人魚姫(+快)

「平次、あんた今なんて?」

 和葉はあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
 自分の耳が正常ならば、この弟はとんでもない事を口にした筈だ。

「せやから……人間界にゆきたい」

 平次は、今告げたばかりのものと同様の言葉を繰り返す。

「あかん、あかん!何ゆうてんの!人間界やて?!アホも大概にしーや!人間がどんなモンか知ってるやろ」

 確かに両親やお世話係から、人間が如何に怖いものであるかは嫌と言うほど聞いている。
 絶対に関わってはいけない。
 姿を見られてはいけない、と。

「そやけど!聞いてるのは随分と昔の人間の話やないか。今の人間は、そん時とちゃうかも……」

「おんなしやって!人間ちゅうのはそう簡単に変わるモンちゃう。オカンもゆうとったやないの」

 和葉の強い口調に、平次は言葉が詰まってしまった。
 けれど、平次にはそんな怖いものには見えなかったのだ。
 あの日、月明かりの下で見た。
 一瞬だったけれど、深く優しい蒼色。
 思わず、ぽつり呟いた。

「……あないに優しい目しとるのに……」

「……優しい?あんた、誰の事ゆうてんの……」

 平次が、はっと顔を上げる。
 強い瞳とぶつかった。

「まさか……人間に、姿見せたんとちゃうやろな……」

 和葉の顔色が見る見るうちに青ざめてゆく。
 平次の眉根が悲痛に歪んだ。

「あの人間に、もう一度会いたいんや。……あの瞳が見たい。どんな声してるんか、知りたい……」

「平次、あんた……」

 ぽつりぽつりと紡ぎ出される言葉。
 その声色に、平次の心情を読み取って。
 和葉は、それ以上何も言えなくなってしまった。



 人間界に行くには、この姿のままでは陸へ上がれない。
 立って、歩く為の脚が要る。
 容姿も人間のそれにならなければならない。

「人間になれる薬が欲しいんや。作れるか?」

 数日後、平次は深海の魔女、志保の所に居た。

「私に作れない薬なんて無いわ。けれど、代償として何か頂くわよ。分かってるわよね」

 どんな薬も、どんな魔法も。
 志保に作れないものは無い。
 けれど、引き換えとして何かを奪われる。
 それは誰もが知っていた。

「何が欲しいんや」

「そうね……」

 志保は暫し考える素振りをし、その後瞳だけで笑んで。

「貴方の声を頂くわ」

 そう告げた。

 声を奪われれば、例えあの人間の王子に出会えたとしても、言葉を交わす事は叶わない。
 けれど、聴力や視力を奪われるよりは大分マシだと思えた。

「ええやろ。オレの声はやる。せやから薬、作ってくれるか」

「交渉成立ね」

 志保は冷たい微笑を浮かべると、3日後にまたここへ来るようにと平次に告げた。
 平次は頷き、城へと戻って行く。

「……愚かな子……。憧れは憧れのまま、想い出に変えてしまえば良いのに」

 去ってゆく平次の後姿に、志保が小さく呟いた。

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