「ま、殆ど予想通りの結末だねえ」
「数年越しの計画やで。失敗したら笑えんわ」
「つーか十九波さんも千木良も、そういうこと考えてたなら俺にも伝えてよ……」

 烏天狗は肩をすくめ、隣の化け猫は呆れたようにため息を吐く。その場にいた事情を知る人間は、すっかり騙された、と肩を落とした。

「別に嘘は言うてないわ」
「それに、上手く行くか確定してたわけじゃないしね」
「そうだとしても!」
「あーハイハイ。過ぎたことぐちぐち言うなやミサキちゃん。老けるで」
「お前には言われたくないよ……」

 俺よりずっと年上のくせに、と人間はこっそり呟く。

「しかし、広瀬の事情を理解した途端、すぐに妖怪になることを了解するなんて、菅野は本当に情熱的だな」
「血筋やろ。菅野の家の女はほんま、根性だけは据わっとる」
「何だい、愛弟子を取られて寂しいのかい?」
「アホ。せいせいするわ」
「良いコンビにはなりそうだけどねえ。お互いの欠点を補い合えるような、理想の二人じゃないか」
「片方が土地の穢れを集約し、もう片方がその穢れを浄化する。現状一番理想の形やろ」
「月宿の新しい二人の主、か。まあ、菅野が高校を卒業するまでは、俺達がサポートしてやらないとな」

 まだ未熟な二人の主を見守っていよう。三人は穏やかに微笑んだ。






 風羽が月宿の穢れを浄化できるようになってから、広瀬の体調は随分回復した。ずっと臥せっていた小田島も徐々に元気を取り戻し、月宿池には蓮の花が少しずつ咲き始めた。池一面に咲いていたという昔の姿に戻るにはまだまだ時間はかかるだろうが、それでも一歩ずつ前進しているという実感がある。

 今、風羽は月宿高校に通いながら、主としての責務を全うしている。世代交代とは言われたものの、お互いの持つ能力の違いから結局二人で主を続けることになった。放課後は定期的に、主の後見役である千木良、十九波、米原の三人と連れだって月宿神社へ向かい、守護者である小田島や一陽と話し合いをすることが決まっている。その前に少し話ができないかと、昼休み、広瀬は風羽を資料室に呼んだ。ここなら校舎から離れているからなかなか人目につかない。

「聞きたいことがあったんだ」
「はい、何でしょう?」
「何で君の記憶、消えなかったの?」
「七年前の話でしょうか?」
「それもだけど、今回のも。俺、千木良先輩から記憶を除く術じゃなくて、何か別の術を教わったのかと不安に思って」
「ふむ、先日のことは師匠にいただいたお守りのおかげのようです」

 風羽が数年前から千木良に師事し、自分の持つ浄化体質の向上に努めていたということは既に聞いていた。風羽は制服のポケットに手を突っ込むと、短冊状の一枚の札のようなものを取りだした。

「架牡蠣の失せ物探しの札です」
「失せ物探しって……。そういうことか」

 広瀬の術が本当に「記憶を消す」術だったと仮定すると、風羽の記憶を「失せ物」と判断した札が、彼女の記憶を探したと推察できる。しかし、これはあまりにも都合が良すぎる。まるで広瀬の行動を予測していたかのような「お守り」だ。

「……改めて確認したいんだけど、君は俺が事情を説明する前から俺のことを知ってたの?」
「いえ、はっきりとは告げられておりませんでした。ただ、広瀬先生がとてもたいへんなことになっており、現状打破のためには私の浄化体質が役に立つかもしれない、ということは教わっておりました」
「……つまり、千木良先輩と十九波さんは、君を月宿の主にするために、ここに送り込んだってこと?」

 そう考えれば辻褄が合う。七年前の記憶が残っていたのは、そもそも十九波が消さなかったからだ。そして月宿の土地と広瀬の事情を知る十九波は風羽の広瀬に対する恋心に目を付け、千木良は彼女の浄化体質を育てて次の月宿の主にする為に弟子にした。失せ物探しの札を風羽に持たせたのは、万が一広瀬が風羽の記憶を消そうとしたときのための予防策だ。風羽が記憶を無くしてしまったら、月宿を浄化できる人物がいなくなってしまう。それに修行までして育てたという浄化能力も無用の長物になる。面倒くさがりのくせにどんなときも下準備を怠らない千木良が、そんな穴を見過ごすはずがない。

 結局は掌の上で転がされていただけなのか、とため息を吐くと、風羽はむっつりとした表情で大きく首を振った。

「送り込んだという言い方には語弊があります。確かに提案してくださったのは十九波さんでしたが、いつも考える時間をくださいましたし、師匠に師事したのも、強制されたのではなく、私があなたの力になりたいと思ったからこそです。私は私の意思で月宿にやってきたのです」

 心外だ、とばかりに風羽が頬を膨らませる。

「え、あ、いや。ごめん。言い方が悪かった」

 あからさまに不機嫌な顔をされたのは初めてで、焦ってご機嫌とりをしようとしても彼女は顔を逸らしてしまう。広瀬が顔を覗き込もうとしても彼女はプイと顔をそむけて、顔を合わせてくれない。

「疑ってごめん」
「あなたは何度伝えても、私の恋心を疑われるのですね。七年も温めてきた想いをようやく受け入れてもらえたかと思っていたら、さっそく疑われるなど、さすがの私も納得がいきません」
「いや、もう本当にすみませんでした。疑ってないよ。ちょっと俺が千木良先輩とか十九波さんを信用してなかっただけです。機嫌直して。ね?」
「さて、どう致しましょう」

 しかしその声が笑っているのに気付いて、広瀬は彼女がほんの少し拗ねてみせただけなのだと知る。全く、こんなに年下の女の子に振り回されて、年上の威厳なんてまるで無くなってしまった。けれど同時にこれだけくだけた態度で接してくれることが、たまらなく嬉しい自分もいる。随分絆されたものだと呆れてしまう。

「こら、大人をからかわないの」
「ふふ、申し訳ありません」
「全く」
「そうです、広瀬先生。広瀬先生に聞きたいことがあったのです」
「何?」
「広瀬先生も昔、十九波さんに誘われて浄化活動をしていたのですよね?」
「うん。そうだよ」
「その時はご友人と一緒に浄化活動をなさっていたとか」
「友人……まあ、そうだね」

 法月、空閑、葉村。彼らのことを思い出すとき、胸に浮かびあがるのは懐かしさと別れの瞬間の苦さだ。仕方のないことだとは思いつつ、慣れるようなものでもない。

「どのような方々だったのですか?」
「え?」

 きらきらと目を輝かせながら、風羽は純粋な好奇心から昔の話をねだろうとする。さてどうしたものか。彼らの話が出来るほど、自分はあの出来事を「思い出」にできているだろうか。

「そう、だね……」

 別れのときの苦さを伝えるのはまだ難しい。けれど楽しかったときの記憶は今でも胸に残っている。彼らと過ごした数か月は毎日トラブル続きで騒がしくて、まあ、楽しかったと言っても過言ではないだろう。

「浄化活動をしてたのは、全部で三人だったよ。一人は、部活の先輩で……。すごいトラブルメーカーだった。興味のあるいことには片っ端から顔突っ込んで放送のネタにしてた。そうやって人のこと振り回すくせに、大変な状況のときは一番頼りになったんだ。あと、猫が大好きでしょっちゅう猫に囲まれてた」
「羨ましいです」
「空閑くんみたいなこと言うね」
「くがくん?」
「空閑くんも浄化活動のメンバーで、猫大好きでね。その割に猫には嫌われてたんだけど。俺と同じクラスで、女の子が苦手だった。エコ部っていう、土地の清掃をする部活の部長で、いつも誰かのために何かをしたいって言えるような、純粋な人だったよ」
「なんと、エコ部の部長さんだったのですか」
「そう。君もエコ部、やってるんだよね?」
「はい。皆さん立派な心がけの方ばかりです」
「あとは、葉村くん」
「はむらくん」
「そう。俺と一番ウマが合わなくて、最初の頃は顔を合わせるたび喧嘩してた。彼、口は悪いしいつも喧嘩腰だし、俺の言うことにもやることにもいちいちけちつけて来るし、空気読まないし」
「ふふ」
「ん? 何?」
「一番言葉が辛辣です。ですが、それだけ仲が良かったようにも感じます」
「どうかな……。一度派手にぶつかった後から、ちょっとずつ、普通に話すようになっていったけど。結局最後まで良く喧嘩してた気がする」
「喧嘩するほど仲が良いという奴ですね」
「はは、そうだったら嬉しいけど」

 言葉にしてみると、それ程気分は悪くなかった。彼女が聞いてくれているからかもしれない。彼らと過ごした数か月は、本当に楽しかったのだと実感する。それを彼らに伝えなかったことと、事情を言わずに一人で全て解決しようとしたことは、風羽に命を救われた今となっては悔やまれることだった。

「お会いしてみたいです。広瀬先生のご友人達に」
「……うん、そうだね」

 一人ひとりを思い出しながら、広瀬は昔を懐かしむ。もう彼らの記憶の中に自分はいないけれど、どうか、元気で生きていてほしいと思う。そしてあの時引き留めようとしてくれたこと、引き留めたいと思うほどに「友人」でいてくれたことに、ただ感謝の気持ちを伝えたかった。

「そうだね、会いたいね」

 風羽の言葉を肯定するふりをして、広瀬はずっと口にしなかった願いをぽつりと漏らす。もし会えるなら、もし会えたなら、今の自分は彼らとどんな言葉を交わすのだろう。