祖父との久々の再会に風羽は思わず涙を滲ませたが、それは祖父も同様だった。懐かしい家の匂いを堪能していると、千木良が呆れたような顔をしてこちらを見ていた。

「二十歳の顔して行動がガキやと、違和感あるな」
「すみません、懐かしくて思わず寛いでしまいました」
「まあええわ。おいジジイ」

 千木良は立ち上がって、台所にの入り口辺りから祖父に声をかけた。今日は祖父が腕を奮ってくれると言う。リズミカルな包丁の音が止まり、何だ、と短い返事が返ってくる。風羽は祖父に出された熱い緑茶をすすり、ほう、と幸福な溜め息を零す。

「こいつ、嫁にもらうことにしたわ」

 あまりにもあっさりと、まるで「今日の夕食は何や」と聞くのと同じくらい軽く言うものだから、風羽は一瞬自分の耳を疑った。そういうのは身を落ち着けてから、両人が親の前に並んで粛々と述べるものではないのだろうか。こんなにあっさりと、一人は茶をすすりながら、もう一人は立ったまま、そして告げられる立場の祖父は料理中という、日常生活の真っ只中で言うのはさすがに間違っているように思う。

「頑固やから口説くのに五年かかったわ。まあ、これからに比べたら短いくらいやけどな。ちゅう訳で、今から上にも報告してくるわ」

 しかも了承を得るのではなく、報告である。確かに風羽は(強引ではあったものの)千木良の求婚を受け入れた立場にあるのだから、千木良の発言は間違っていない。間違っていないはずなのだが。

(何か釈然としない)

 しかし風羽の葛藤とは真逆に、祖父は暫くの沈黙の後、「そうか」とだけ答えた。また先ほどと同じように包丁の音が台所から響いてくる。風羽の場所からは祖父の顔が見えないから、祖父が一体どんな顔をしてそう答えたのかが分からなかった。

「ま、了解もいただけたところで、一旦山に行ってくるで。夕飯までには帰ってくるわ」

 千木良は相変わらずの態度で踵を返し、だらだらと玄関に向かう。しかしふと思い立ったように風羽の元にやってくると、その頭を軽くポンと叩いた。

「ほれ、旦那の出勤を玄関まで見送らんかい」
「……御意」

 旦那、旦那、だんな。何度か頭の中で繰り返してみてもしっくり来ない。風羽は玄関に立ったまま、靴紐を結ぶ千木良のつむじをじっと見つめながら、烏天狗の婚姻とは一体どのような形式になるのだろうと首を傾げた。

 もうとにかく決まったことなのだから、風羽に出来ることは腹を括ることだけだ。そう覚悟を決めれば「旦那」という言葉も実感を伴って響いてくるはずだ。そう思うしかない。

「行ってくるわ」

 玄関を出て行く千木良の後を追うと、日が沈んだ中でもはっきりとわかる黒い翼が視界いっぱいに広がった。山までは飛んでいくつもりらしい。一瞬で烏天狗の姿に戻り空を舞った千木良の背に、風羽は声をかける。

「いってらっしゃいませ、旦那様!」

 声に出せば少しくらいは体に馴染むだろうかと思ったのだが、想像以上に大きな声になってしまった。千木良も驚いたのか、目を丸くしてこちらを振り向く。

「ほーお」

 しかしすぐにその目は意地悪く細められて、バサリと羽根を広げると風羽の元に降りてくる。地面には足を付けず、千木良は風羽の手を引き寄せた。何をするのだろうかと、いつもより高い位置にある千木良の顔を、風羽はじっと見つめた。

「行ってくるわ、奥方殿。……帰ったら可愛がったる。覚悟しとき」

 耳元で囁かれ、次の一瞬で唇を奪われる。風羽は目を閉じる時間すら与えられなかった。千木良は意地悪く笑って風羽の唇を一度舐めると、黒い羽根を広げて山に飛んでいってしまった。

「不意打ちは卑怯です」

 風羽は赤くなった頬を自覚しながら、地面に落ちた彼の羽根を拾い上げて恨めしげに呟いた。