視界が戻ってきて、顔を上げる。目の前には懐かしい月蛙寮があった。広瀬はぼんやりとする頭を抱えて辺りを見渡す。

「あれ……?」

 気付けばあの女の子の姿は無かった。どこへ行ってしまったのだろう。呼びかけようにも、彼女の名前を広瀬は知らなかった。彼女も教えてはくれなかった。

「ねえ、いないの?」

 おおい、と呼びかけても、答えはない。不思議な女の子だった。結局あの子は知り合いだったのだろうか。もう一度記憶を探ってみても、思い出せない。

「……ねえ! いないの? えっと」

 呼びかける名前を知らないということが、こんなにも悔しくて歯痒くてはたまらないということを広瀬は初めて知った。広瀬は、彼女を探さなければいけなかったのだ。彼女のことを思い出さなければならなかったのに。

 口を開いて、呼ぶための名前を探した。けれど見つからない。見つけなければいけない。見つけなければ、それは彼女と自分に対する大きな裏切りだった。

(……何故?)

「ずっと好きだって、言ったのに」

 広瀬は約束を守れなかった。