捜索とは言え、広瀬はその少女の顔も名前も知らない。そのことに気付いたのは山に入って千木良と別れた直後のことだった。彼は「山におる烏天狗に当たってみるわ。すぐ見つかるやろ」と、烏天狗の姿に戻って山の天辺目指して飛んでいってしまった。広瀬は一人きりで架牡蠣の山を登る。

「大体、こんな険しい山なんて、聞いてない……!」

 ぜいぜいと肩で息をした。こちとら都会のもやしっ子である。こんな獣道だらけの山など一度も登ったことなどない。額に浮かぶ汗を乱暴にスポーツタオルで拭い、ざくざくと雑草を踏んで突き進んで行く。

 小さな運動靴を見つけたのは、そのすぐ後のことだった。拾い上げると、かかとの部分に小さく幼い文字で「ふう」と書かれていた。そしてその先にはけして低くはない崖がある。

「……落ちたと考えるのが妥当かな……」

 子供の身長ならばここから落ちて足を捻って動けなくなったと想像できる。広瀬の身長ならば、上手く行けば怪我なく降りられるだろう。

 広瀬は担いでいたスポーツバッグを下ろすと、チャックが閉まっていることを確認してからそれを崖の下へ落とした。ボス、という鈍い音とともにバッグは地面へ到着する。広瀬はその位置を確認してからゆっくりと崖を下りていった。スポーツバッグは足を踏み外したときの為のクッションだ。ここで広瀬も落ちて怪我をしてしまえば本末転倒である。

「よっ、と」

 しかし足を踏み外すこともなく、広瀬は崖下へと着地した。土で汚れたバッグを再び背負い、ようやく名前を知った少女を呼ぶ。

「おーい、ふうちゃーん!」

 がさがさと茂みが動く。

「誰か、いるのですか」

 声がした。どうやら当たったらしい。その声のする方へ行くと、背の高い雑草の隙間から子供の手が覗いた。ぶんぶんと横に振っている。

「ちょっと待ってて、今行くから」

 茂みを掻き分けると、そこには短い髪の、まさしく十歳に満たないくらいの少女が、切り株の上にちょこんと座っていた。片足の靴がなくなっている。どうやら彼女が「ふう」で間違いないらしい。

「靴が落ちてたから、崖の下にいるんじゃないかと思ってね。足、くじいたの?」
「はい」
「とりあえず固定しようか。冷やせないけど、何もしないより良いから」

 広瀬は鞄の中から新しいスポーツタオルを取り出し、挫いたらしい足に巻きつけて固定する。痛みがあったのかわずかに顔をしかめたが、それを訴えたり、泣いたりすることはなかった。幼く見えるが、しっかりしているらしい。

「ありがとうございます。たすかりました」
「どういたしまして。少し休んだら、山を下りよう。道は分かる?」
「分かります」
「良かった。俺は道に詳しくないから、助かったよ」
「助けに来てくれたのですか?」
「うーん、まあね」

 肯定すると恩着せがましい気がして、曖昧に誤魔化す。ふうという少女は口調もしっかりしており、二日も山で遭難していたとは思えない。