「菅野さん」
「はい」
「俺は多分、君みたいに正直に生きるのは、難しいと思う」

 風羽が言葉を尽くしてくれたように、広瀬も出来る限りで考える。彼女の真っ直ぐさがひねくれた自分には痛い。けれど、それがひどく恋しくもあった。

 広瀬の弱さを、彼女は優しさだと言う。彼女の真っ直ぐさを、彼女は愚直さだと言う。

「正直でいることは怖い。素の自分でいることで、それだけ周りの期待を裏切ってしまう気がするから。それを優しさだと解釈するのは、まだ俺には難しい」

 けれど彼女が示した優しい道筋を、広瀬は見ない振りをしようとは思えなかった。広瀬は自分の価値観を守ることを大切にして、彼女から目を逸らしていた。

 広瀬は今、目の前にいるたった一人の女の子の恋心を掬い上げたかった。広瀬は卑屈だったし、偽善的な一面を持っている。それは変わらないし容易には変えられない。けれどそんな広瀬を彼女が優しさだと呼ぶなら、その優しさで彼女の真っ直ぐさを包んで守りたいと思う。

 真っ直ぐな彼女と向き合えば、それだけ自分の弱さが浮き彫りになって苦しむだろう。けれど広瀬はその苦しみや悩みに向かい合うことになったとしても、彼女の想いを受け入れたいとはっきり感じていた。

「俺は、君と向き合いたい。君を好きでいたい」
「……広瀬くん」
「俺は君が好きだ」

 時が過ぎれば、過去の自分への執着も彼女の生き方への憧憬も、徐々に薄れていくのかもしれない。けれど今はこうやって悩む自分を切り捨てることは出来そうになかった。

 だから、向かい合おうと思う。取り繕った自分を引き剥がされる苦しさにも、彼女がいるなら耐えられる気がする。

「ならば、これは両想いでしょうか」

 途端に表情を明るくして頬を染める風羽に、広瀬は苦笑する。広瀬の悩みに付き合って、話を聞いて、言葉を返す作業は、恐らく広瀬が風羽の立場だったなら面倒で嫌になっていただろうと思う。しかし、彼女はそう考えないらしい。

「うん、そうなるね」

 そう答えた広瀬に、風羽は少し残念そうな顔をしていた。どうしたの、と尋ねれば、もう少し喜んでいただけませんか、と返される。

「そうも淡白だと、さすがの私も不安になります」
「ごめん。じゃあ、どうすれば良いかな……」

 広瀬は少し考えてから、自分の手が風羽に握られたままであったことを思い出す。彼女の手は広瀬の指を隠すように添えられていた。

 広瀬は風羽の手からそっと逃れると、今度は自分から彼女の手を捉えた。立てた自分の片膝に頬を載せて風羽を見上げる。彼女はしばらくきょとんとしていたが、広瀬が風羽の指の隙間に自分の指を潜らせると少しだけ動揺していた。

「恋人繋ぎ、って言うらしいよ」
「何と。それは初めて知りました」
「俺も今、初めてした」
「おお、それは嬉しいです」
「けどちょっと恥ずかしいね」
「私は嬉しいです」
「なら良かった。ねえ、これで信じてくれる? 俺が君を好きだって」
「……はい」

 微笑む彼女を見ながら、彼女の手を握る力を強くする。風羽もそれに応えるように握り返した。

「広瀬くん」
「うん?」
「どうか私の期待を裏切ってください」
「は?」

 広瀬が顔を上げると、風羽は自信たっぷり、とでも言いたげな顔をしていた。

「お約束します。私はどんなあなたも好きになります。きっと、広瀬くんを知るたびに、私はあなたを好きになる」
「……すっごくろくでもない部分をさらすかもよ?」
「ならばそれは私だけが見られるあなたと言うことですね。役得です」
「もう、菅野さんはすぐそう言うこと言う」
「事実を述べたまでです」

 広瀬は多分これからも、生き方や価値観なんかに振り回されて悩んでしまうだろう。けれどそのたびに彼女は言葉を尽くして向き合ってくれるだろう。それはきっととても幸せなことだ。

「君がいると、何だか世界全部が明るい気がしてくる」

 広瀬を優しさだと言って肯定してくれる彼女のために、ほんの少しだけでも強くなりたい。そう思いながら彼女に微笑むと、彼女も同じように笑顔を返してくれた。