バーンは今日も可愛い。
特に、試合に臨む前の少しだけ緊張した面持ちは普段は見られないいじらしいもので、俺は見入ってしまう。
無造作に服を脱ぎ捨てていく仕草も、ボタンを外す指の焦ったような動きも、そうしてあらわれる抜けるように白い肌も。
何もかもが愛くるしく魅惑的だった。


「オレが着替えるのがそんなに珍しいのかよ?ヒート」


いや、可愛いですよ。そう言うと、バーンはちょっと慌てたようにむっと眉をひそめ、敬語はやめろって言ったろ、とだけ言って、乱暴にかばんを開けた。
取り出したユニフォームにがばっと頭を通して、ぼさぼさとはねる赤毛が現れる。
君はぶんぶんと頭を振る。乱れた髪を、うっとうしそうに手櫛で撫で付けた。
そんなときに垣間見える首の白く細いことと言ったらない!
いつも放恣で自由奔放、人使いは荒いし怒りっぽい、豪気なバーンだけど、見た目だけならこんなにもか弱いのだ。
そのギャップについて他の奴らがバーンは口ばかりな奴だと言うこともあるし、俺だって時々手に余る。でもきっとはたから見ただけでは解らないのだ。
ほら例えば、昔体が弱くてめそめそしてばっかりだった俺がどんなにバーンに助けられたかということなど、皆知らない。ああ、俺だけが知っているという優越感!
と、白魚の手と言うに足りるような白くか細い手が、ユニフォームの襟を直しているのをうっとりと眺めている時に、ふと気が付いた。


「その痕…どうしたんだ?」

「あ?………ええっ!?」


首の、耳の真下の辺りの位置、左側面と言うべきところに、ほうき星のような形の、赤い痣がひとつ。
結構に派手な痕で、俺は凍りついた。まさか、まさかまさか!
とっさに襟を上に引っ張ってそれを隠したバーンは、あ、とか、えっと、とか、ちがう、とか言いながらうろたえると、とても形容しがたい赤面で黙り込んだ。
その真っ赤な顔を言葉で表すのは非常に難しいことだと思われるが、強いて言うならこう。
恋人と抱き合っているのを他人に見られたとでもいうような羞恥の顔だ。いままでに、見たことの有るような。
俺は、それを見て、憤怒とも悲壮感とも似た激情が湧き上がるのを感じた。


「……きっ、昨日!犬に噛まれたんだ!」


バーンが叫ぶ。どう見ても苦し紛れと言った風に。可愛そうなほどうろたえている。


「犬?…犬がいるのか?この樹海に?」

「あっ、えっ、………が…ガゼル!………の部屋に、…ときどきいる、犬…」


なぜだ、と俺が聞く必要も無くなってしまった。
バーンらしいとも言えるが、まずその名前が出てくるだなんて。(大体、最近のバーンは口を開けば奴のことばかりだ。開かなくてもだが)


「それは珍しいな」


まったく、俺の愛すべき幼馴染は、昔から嘘をつくのが下手すぎる。
やはり俺の予想通りだった。
バーンがいう犬とはつまり、緑の目で銀の毛の、そして俺達の敵チームのキャプテンをしている犬のことだろう。


「どんな犬なんだ?」


わかりきったことを、それでもどう返してくるのか気になって、よせば良いのに問うた。
すると、思ったとおり、口をぱくぱくさせて、若干涙目の金目をうろうろさせてしまわれる。
…あえて言おう、可愛い、と。
バーンは、窮鼠の様に肩をすくめ唇を噛んで、ややあってから、またあの羞恥の顔で軽く上目にこちらを見上げた。


「…ずるい奴」

「ずるい、か」


それは俺もうなずける。バーンを良いようにして、あんな酷いことをしながらさらりと奪っていった、本当にずるい奴。


「…昨日、すげえ寒かっただろ?あいつがベッドで寝てたから、や、ほんとは起きてたらしいんだけど、くっついて寝たらあったかいかと思ってさあ」

「なついているのか?」

「………わかんねーよ、んなこと」


バーンは少しだけかなしそうに溜息をついた。


「で、寝てるんなら何もしてこねえかと思って、オレも布団の中に入ってやったんだ。普段起きてるときは何してくるかわからない奴だから」

「あいつには油断するなっていつも言ってるじゃないか…!!」

「でも、さっき言ったとおりあいつ実は起きてやがって!いきなり飛び掛ってきて、な、なめたり、噛んだりっ、いろいろっ」

「そ、そ、そのときに噛まれた痕と、いうことかァっ!!」

「そ、そうだっ。ちょ、ちょっと気持ちいかったけど、あんなのやり過ぎだっての!!!」


あいつちょっとばかしオレよりでかいからって調子に乗りやがって!と、忌々しげに首の噛み痕をさするバーン。
俺は、胸中を轟々と渦巻く悲歌慷慨と、バーンのうるんだ瞳と、真っ赤な頬と、色々に、キャパシティオーバーを迎えそうだった。
やはり悪い虫は早くに始末するべきだった…!


「そ、その犬のこと実はすごく好きみたいな風じゃないか…?バーン」

「ばっ、ばばばばかっ!何言ってやがる!」


絶対無い、だってあんな奴、ただの冷血漢だ、血の通ってない、ほんとにむかつく奴なんだ。
そんな言葉がマシンガンのように、でも少し言いあぐねている風に、出てくる出て来る…!
俺は堪え切れなくて歯軋りしてしまった。ああ、そんな不思議そうな目で見るな。俺が何も知らないと思っているのか。誰のせいだと思っているのか。


「…ははは。またいつか、俺にも見せてくれるか?」


その犬。間違いなく、このうえなく食えない奴に違いないのだ。俺ですら捕まえられなかったバーンをこんなにもたぶらかしてしまうなんて!
バーンは、勝手にしろ!といつもの調子で言って、ロッカールームの扉を大きな音を立てて開いた。俺もその後に続く。
静かな廊下を歩いていると、不意に、バーンが呟いた。


「嫌いじゃない」


そこまでは、と。








グラウンドに行ってから大分時間を経た頃、珍しく遅刻で、ガゼル様率いるダイヤモンドダストの連中がやってきた。素知らぬ顔で。(俺は、ガゼル様の腕にある人為的なひっかき傷を確かに見た。昨日までは無かったのに!)
遅刻しながらも颯爽とやってくる一行を見るなり、チーム総勢で文句の嵐である。これだから凍てつく闇とか言っているやつらは!
ふと見ると、喧騒にまぎれて文句を言っているバーンが、何か遠くのものをふっと見たと思ったら、直後さっと目を逸らした。真っ赤な顔で。
視線の先を辿れば、そこにはくだんの犬が、彼にしては世にも珍しい優しげな微笑を浮かべていた。いつか保健所送りにしてやりますよ、ガゼル様!