人魚姫(+快)
人間になって、人間界に行く。
伝えた時、両親も姉の和葉も揃って大反対だった。
けれど、平次の意思が変わらない事を知り、半ば諦めるように許してくれたので、約束の3日後、平次はまた志保の元を訪れていた。
「来たのね。約束の薬なら出来ているわ」
言って、志保は小さな小瓶を平次に渡す。
中には透明な液体が入っていた。
「それを飲み干せば、貴方は人間になれる。けれど同時に、声は失う。どう?決心は変わらない?」
訊かれ、平次は無言で頷く。
志保の口元に笑みが浮かんだ。
「貴方が見初めた人間の心を得る事が出来れば、その瞬間から貴方は本当の人間になり、永遠の幸せが約束される」
「……得られへんかったら?」
「もし、その人間が他の人間を選ぶようなら……貴方は、人魚に戻る事も出来ず、海の泡になって消えるのよ」
その内容に、平次は一瞬言葉を失った。
引き換えで声を失うだけではなく、あの王子の心を得られなければ、自分の存在そのものも失ってしまう。
けれど……。
「国に戻られへんのは覚悟の上や。もし消えても……そん時はそん時。潔ぉ泡んなって消えたるわ」
平次の言葉に、志保は目を細め。
「そう。ならお飲みなさい」
伝えて、小瓶を指差した。
平次は頷き、蓋を開け、その中身を飲み干した。
どうやら、あの後すぐに気を失ったらしい。
気がつけば、あの日人間の王子を運んだ岩場に平次は倒れていた。
「良かった……目をあけた。大丈夫か?」
声のする方をゆっくりと見る。
瞳に映るその顔に、平次は思わず息を呑んだ。
「……どうした?」
その顔は確かに、あの日助けた人間の王子のものと同じで。
「お前、名前は?」
聞きたかった声は、想像していたものよりも少し高い。
平次は必死に口を開くが、志保に渡してしまった声は、やはり出てくる事は無く。
自分の名前を伝える事も出来ない。
「……言葉が話せないのか?オレの言っている言葉は分かる?」
平次がコクコクと頷くと、彼は近くに落ちていた小枝を渡した。
「これで、そこの砂の所に名前を書いて」
平次は言われた通り、小枝で自分の名前を砂へと書いた。
「平次ってのか?」
平次が頷く。
すると、遠くから誰かの声が聞こえた。
「……ああ、ここに居られたのですね、快斗様。至急、城へお戻り下さい。お妃様がお呼びです」
「母さんが?」
快斗。
それが王子の名前のようだった。
『快斗ってゆうんや』
もう一度会えた喜びと、聞くことが出来た声。
知った名前に、平次はそれだけでも大分幸せに感じていたのだが。
「平次。お前、家は何処だ?」
聞かれ、砂に帰る場所は無いと書いたところ。
「じゃあ、お前も一緒に城に来い」
言って、微笑みながら差し出された手。
幸せにまたひとつ、まだ傍に居られる喜びが加わった。
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