きつく閉じ込めるように抱き締めると、彼女はしばらく体を固くしていた。かつての七歳の少女のものではない身体は、広瀬の腕の中には収まらない。すらりと伸びた腕や足や、ぐっと大人びた表情、そして何より真っ直ぐすぎる彼女の言葉が、広瀬の心を奥底から揺さぶろうとする。

「ゆ、うき、くん」

 風羽が声を震わせる。それすら閉じ込めるように腕に力をこめたら、今度こそ風羽は口をつぐんだ。

「高校生の時の俺を責めたい」
「……何故ですか?」

 風羽が腕の中で身じろぎする。顔を見られたくなくて、彼女の肩に額を押し付けた。

「そのせいで、今、君を好きになりそうだ」
「おお! それは僥倖です」
「俺、人間で言ったら二十二だよ。女子高生に恋とか洒落にならない」
「恋に年齢は関係ありません。是非そのまま、私を好きになって下さい」

 広瀬の言葉が嬉しかったのか、風羽は宙に浮かせたままだった腕を広瀬の背に回した。抱き締め返されていっそう胸が痛くなる。

「それは駄目」
「強情です」
「君に言われたくない」
「お互い様です」
「ねえ、風羽ちゃん」

 懐かしい呼び方をすると、風羽が慌てるのが分かった。広瀬の背に回された手がじたばたと暴れて、広瀬の顔を見るために離れたがる。それを抑えて、耳元で内緒話をするように囁いた。

「俺は風羽ちゃんより大人だよ」
「承知しております!」
「それから総じて、大人はずるい」

 広瀬が腕の力を緩めると、風羽は顔を上げる。広瀬はその両目を片手で塞いだ。

「優希く、」
「全部話したのは、君の記憶を消すつもりだったからだよ」

 風羽ははっとして体を離そうとする。けれど、広瀬の方が早い。

「ごめんね」

 一瞬の間を置いて、風羽の体から力が抜ける。抱き留めてから顔を覗き込むと、すやすやと寝息を立てていた。

 月宿高校に就任する前、もし妖怪であることを知られてしまった時のためにと、千木良にこの術を教えてもらっておいて良かった。まさかそれを、一番に風羽に使う羽目になるとは思わなかったが。

「水城先輩、出て来て良いですよ」
「……気付いてたのか」
「一応、主なんで」
「良かったのか?」
「何がですか?」
「その娘の記憶を消して」
「人間にバレたらいけない、というのは、妖怪の不文律でしょう」

 あなたらしくない、と続けると、一陽は黙り込んだ。少し八つ当たりじみた言い方だったことを反省して、広瀬は一陽に笑いかける。

「彼女を寮まで連れて行きます。また土地の穢れに限界が来たら、来ます」
「限界が来ているのはお前だろう、主殿。僕が気付いていないとでも思ったのか?」

 一陽は広瀬の腕を掴む。その瞳には明らかな心配の色が浮かんでいて、広瀬は苦笑した。

「お前は呼び込み体質だ。この土地に体質を同化させて穢れを操れても、穢れそのものを浄化することはできない。禊祓で上辺の穢れを祓っても、体に溜めてきた長年の穢れは消えない。お前の体は、もう限界のはずだ。そのままでは、月蓮蛙達のように死んでしまうぞ」
「それを知っていて俺を主にしたのは、水城先輩でしょう」

 同じ妖怪になったから、情でも湧いたのだろうか。一陽が広瀬の言葉にたじろぐのを見て苦笑する。妖怪になることを受け入れたのは自分だから、一陽を責める気は毛頭無い。一陽はただ、自分の大切なものの優先順位がはっきりしているだけだ。

「先輩は俺の心配より、小田島先生の心配をして下さい。それに俺が死んでも、烏天狗に後を任せてあります。千木良先輩は、性格はアレですけど、仕事はやってくれますから大丈夫ですよ」

 一陽にとって大切なものは、この月宿と片割れの創一だ。広瀬はあくまで主のいなくなったこの土地の代理に過ぎない。かつての主は見つからず、新しい主も見つからない。だから広瀬の逃げ道はどこにも無いのだ。

 広瀬が穢れをこれ以上体に溜めれば死んでしまうなら、それを「主としての不始末」として烏天狗に罰してもらうことが出来る。そうすれば強制的にこの土地は浄化される。千木良なら造作も無いことだろう。それはとても「効率」の良いことだ。

「良いのか」

 眠ってしまった風羽を広瀬が背負うと、一陽がもう一度問うてくる。広瀬は一陽を振り返ると、いつも通りに笑ってみせた。

「だって、それが一番良いでしょう」

 自分一人の犠牲で全てが丸く収まるのだから、受け入れるしかないのだ。