「おーい、広瀬ー」

 体の具合を確かめていると、後ろから声を掛けられた。振り向くと、入学式に合わせてきちんとネクタイを締めた米原がいた。

「おはようございます。米原先生」
「いやあ、まさかお前が教師になるとはなー」
「小田島先生の代理ですよ」
「……小田島の具合はどうだ?」
「今は、まだ」
「そうか……。お前も無理するなよ。俺も出来る範囲でサポートするからな」
「頼りにしてますよ」
「おう、任せなさい」

 慣れないスーツのネクタイを一度緩めて、締め直す。ちらちらと舞う桜を見て、広瀬はこれからやらなければいけないことを考える。これまで小田島がやっていたことを引き継ぎ、ついでに「次」を探さなくてはいけない。教師の仕事をしながらだと、少し大変かもしれない。

「米原先生、ちょっと良いですか?」

 渡り廊下から初老の教師に声を掛けられて、米原が振り返る。

「ああ、はい。……広瀬、新任式は入学式の後だから、それまでゆっくりしてて良いぞ。どうする? 職員室で待つか?」
「少し校内を見て回ります。入学式は体育館ですよね? 時間になったら行くので」
「分かった。俺はちょっと用事が出来たから行くな」
「はい。じゃあ、また後で」

 米原を見送って、広瀬は懐かしい校舎をのんびりと眺めた。ここに学生として初めて来たのはもう七年も前のことなのだ。広瀬が在学していときの友人達は今どうしているだろうか。広瀬がこうして教師になったことを知ったら、葉村辺りは目を丸くして「似合わねえ」と言うだろう。自分でも似合わないと思う。

「あ、先生! 先生がいた!」
「え?」

 声に反応して振り返ると、新入生らしく胸にリボンを付けた、真新しい制服の生徒数人が慌てた様子で広瀬の元に走ってきていた。

「先生、お、女の子が木に登って、降りられなくなってるんです。どうすればいいすか?」
「……分かった。行くから案内してくれる?」

 昔から委員長を務めることが多かったせいか、こういう風に頼りにされると考えるよりも先に口で了承してしまう。それに、広瀬は今「教師」としてここにいるのだから、頼ってきた生徒を無碍にすることも出来なかった。

「こっちです!」

 慌てる生徒の後ろを追い掛けて、広瀬も走り出した。教師としての一日目は、どうやら忙しくなりそうだった。