千木良と婚約を結んでから、一度実家に帰ることになった。先代主のこともあり心配する一陽と小田島を説得したのは、予想外に千木良だった。本人曰わく「嫁入り前に親に挨拶するのは礼儀やろ」ということで、やや強引に連れ出されたのだ。風羽も人の姿に化けて(と言っても、風羽は元々人間なので精々人に見えるようにするだけだが)少しわくわくしながら月宿神社を離れた。神社までは千木良が迎えに来てくれた。

「気をつけてくださいね」
「心配せんと、どっか行かんように俺が監視しとくわ。シマセンセ」
「お前がいると別の意味で心配なんだろうが!」
「水城はうっさいわ」
「お二人とも、ご心配なく。私は必ず帰って参ります」

 出発まで一陽は散々ごねたが、小田島の説得によって「……お土産は買ってこい」に落ち着いた。むすっと頬を膨らませる一陽に、風羽はその手をぎゅっと握って「行って参ります」と告げる。一陽はその手を握り返し、渋々ながら「いってらっしゃい」と言った。小田島も笑顔で見送ってくれた。

「架牡蠣まではバスなのですね」
「お前が空飛べたら飛んでいくんやけどな」
「申し訳ない。さすがに羽根を生やす技術は習得しておりません」

 風羽は妖怪だが、烏天狗とは違う。残念ながら空を飛ぶことはできない。しかし千木良や戸神のように自由に空を飛ぶことができたら、さぞかし気持ちの良いことだろう。

「そういやお前、何で馬鹿正直にそのまま化けたん?」
「? そのまま、とは?」
「せやから、せっかく化けるんやったら二十歳のお嬢さんらしい自分に化けたらええやろ」
「……おお!」
「やっぱアホやな、お前」

 べち、と額を叩かれる。バスの時刻表を見るとバスが来るまであと数分ほどだった。架牡蠣に行くバスは利用者も本数も少なく、今も辺りには人っ子一人見当たらなかった。

「ちょっと待っとれ」

 千木良は少し屈んで風羽に額を合わせた。急に近付いてきた千木良の顔に思わず後退りしそうになったが、ぐいっと腰から抱き寄せられたせいでそれは叶わなかった。千木良は面倒くさがりだから、必要以上に語らない。そのため、彼の行動は時折心臓に悪い。

「……ま、これでええやろ」

 離れるその一瞬に、ちゅ、と軽いバードキスを落とされる。風羽は何が何だか分からずに首を傾げた。

「……おや?」

 風羽が自分の変化に気付いたと同時に、バスがやってきた。「ほら乗るで」と促されて、風羽は慌ててバスのステップに足を踏み出す。

 バスの中には、先に乗った千木良以外に誰もいなかった。千木良は日当たりの良い窓際の席を選んで座ると、その隣の座席をポンと叩いた。座れ、という意味だろう。風羽はバスの窓に映った自分の姿に驚きを隠せないまま、のろのろと千木良の隣に腰掛けた。千木良はぐいっと風羽の肩を抱き寄せて、目を丸くする風羽を窓に映った風羽自身と対面させる。窓ガラスに映った千木良は満足そうににんまりと笑っていた。

「どっからどう見ても、美男美女カップルやろ」

 風羽の髪は長く伸び、表情は大人びていた。以前より少しだけ膨らんだ胸のせいで、下着が何となく苦しい感じがする。確かにこれなら二十歳かそれくらいに見えるだろう。

「架牡蠣にはお前の知り合いも多いやろ。お前が十五のちんちくりんの姿やったら皆さん驚くで」
「おお、成る程」
「っちゅう訳で、架牡蠣滞在中はそのままでおれや」
「御意」

 鏡の中の自分を目に焼き付ける。もしうっかり千木良の術が弱まっても、姿を覚えていれば風羽自身が術をかけて姿を変えることができる。

「ほら出発するで。まじまじと自分見とらんで、前向けや」
「む、そうですね」

 バスの扉が閉まって、動き出す。それに合わせて風羽も千木良から体を離して真っ直ぐに座った。しかし肩には千木良の腕が回されたままだ。

「あの、千木良先輩」
「何や」
「肩に載せた腕を下ろしていただきたい」
「何でや」
「いえ、載せている理由もないかと」
「あるで」
「ほう、教えていただけますか?」
「所有権の主張や」

 バスが止まって、扉が開く。部活帰りだろうか、学生が一人乗り込んできた。手慣れた様子で乗車券を取った彼はふと顔を上げて、キョトンと目を丸くした。頬が赤く見えるのは気のせいだろうか。

 しかし途端に千木良が肩に回した腕に力を込めたため、風羽はまたバランス悪く千木良の胸に頬を寄せる羽目になった。慣れない長い髪に千木良の指が絡み、頭を撫でるように髪を梳かれる。何だかむずがゆい。

「ちんちくりんのままの方が面倒やなかったかもな……」

 風羽は溜め息を吐く千木良の真意が掴めず、首を傾げるだけだ。千木良のせいで前を向けない風羽は、学生が慌てて千木良と風羽の二人から目を逸らしたことに気付けなかった。