※FD広瀬アフターほんのりネタバレ






 ぎゅうぎゅうに抱き締められて苦しかった。風羽は何とか隙間を作って、ぷは、と息を吐いた。眠る広瀬の顔は穏やかで、風羽は頬を緩ませる。

 見ていたら、無性に彼に口づけたくなった。幸せそうな笑顔に愛しさを感じたのかもしれない。風羽はもぞもぞ動いて背筋を伸ばして、どうにか彼の唇に触れようとしたけれど、これだとどうにか顎に口づけるのが精一杯だ。

 抱き締めてあげる、と言われたのだし、それを叶えてもらえて嬉しいはずなのに、風羽は不服だった。彼の抱き締める腕の力が強いせいで身動きが取れない。風羽は彼に口づけたくてたまらないのに。

「何? どうしたの?」

 そんな風羽の気持ちが伝わったのか、単に風羽の身じろぎに目を覚ましたのか、広瀬は眠そうに目をこすりながら、風羽を見つめた。

「広瀬くん」
「ん?」
「雨が降っています」
「そうだね」
「今なら、どれだけ触れ合っても構いません」
「え? ……だから今、こうして」
「それでは、足りないのです」

 目を丸くする彼の腕の力が緩み、風羽は少しだけ寝る位置を変える。広瀬の顔が、暗闇の中でも見えるくらい近くにあった。高鳴る心臓を抑えて、そっと彼の頬に片手を添える。

「それでは足りません」

 胸の奥から湧き上がる、この気持ちは何と呼べばいいのだろう。足りない、足りない、足りない。我が儘な自分が彼を欲しがってたまらない。暗い夜の闇に紛れて我慢ができなくなって、姿を現した欲求はどうすれば制御できるのだろう?

 どうしようもなくなって、彼に優しくキスをした。ちゅ、と軽く触れ合う、子供のようなキスだった。風羽はキスが下手だから、彼のするような深い口づけをしようとすると歯をぶつけてしまう。広瀬の体質もあって、口づける機会も少ないからだ。

「もう、君のばか」

 広瀬が深くため息を吐き、完全に目を覚ました顔で風羽の額に自分の額に合わせた。触れ合った部分がじんわりと熱く、汗ばむ。鼻の頭をこすりつけ合うような距離だと、逆に互いの輪郭が曖昧だった。

「勢い任せは、嫌なんだ」
「? はい」
「君のこと、本当に大事だし、大切にしたい。無理もさせたくない。君の言うように、親の庇護下にある以上、慎みってやつも、必要だと思ってるよ」
「……ええ」
「でも、どうしよ。ごめん。すごく、情けない上に格好悪いんだけど、……君と、したい」

 広瀬の息がそっと空気の中に溶けていく。かすれてしまった苦しげな声に、風羽の心臓が高鳴った。

「意味、分かる?」

 風羽がその声に答えられずに黙り込んでいると、広瀬は少しだけ笑ってそっと風羽から離れた。くっついていた部分が夜の空気に冷やされてしまって、風羽はそれに寂しさを感じた。

「ごめん、やっぱり撤回する。君に無理させるのは本意じゃないから」
「広瀬くん……」
「我慢強いのが自慢なんだけど、ちょっと、さっきの君のキスと台詞は反則だよ。あんまり煽らないで、お願い」
「求めてくださるのなら、いくらでも差し上げます」

 広瀬が目を丸くする。風羽はもう一度自分から近づいて、そっと広瀬の頬に口づけた。

「貴方が相手なら本望だと、以前告げたはずです。貴方のその言葉が我慢の結果なら、それを解きほぐすのは私でありたい」
「……本当に?」
「嘘に聞こえますか?」
「ううん。本気に聞こえるから困ってる」
「困っているのですか?」
「うん。だって、……その、女の子の方が負担が大きいって聞くから」
「私はそんなにやわではありません」
「そうだったね」

 広瀬はそっと体を起こしてから、風羽に覆い被さってキスをした。真上から落ちてくるキスは重力が加わっていつもより重く感じる。軽く何度も口づけられるうちに呼吸がしにくくなってきた。柔らかく唇を開くと、広瀬の舌が焦れったく風羽の口内を撫で上げる。じっくりと、ゆっくりと為される深いキスはいつもよりも長く、風羽は身を固くした。普段と違う口づけがこれから行われる「何か」を予感させて、少しだけ怖い。

「こわい?」

 乱れた呼吸の中、唇が触れ合ったままの距離で広瀬がそう問い掛ける。優しい広瀬は、やめてもいいんだよ、と小さな声で言った。俺は気にしなくていいよ、君が怖いならやめるよと、ごく柔らかな甘やかす声で風羽に言う。

「怖くないかと言われれば嘘になります。しかし、やめてほしくないとも、思うのです」

 風羽は覚悟を決める。婚前交渉はいけないことかもしれないけれど、こうして広瀬が自分を思いやりながらも求めてくれることが嬉しかったし、それに応えたかった。風羽はどうしようもなく広瀬が好きだった。

「広瀬くん、私を抱いて下さい。勿論、責任は、取って頂きますが」

 口にした言葉は想像以上に大胆で、風羽は冗談混じりの脅しを加えて笑ってみせるしか無かった。広瀬はその言葉に驚いていたようだけれど、すぐに風羽に向かって微笑んだ。

「俺、君がいないと駄目なんだ。……だから責任なら喜んで取らせてもらう」

 その笑顔があまりにも嬉しそうだったから、風羽は固くしていた体をようやく緩めた。広瀬なら大丈夫だ、と感じる。風羽はほんの少しの恐怖を押し込めて、広瀬に手を伸ばす。

 再び落ちてくる優しい口づけに、風羽は目を閉じることで答えた。