架牡蠣の町に行ったのは高校一年の夏、一週間の間だけだ。というのも、その年の梅雨から夏にかけてあった色々のために、世話になった千木良と十九波に一度架牡蠣へ行くよう助言されたためだった。架牡蠣の土地は千木良達烏天狗の本拠地、ねぐらであり、霊験あらたかな場所だと言う。「新米のあんたの修行には丁度良いだろ」というのは十九波の談だ。

「待ち合わせはこの辺りのはずなんだけど」

 その際、千木良の知り合いに宿泊場所に提供してもらうことになったのだが、待ち合わせ場所のバス停には誰の姿もない。何しろ架牡蠣へ来るのは初めてなのだ。地理には詳しくないし、迎えに来るらしい人を完全に当てにしていたから、下調べも皆無だ。バス停からどちらへ行けばいいのかすら分からない。

「困ったな……。どうしよう」

 じりじりと焼ける太陽のせいで、広瀬はもう汗だくだった。手持ちのスポーツタオルで乱暴に首回りの汗を拭う。

 バサ、という羽ばたきの音と共に広瀬の周りに影が広がった。広瀬の頭上に何かが滞空している。ゆっくりと恐る恐る見上げると、にやにやと底意地の悪い、嫌な笑みの烏天狗がそこにいた。遅刻だと責める気にもなれず、その烏天狗に気付かれないよう広瀬はそっと溜め息をついた。

「ようこそいらっしゃった。我ら烏天狗は貴下の来訪を歓迎する」

 堅苦しい口調で喋る彼を見て、広瀬は苦笑した。どう見てもわざとだ。反応してはいけない。

「とりあえず下りてきてもらえませんか? これだと俺、空に向かって独り言言ってるおかしな奴ですよ」
「誰も見とらんから平気やろ。架牡蠣の山側のバスに乗る奴なんか殆どおらんわ」
「というか、何でそっちで迎えに来るんですか……。人間に化けてきて下さいよ」
「めんどい。そもそも何でお前にそんなサービスせなあかんのや。五文字で述べてみい」
「短ッ!」

 広瀬を架牡蠣へ誘った張本人、否、張本烏天狗である千木良はゆるやかに下降し、広瀬のすぐそばに舞い降りた。それと同時に背中の翼は消え、千木良の服装が和服からビビッドなオレンジのツナギに変化する。何度見ても鮮やかな変化だ。瞬き一つの間に人間の千木良が現れる。

「結局化けるんですね……」
「あ? 何や問題あるんか?」
「いえ全く。ところでその、千木良先輩のお知り合いというのはどこに住んでるんですか?」
「あー、そいつの家、案内する前に一旦山に行くで。ちょっと面倒事が起きとんねん」
「面倒事?」

 広瀬が首を傾げると、千木良は肩をすくめて笑った。

「その知り合いの、今八歳の孫娘が、つい二日前から山で遭難しとって行方不明でな」
「めちゃくちゃやばいじゃないですかそれ!!」
「一日帰って来んことはようあるらしいんやけどな」
「いやその歳で一日も山籠もりというのも大分やばい気が……」
「ちゅー訳で、お前も探すの手伝い。今町の人間総出で探しとるとこなんや」

 広瀬の架牡蠣滞在初日は、遭難中の九歳の少女の捜索から開始した。