「痛」
「どうしたの?」
「お皿が欠けていたようです。怪我をしました」
「大丈夫? とりあえず洗って。俺、救急箱持ってくるから」
「はい」
「ちゃんと流水でね」
「分かりました」


 町内会に行ってしまった米原の代わりに皿洗いをしていたときだった。二人してじゃんけんに負けてしまい、風羽が皿を洗って、広瀬がそれを受け取って拭いていた。指を怪我してしまったらしい風羽が大人しく手を洗い流している一方で、広瀬は談話室へ向かう。寮生の誰もがいつでも使えるように、救急箱は談話室の分かりやすいところに置いてあった。救急箱を丸ごと持って行くのは大袈裟すぎる気がして、絆創膏の入った箱と消毒液、ついでにティッシュケースを持って台所へ戻ると、風羽は広瀬の言うことをきちんと聞いて、流水で傷口を洗っていた。

「持ってきたよ」
「ありがとうございます」

 軽く手を振って水気を払うと、風羽は広瀬の持った消毒液を受け取ろうと手を伸ばした。広瀬がそれをひょいと持ち上げると、彼女の手が空を切る。

「片手を怪我したんだから、自分じゃ手当てしにくいでしょ」
「おお、確かに」

 得心した顔の風羽の腕を取ると、広瀬はティッシュで彼女の手を軽くくるむ。指先にぷっくりと膨らんだ赤い半球にそっとティッシュを押し当てて吸い取り、床に零れないようにティッシュと自分の手を受け皿にして消毒液を彼女の指へと落とす。

「沁みるよ」
「平気です」

 そして広瀬は、風羽の手の柔らかさに気付く。細いけれどか弱さは無く、彼女の健やかさが感じられた。爪の先の丸さや関節のまろやかさなんて成長途中の広瀬のものとは全く違うし、何よりすっぽりと広瀬の手に包まれてしまう程に小さい。

(可愛い、な)

「怪我の功名です」

 広瀬の思考を遮るように言われた言葉に顔を上げると、風羽はほんのりと頬を赤くしていた。唐突に今のこの状況、風羽の顔も体も間近にある体勢を意識して、広瀬も思わず顔が熱くなる。

「多分それ、使い方違う……」

 言いたいことが何となく分かって、気恥ずかしさからそう返してしまう。彼女の好意の示し方は広瀬が戸惑うほどにダイレクトだった。

 傷口を包むように絆創膏を貼って、広瀬は風羽から離れる。

「皿洗い、後は俺がやっとくから」
「私もやります」
「怪我が水に濡れたら痛いでしょ」
「では選手交代です。私がお皿を拭きますので、広瀬くんは洗う方をお願いします」
「……分かった」
「では、手早く終わらせましょう」
「そうだね。あ、そう言えば欠けてた皿、どれか分かる?」
「このお皿です」
「じゃあどけておこう。後で米原先生に言わないと」
「そうですね」

 欠けた皿を軽くすすいで、台所の隅に置いておいた。先程と場所を交代して二人で皿洗いを続ける。

 へちまのスポンジで食器を洗っていると、広瀬の腕がこつんと彼女の腕に当たる。広瀬は出来るだけ平静を装うと、そこから一歩だけ横に動いて彼女から離れた。それが今の二人の距離だった。