「広瀬くん、一緒に帰りましょう」 風羽は今日も帰り際に広瀬のクラスを覗き込む。もはや見慣れた光景になってしまったせいか、広瀬のクラスメイトも彼女を気にとめることはなかった。 「ごめん、今日はちょっと先生に頼まれたことがあって」 「ではお待ちしております」 「いや、遅くなると悪いし、先に帰ってて」 「そうですか……」 しょんぼりと落ち込む姿を見ると、何だか罪悪感を感じる。彼女と付き合って、別れて、距離感が掴めない今、どう対応すればいいのか分からないのも事実だった。 「えっと、ごめんね」 「いえ、こちらこそ無理を言ってしまい、申し訳ありませんでした。それでは、また寮で」 ひらりと身を翻す彼女を見送ってから、広瀬は溜め息を吐いた。彼女はどこまでも前向きで、真っ直ぐな恋心を広瀬に向けてくれる。 だが、広瀬には分からなかった。自分の気持ちを整理できず身勝手に彼女を突き放したのに、それでも風羽は広瀬を好きだと言う。広瀬自身も彼女を恋う気持ちが変わらず、結局二人の関係性はとても曖昧だ。 (もう、嫌われてもおかしくないと思うんだけどな) 広瀬は彼女と別れた理由が、自分勝手で利己的だったという自覚がある。これまで積み上げてきた自分やこの生き方を、彼女の存在で揺さぶられることが嫌だったのだ。広瀬は目の前にいる風羽よりも自分を取った。弱い自分に蓋をして守ることを選んだ。 (どうして彼女は、俺が好きなんだろう) (どうして、俺を好きなままなんだろう) 担任に頼まれた用事を済ませてから、学校を出る。新学期が始まって九月になったとは言えまだ日は長く、夏の匂いが感じられた。制服の衣替え期間である今、校内では夏服と冬服の両方が見られ、季節の変わり目であることを実感する。 彼女はまだ夏服だった。曰わく、夏服の方が可愛いから気に入っているのだとか。彼女がそんな普通の女の子が言うような台詞を言うのが新鮮だったから、よく覚えている。悪いという意味ではない。何だかとても可愛いと思ってしまったのだ。「夏が終わってしまうと着られなくなるので残念です」と言いながら、彼女はちょいとスカートの裾をつまみ上げていた。確かに、彼女は夏服がよく似合っていた。 クリーニングに出した冬服のことを思い出して、商店街へ向かう。ついでにスーパーに寄って、そろそろなくなりそうだったシャンプーの詰め替え用を手に取った。レジに向かう途中、見慣れた二人を見かけて広瀬は足を止める。 「特売品の鶏肉ってこれだよな?」 「葉村くん、こちらの方が多いです」 「そんなにいるか?」 「ご安心ください。残った場合は責任を持って私が食べます」 「お前は本っ当に食い意地張ってるよな……」 「む」 「別に悪いとは言ってねえよ。別に良いんじゃねえの? あれだけうまそうに食ってりゃ、料理する先生も本望だろ」 「……ふふ、ありがとうございます」 「っ、別に」 葉村と風羽の二人が並んで鶏肉のパックが並べられた棚とにらめっこしている。夕飯の買い出しだろうか。ようやくパックを選んだ二人は次に野菜のコーナーに向かっていく。声をかけるかどうか悩んでいると、風羽が振り向いた。 「広瀬くん!」 丸い目を大きくして、風羽は広瀬に駆け寄って来た。もう隠れようがないので、広瀬も風羽と葉村の元に向かう。 そして、気付いてしまう。こちらへ向かう風羽のすぐ後ろで、葉村が広瀬に気が付き、離れていく風羽を見送る。その視線は少し寂しそうで、同時に呆れたようでもあった。広瀬にはその視線の理由が分かってしまった。 「おかえりなさいませ、広瀬くん」 「スーパーで言うのも何だけど、ただいま。そっちも買い物?」 「はい。夕飯の買い出しです。広瀬くんは?」 「俺はシャンプーが無くなったから。クリーニングに出した制服を取りに来たついで」 広瀬は後方に目を向ける。葉村は広瀬の視線に気付くと、買い物かごを持ってこちらに歩いてくる。 「よ、広瀬。ここで会ったが運のつきだ。お前も荷物持ち手伝えよ」 「それは良いけど、そんなに買うの?」 「鍋するらしい。野菜やら何やら大量に頼まれた」 「鍋って、この時期に? まだ早くない?」 「俺もそう思う」 「お鍋、美味しいです」 「そういう話じゃねえよ」 いつも通りの会話の中、広瀬はちらりと葉村を見る。先ほど見せた表情はすっかりなりを潜めていて、そこにいるのはいつもの葉村だった。 風羽を好きな人はたくさんいる。それは単なる友情の域に止まらない、恋と呼ぶべき感情で彼女を想う人が、たくさんいる。けれど彼女はそれに気付かない。何故なら彼女の恋は全て広瀬に向けられているから、他の人が彼女に向ける恋心を自覚することができない。 そっちに行ってもいいのに、と広瀬は思う。自らのプライドが邪魔して彼女を受け入れられない弱い自分より、もっと真っ直ぐで優しい彼らの方が、彼女を幸せにしてあげられるだろうに。 けれど同時に、行かないでほしいとも思う。彼女が広瀬を好きでいることが、広瀬は困っているのと同じくらい嬉しかった。 (勝手だな) 前者は風羽の想いを蔑ろにしているから、後者は彼女の正直さを拒んだ立場なのに、という意味で。 だから広瀬はそれを口にしなかった。本音を言わないことが、風羽と別れた広瀬に出来る唯一のことだった。 |