爪弾き




 パチ
 ぱちっ
 しゃきん
 カチッ



 夜、寝ようと布団を捲ってベッドに入って座って気が付いた。

「……、」

 左手の親指が気になる。そう言えば風呂に入った時にも気にしていたんだった、小さな傷が治りかけて出来た、厚くなってしまった皮膚。
 お湯でふやけた皮膚を剥がそうとして、走った痛みに止めたそれ。せっかく治りそうだった傷を、そんなつまらない事でまた広げてしまっては初めからやり直しになってしまう。
 今引っ張ってしまえば取れるだろうか、すっかり元の感触に戻った刺青の入った手。少し固い、厚くなった一部。右手の親指と人差し指の爪を立てる。
 痛くも何ともない。爪が食い込む。がくん、爪と爪がぶつかる。

(――切れねェ)

 もう少し、もう少し、駄目だな切れない。ぐいっと引っ張って、また走る痛みに指を離す。
 仕方ない、面倒だけど気になるものは気になる。このまま放っておいても構わないけれど、ささくれのように尖った皮膚をどこかへ引っ掛けて、変に傷が付くのは御免だ。だってそんな些細な傷ほど、痛い事ぐらい知っている。
 溜息と呼ぶかどうか微妙な息を吐いて、布団を捲って立ち上がる。裸足の足の裏にひんやり、床板の温もり。

 ぺたり
 ペタ
 ぺたん

 軋みもせずに足音だけ。お目当ての物が入っている箱を開けて、それを取り出す。
 シャキン、指に通されたぴりぴり冷たい金属。しゃき、動かす度に鳴る、相変わらずの切れ味の良さ。


 シャキ、


 口を開けたそこに傷痕を置いて、数回。ぬるりとした液体が出ないのを良い事に、数回。
 よく見えないのを良い事に、弱い光にぼんやり浮かんだ、自分だった皮膚を切る。切れているかよく見えなくても、右手に伝わる感触はとてもリアルで、ああ、確実に切り落とされている。

「ふぅ…」

 よし、これで一安心。さて寝よう。手に持った鋏を元の場所へ戻して、短時間でも僅かに熱が移ったのだろう、一歩踏み出した床の冷たさに身震いする。
 やはり少しも軋まないままで、捲られた布団に入り、ベッドに身を沈める。布が体温を吸って、背中がじわりと馴染む。
 くるりと寝返りをひとつ、氷のようだと云われた足を折り曲げて、身体を丸めて目を閉じる。瞼にちらついた明かりは、どうしても邪魔になったら消そう。

 角の取れた親指を唇に触れさせて、なァ明日には、目を覚ます頃には綺麗に治っていてくれと願う。跡形もなく綺麗さっぱりと、また傷付く事がないように。

(よし、これでいい)

 まだ微かにある傷が、また起き上がる頃の間ではきっと治らないだろう事は知っているけれど、取り除かれて幾分丸くなった指先が近い内には元に戻る事も知っている。
 何もしなければ、それはもうすぐそこ。
 完治して、そこにあった事も忘れてしまう。

 だからもう触らない。危険な要因は取り除いたから、もう気にしなくても良い。
 もしまたこの傷が開いてしまったら、そこを引っ掻いて広げてしまわない自信はないんだ。



 だからもう、おやすみなさい。














・総勢一人の爪弾き



これはあれやそれの例え話




とんだおれとくである
110317


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