佐希子と芳子が布団に突っ伏して眠ってしまったのを見て、風羽は彼女達の掛け布団をそっとかけ直してから、手元を照らしていた懐中電灯の明かりを消した。思わず冴えてしまった目を軽くこすってから、風羽は音を立てないようにゆっくりと立ち上がる。

(喉が乾いた)

 ぱじゃまぱーてぃーとは喉が乾くのだな、と見当違いなことを考えながら、風羽は台所へ向かった。確か昼間に、広瀬が麦茶を作って冷蔵庫に入れていたはずだ。好きに飲んでいいと言っていたのでありがたくいただこうと思う。

 しかし不意にガタ、と物音が聞こえて、風羽は立ち止まり顔を上げた。玄関の方だろうか。

(もしや曲者!)

 風羽は方向転換すると、抜き足差し足、そうっと玄関に向かう。もしも不審者ならば捕らえなければならない。今こそ、架牡蠣で習った捕縄術を披露するときだ。

 しかし、風羽の予測は見事に外れてしまう。物陰に隠れて玄関を窺うと、靴ひもを結ぶためだろうか、背中を丸めて地面に視線を向ける見知った姿が見えた。

(広瀬先生?)

 彼は立ち上がり、音を立てないようにそっと引き戸を開けると、同じように静かに閉め足早に出て行った。彼の足音を耳で追いながら、風羽は物陰から一歩を踏み出す。

(こんな時間に、どこへ……)

 風羽は素足のまま自分のスニーカーを履くと、玄関を飛び出した。どちらだろうか、きょろきょろと辺りを見渡すが、暗いせいで広瀬がどこにいるか分からない。

(……右!)

 根拠の無い勘だった。しかし非常時の風羽の勘の働き具合は祖父や師匠の折り紙付きだ。

 素足で履いたスニーカーは風羽のかかとを擦り、わずかな痛みを生み出す。走るために踏み出す一歩ごとに、ぱく、ぱく、と浮いたスニーカーが音を立てていた。静かな夜に足音は響き、そのせいでいっそう風羽の奇妙な焦りが増していく。

(今度はどこへ行ってしまうのですか)

 かつて幼い風羽を寝かしつけてから、広瀬は忽然と消えてしまった。あの時は寂しさだけで済んだ。広瀬は月宿にいるのだと知っていたからだ。ならば今月宿にいる彼は、一体どこへ行くつもりなのだろう。

 やっと、追いついたのに。あの時のあなたと同じ年になって、あなたに会うことが出来たのに。

(一体、あなたは何を抱えているのですか)

 知りたい。分かりたい。力になりたい。風羽は昔よりもずっと力持ちになったから、今なら、彼の重すぎる荷物を手伝うことができる。だから知りたい。教えてほしい。その荷物の正体を、あなたが抱えている「事情」というものを。

「!」

 ようやく見つけた広瀬の背中に、風羽は足を止めた。今ここで見つかったら、また彼は優しさゆえに誤魔化してしまうだろう。息を潜めて後ろ姿を追うと、彼はそっと角を曲がった。

 あの先は、月宿池だ。