風羽が顔を上げると、千木良の唇が目に留まった。顔全体が見えないくらい、距離が近いのだ。それを急に意識して体温が上がる。膝に座っているのだから、全身を預けているも同然だ。身動き一つ、吐息一つが千木良に伝わってしまうような距離だ。

(私は、この人に)
(――この人に、恋をするのか)

 千木良は面白半分に風羽の髪を梳き、くるくると指に絡めて遊んでいる。千木良が風羽を抱き寄せているせいで、赤くなっているだろう顔を見られないのが救いだった。

「おい、風羽」

 途端に名前で呼ばれて、速まっていた鼓動がいっそう速くなるのを感じた。

「何故名前を」
「これから夫婦になるのに、いつまでも名字呼びはおかしいやろ。お前も工って呼んでみ」
「私は遠慮します」
「遠慮せんと言ってみ」
「いえ、私は」
「言わんとちゅーするで」

 千木良は猫背になって、風羽の顔を覗き込んだ。風羽の赤い顔を見ると、にやりと笑う。風羽の顎を指先で持ち上げると、いっそう深く笑んでみせた。

「ほら、言ってみ」

 ちゅ、と軽い口づけから始まる。しかし頑なに言おうとしない風羽の唇に吸い付くと、溶かすように舌でリップラインを舐め上げた。

「、千木良先輩!」
「名前で呼べや」

 唇が触れ合うような距離でそう言われて、風羽は観念して口を開いた。けれど「た」と口を開けたその一瞬に千木良が唇を寄せて舌をねじ込んでくる。これでは、言う余裕がない。

「たく、」
「んー?」
「み」
「聞こえんかった」
「、っ」

 千木良は何度も強引に口づけてくる。酸素が足りずにくらくらする脳を宥めすかそうとしても、その度に千木良がキスをしてくるためにどんどん何も考えられなくなっていく。

 これでは名前も呼べない。けれど名前を呼ばなければキスは止まない。くちゅりと音を立てて口内を舐め回すいやらしい口付けは、どんどんエスカレートしていくばかりだ。

「……っ」

 しかし風羽は千木良の唇が離れたその一瞬に、自分の手をねじ込ませて千木良の唇を塞いだ。突然の抵抗に目を丸くする千木良を風羽は真っ直ぐに見つめる。

「たくみせんぱい」

 空気を吸う余裕すらくれなかったせいで、風羽の息は荒かった。千木良はそれを聞いてにやりと笑うと、今度は風羽の両手を掴んで、

「ご褒美や」

 そう言ってまたキスをした。罰もご褒美も変わらないなら、もう何をしたって無駄ではないか。けれど先ほどよりも少しだけ優しい口付けに風羽は素直に目を閉じる。

「俺とのキスはお気に召したか?」

 目を閉じていたことをからかうように千木良が言うので、風羽は何となくむっとして、すぐ近くにある千木良の唇に、ちゅ、と音を立ててバードキスを贈る。

「ええ、とても」