「あれ、風羽ちゃん。それなあに?」
「御守りだそうです。先日、師匠に肌身離さず持つようにと渡されたものです」
「……師匠……?」
「芳子、菅野さん、どうかした?」
「いえ、何でもありません。ではさっそく始めましょう」
「広瀬先生に見つからないようにしないとね!」
「れっつぱじゃまぱーてぃー、です」

 風羽の部屋に三人で集まって、布団を三組並べておく。豆電球ひとつだけを灯した部屋では少し暗いから、持ち込んだ懐中電灯で手元を照らすことにした。

「こっそりやるのってわくわくするねー」
「まあ、悪くはないな。菅野さんもいるし」
「ちょっとちょっと佐希子、私は? 私の存在意義は!?」
「ぶっちゃけどうでも良い」
「ちっくしょうめ!」
「おい、静かにしろヨッシー」
「むー」

 口をとがらせる芳子に、佐希子はくすくすと笑っていた。彼女達の気兼ねのない間柄が、風羽には少し羨ましく感じる。

 風羽が通っていた架牡蠣の中学校は、そもそも生徒数が少なかった。その上、風羽の家が学校から遠いせいで通学時間が長かったことと、師匠に課される修行に自由時間の多くを裂いていたことが原因で、なかなか友人達と遊ぶことは出来なかった。

「で、さ。風羽ちゃん」
「おお、何でしょう」

 幼少期に思いを馳せていた風羽は、芳子の声に気付いてはっと顔を上げる。芳子の目は薄暗さの中でも分かる程に爛々と輝いていた。

「前のお昼休みの放送で話してたこと! お話聞きたいなーって」
「前の……。大根のおつけものの話でしょうか」
「違う。いつぞやにそんな話題もあった気がするけど違う!」
「ほら、菅野さんがずっと前から片思いしてる人がいるって言ってたのだよ」
「おお」
「それってやっぱり……。広瀬先生?」

 恐る恐る尋ねた佐希子に対して、風羽はためらいなく頷いた。十九波に「ユーキにも事情があるんだから、あんまり困らせるんじゃないよ」と言われたため、学内で話しかけるのは最低限に留めている。しかし寮内ではしょっちゅう彼の後を追いかけては、買い物を手伝ったり解けなかった宿題を尋ねたりしているため、風羽が過剰な程に広瀬に懐いているのは寮生の間では周知の事実だった。

「やっぱりそうなんだ! 教師と生徒の禁断の恋……!」
「芳子のバカはほっといて。ねえ菅野さん。小さい頃から好きだったってことは、広瀬先生とは幼なじみなの?」
「幼なじみ、と呼べる程長く過ごしてはおりません。昔、用事で架牡蠣にいらっしゃった広瀬先生が、実家に泊まっていかれたのです」

 あの時の風羽にとって高校一年生の広瀬は随分大人に見えたが、自分がなってみるとまだまだ子供であることに気付かされる。それとも、彼が年相応ではなかったということだろうか。確かにあの時の広瀬は、今の風羽の同年代の男子と比べても落ち着いていたように思う。

「でもさ、何年かぶりの再会だったんだよね? 菅野さんはギャップを感じたりしなかったの?」
「ギャップ?」
「うん。ほら、やっぱり何年もたつと、人間って変わっちゃうし」
「ふむ、それ程感じませんでした。広瀬先生は昔から変わらずお優しいです」

 風羽が知る広瀬の優しさは、日常の延長にあるささやかな優しさだ。けれどそれは時折、相手を慮るばかりに自分を押さえ込むという、彼自身を窮屈にする優しさになってしまう。

 風羽の告白を断るときだって、そうだった。きちんと自分の教師という立場や未成熟な風羽を思いやってくれた。風羽が広瀬について回るのを許容してくれた。広瀬はそうやって、当たり前のように、呼吸をするように、自分をすり減らす優しさを使ってしまう。

 だから風羽は、広瀬の今日の言葉に違和感を感じたのだ。

(あんな風に、頭ごなしに否定されたことは、今まで無かった)

 広瀬の優しさの殻が剥がれて垣間見えた、彼の本質。頑なに風羽の想いを否定する理由。きっとそれは、十九波の言った「ユーキの事情」に通じるものだ。

(私はもっと、優希くんを知りたい)

 恋心に突き動かされて、風羽はいっそう自分が強くなるのを感じる。何を言われても簡単にめげたりしないし、簡単に諦められるものでもない。風羽にとって恋心は、自分の背中を押してくれる原動力だった。

『君は、その人のことが好きなんだね』

 そして、そう言って風羽に恋心を自覚させたのは、広瀬だ。彼の一言が無ければ、風羽の想いは憧れのままで終わっていただろう。

「良いなあ。なーんか運命的だよね!」
「確かに。ちょっと癪だけど、応援してるよ、菅野さん」
「うん、私も応援する!」
「ありがとうございます。これからも粉骨砕身の努力を重ねます」

 優しく頼もしい友人達に囲まれて、幸せ者だな、と風羽は笑みを零した。