりが透けているのだろうか?夕日にはまだ早い。昼下がりの太陽のひかりが、あの雲の向こうにあるのか。
それでも、ただの"くもり"より少々視界は晴れやかなるも、まごうことなく"くもり"だった。


「早く帰らねぇと」


オレの右手にはスーパーのビニール袋(大)がひとつ。それらしく、長葱が一本、袋の口からはみ出している。瞳子姉さんに頼まれて、昼飯のためのお使いだった。ビニール袋(大)ひとつで済むようなお使いなのに、風介がついてきたがったのは暇だったからなんだろうな。手伝いしやしねぇ。


「今日のおひるごはんは何かな」


だんだんと黄色みが濃くなってゆく(ような気がする)空を見上げたまま、風介が言う。


「オムライスだってよ」

「それは良い。ではその葱はなんなのだ」

「夕飯に使うんじゃ…あっ」

「どうした」


急に驚いた声を上げたオレ、に驚いたらしい風介が足を止めた。

オレは、自分の頬に手をやった。


「あーくそ、雨…」


そう、ぽつりときたのだ。

が…


「あれ…?」

「晴矢?」


頬に感じた感触は、どこか雨のしずくのそれとは異なる感じがした。疑問符を必要とするほどには。


「なんかこれ、この雨、べたべたすんだけど」

「酸性雨かなにかか?」

「酸性雨ってべとべとすんの…?」

「どれ、見せてみろ」


ちょ、待て、と制止の声も聞かず、風介はオレの頬に手をやって、そこを凝視した。至近距離で青白いまつ毛が瞬いて、碧眼がゆるりとゆれる。怪訝そうな視線に無駄にどきどきしてしまう。
しかたねーだろ、この精緻な顔がこんな目と鼻の先で見つめてきたら、否が応にも。

ていうか、この絡み具合つーかポーズは、通行人に見られたら誤解されるんじゃあないか…。

ぐるぐる回る思考を持て余していると、あろうことか風介の顔がずずいと近づいてきた。
え、まさか、


「こっ」



ここ外だぞばか!



…と言おうとした瞬間、


「っ、」

「…ふむ」


ぺろり。

予想外の感触が、予想外の箇所に走る。
柔らかな感触でなくて、やたらに濡れた感触が。
唇でなくて、頬に。

あれ?


「え、風介、なにして」


ほっぺたを舐められたことぐらいわかっていたが、そういう話ではない。


「あまい」

「はぇ?」

「はちみつだ」


いや風介がいっつも突拍子もないことを唐突に口走るのには慣れてたはずだが、さすがに首をかしげるしかなかった。


「…何言ってんのあんた」

「いやだから、」


はちみつだねこれは。

風介はオレの頬をつつきながら断言した。オレのほっぺたの、さきほど雨粒が落ちた場所をちょいちょいつつきながら。
わぁ、イミわかんねっていうか、


「なに言ってんだ、ただの雨だろ。空から降ってきたんだぞ」

「でも、あまい」

「とうとうあんた変になっちまっ……それは元からか」

「なんと失礼な。あ、」


空から、何かがぽたりぽたりと降ってきた。
今度こそにわか雨だ。

…そう思ったのだが。


「なんだよ、これぇ…」


黄色みがかったくもり空から、糸を引いて降ってくるしずく。
それはなぜか金色でとうめいな


「はちみつ…?」

「ほら、わたしのいったとおりじゃないか」


とめどなく空から落ちてくる琥珀色の雨粒は地面へ、そして容赦なくオレ達の体へ降り注いだ。どうやら此処局所的にではなく、あたり一帯に降っている。いかにもにわか雨です、という顔をして、金色のしずくが、降りしきっている。


「………」


手の平に落ちたそれを指でもてあそぶと、とろりと糸を引いた。次第に体中がべとべとした心地に支配されて、あまくて懐かしげな匂いが鼻孔を満たしていく。
たしかにこれははちみ…いやいやいやいや


「…あ、ああありぇねぇだろぉ!!」


オレは叫んだ。


「どうだ、思い知ったか」

「なんだそのドヤ顔は!」

「しかし異常気象だな」


どんどん落ちてくるはちみつ(?)に、オレ達はなすすべもない。周りに人もいない。
混乱して取り乱したオレと、何故か冷静な風介だけが静かに空を見上げていた。

どーすんのこれ。


「晴矢」


呼ばれて、視線を空から風介に移す。と、さっきよりもけったいなドヤ顔の風介が。


「実は傘を持っているんだわたし。天気予報で雨が降ると言っていたから」

「あぁ?」

「ほらこれ」


ポケットから小さな折り畳み傘を取り出す風介。留め具を外してパッと広げると、あら素敵。黄色地に濃いピンクの水玉模様。
大柄のドット、何とも可愛らしい。


「間違えてクララのを持ってきてしまったが」


はちみつ(?)でセットの崩れた前髪を直しながら、広げた傘を差しだす風介。

たちこめる甘い匂いと、金色が乱反射するひかり。
なんだかくらくらする。


「もうどうでもいい…」


風介が傘を持ち、二人して傘下に避難。歩き出す。
すでに全身べとべとなので傘なんてあんまり意味ない気がしたが、園までもう少しあるし。どうにでもなれ。
早くシャワーを浴びて、この甘ったるいのをなんとかしてぇ。

金色の雨は降り続いている。空は、くもっているけれどあたたかく黄色く、明るい。異常気象過ぎる。


「夢みたいだ」


突然、すぐ横で風介がつぶやいた。
そらそうだ。こんなん、夢じゃなかったらなんだというんだろう。
むしろ悪夢じゃね?





「晴矢と、相合傘だなんて」





そう言った風介は、とろけるような笑みを浮かべていた。