風羽には、父親も母親もいない。兄弟姉妹もいない。風羽の家族はたった一人、祖父だけだ。それが当たり前で、普通だった。風羽は厳しく優しい祖父が大好きだったし、何も不満はなかった。特に祖父が作る大根の煮物がとびきり大好きだった。

 風羽が今の生活に違和を感じたのはつい先週、幼稚園に入って初めての運動会の日だった。その日祖父は午前中にどうしても外せない用事があったらしく、午後から必ず来ると言ってから風羽を幼稚園の送迎バスに乗せた。手の中にはいつもより豪華でおおきな弁当箱を渡されて、風羽はバスの中でそれを握り締めて離さなかった。

 午前中のかけっこと障害物競争で風羽は一番だった。胸に「一等」と書かれたリボン状シールを貼られて、風羽はとびきりご機嫌だ。

「ふうちゃん、今日おうちのひと、おひるまでこないんだよね? いっしょにごはん食べない?」
「たべます」
「おかあさんがね、サンドイッチつくってくれたの。おいしいよ!」

 その友達のバスケットにはハムとゆで卵が挟まったサンドイッチに、骨つきのフライドチキンに、ポテトサラダ、卵焼き、甘いシラップ漬けのみかんに、うさぎのかたちのりんごが所狭しと詰められていた。

「ふうちゃんもどうぞ!」
「おべんとうがありますから」
「……なんか茶色いね」
「おじいさんはにものがとくいなのです」
「おじいちゃんがごはんつくるの? なんで?」
「コラ、変なこと聞かないの! ふうちゃん、デザートがないみたいだから、りんごさんあげるわね。りんごさん好き?」
「すきです」

 おじいさんがごはんを作るのは「変なこと」らしい。風羽にとってそれはもうずっと当たり前のことだったから、何だか妙な気分だった。

「ねえねえふうちゃん、ふうちゃんのおとうさんとおかあさん、こないの?」
「……きません」
「じゃあきっと、まいごなんだね。はやく探しにいかなくちゃ」
「まいご?」
「きっとようちえんまでの道がわからないんだよ。ふうちゃんがおしえてあげなくちゃ」
「……そうかもしれません」

 だから風羽は、探しに行くことにした。祖父のたんすの奥に仕舞われた一枚の写真をこっそりと持ち出して、幼稚園の連絡帳に挟む。折れ曲がったりしないように、大切に大切にリュックの奥に入れた。何枚かの小銭が詰められたカエルのがまぐちと、喉が乾いたときのための水筒も一緒に詰め込む。最後におじいさんを心配させないように、一枚の手紙を書いて机の上に置いた。

「それでは、行ってきます」

 それは小さな風羽の、はじめての冒険だった。目的は父親と母親の発見。場所は不明。幼い手に小銭を握って、風羽は初めて一人でバスに乗り込んだ。