「あ」

 バラバラとペンケースとその中身が机の下に落ちていって、それを見ながら、相変わらず運が悪い、と思う。しかし見回りをしていた試験官がすぐに拾い上げてくれたので、軽く会釈して礼を言った。大学の大教室での試験には見回りの人間がたくさんいるから、中学受験のときのような惨事にはならなかった。一安心して、再度問題に向かい合う。

 ふと、一本の鉛筆が目に止まった。広瀬は何気なくそれをつまみ上げて、自分の目の高さまで持ってくる。随分短くなってしまった。当たり前だ。縁起を担ぐように、ここぞというときには必ず使っていたのだから。

(センターのときは本当に役に立ったな……。この鉛筆だけは、絶対床に落ちたりしなかった)

 この鉛筆は広瀬が中学受験のとき、筆記用具を床に転がして困っていたところに、近くの席の女の子が貸してくれたものだ。試験のあとに返そうとしたら、彼女はにこ、と笑ってこう言った。「差し上げます。有名な神社のもので、御利益がありますよ」。

 どうして同級生に敬語を使うのかとか、びっくりするくらい可愛らしい容貌とか、広瀬にくれたものと同じ鉛筆を配り歩いていたりとか、突っ込みどころが多すぎて何を言えばいいのか分からなくて、まともにお礼も言うことができなかった。結局高校で彼女に再会することはなく、あの出来事は広瀬にとって美しい思い出の一つとして今も胸に残っている。

 高校時代は、いつもあの女の子の姿を探していた。もしかしたら受験に落ちたのかもしれないし、別の高校に受かってそちらに行ったのかもしれない。会える保証はどこにもなかった。けれど、階段を登るとき、廊下を歩くとき、校門に向かうとき、無意識にあの女の子を探している自分がいた。

 今になって思うと、あれは一目惚れだったのだと思う。再会なんて馬鹿げたことを夢見てしまうほどには。

(なんて、思い出に浸っている場合じゃない)

 広瀬は貰ったときよりずっと短くなってしまった鉛筆を握る。試験時間は残り少なくなってきたけれど、この鉛筆を使って、合格できないはずがない。