はじまりはいつも雨
それは、入学式早々。本来、入学の言葉を語る筈だった、主席合格の生徒が欠席。次席の平次にその役割が廻ってきた。
欠席した理由は、詳細は分からなかったが、病気で入院した為だと聞いた。その後も、そいつは入院を続けていて、成績の張り出しのときも、名前を見たことはなかった。
だから、そいつがどんなヤツで、どんな名前であるのかを、平次は全く知らず、そんな事があったことですら、もうすっかり忘れていた。
「主席合格者って……工藤やったんか」
「そう。入学式はオレの代理、ご苦労さん、服部平次君」
「お前……元からオレの事知って……」
「知ってたよ。どんな優等生かと思ってたから、まさかこんなヤツだとは思ってなかったけど」
「こんなヤツってなんやねん」
「はは、冗談、冗談」
病気で一度も出席していない状態。制服を着てきていると言う事は、復学が近い。それで、自分は2年だと言ったと言うことは、1年の必修項目はパスしているとみなされたと言うこと。
読んだ本の内容を全て覚えている、主席合格者の実力は伊達ではないようだ。
「退院して、大分良くなったから、復学するってなったんだけど。まあ、入院中も単位取得分の提出はしてたし、途中参加だから編入テスト受けたっつっても、実際の勉強に追いつかなきゃならねーし。本来の学年に復学する条件として、放課後に特別学習受けてたんだよ。で、それまでの時間、ずっと図書室で暇潰してたら、その姿を見たヤツがそんな噂を流した、ってことだな。幽霊在校生が本物の幽霊と思われる。ウケるな」
「ウケるか」
先日。新一の姿が儚く見えたのは、ずっと病気をしてたからだったのかも知れない。色素が薄いのも、入院生活を送って日に当たってなかったせいだろう。たぶん。
一瞬、本当に幽霊だったらどうしよう、とか思ったことは秘密だ。
「で?いつから戻って来んねん」
「来週」
「そか」
軽く頷く新一の視線が。なぜだろうか、ずっと見ているのが苦痛と言うか。
「良かったな、戻れて」
非常に気恥ずかしいと言うか。とにかく、瞳を合わせているのが辛くて、言うと、少し慌て気味に平次は視線を本へと落とした。
ついさっきまで、こんなことは感じなかったと言うのに。突然襲われたその感覚に、平次の頭は混乱をしていて、目から入ってくる文章が、全く理解できない文字の羅列に見える。
「これからは雨の図書室以外でも会えるぜ、服部」
「そうやな。って、なんでオレが会いたがってるみたいな言い方……」
「違ったか?」
頭に入ってこない本を閉じて。上げた瞳が、新一のそれと合う。そしてまた襲う、あの感覚。
「なんでわざわざ、野郎に会いたがる必要があんねん」
気取られまいと、気丈に振舞いながら合わせる視線。伝わってくる、くすぐったいような何か。
その理由が、新一の視線だ、と気付いた。先日までと。先程までとは違っている、その視線が平次を混乱させている。
「好きだから?」
「……はあー?!」
ただでさえ混乱している頭に、予想外の言葉が飛び込んできて。一層混乱を極めた平次が、大声と共に立ち上がると。しんとしていた室内に、声と、椅子が倒れる大きな音が盛大に響いた。
人差し指を唇に当て、しー、っとポーズをとる新一に。
「しー、っちゃうわ!なにアホなことぬかしとんねんっ。おま、お前なぁっ」
「あー、もう。静かにしろ、つってんだろ?驚いた誰かに先生が呼ばれたらどーすんだよ」
大きな声で、わなわな震えながら続ける平次に。めんどくさそうに言うと、新一もゆっくり立ち上がり、平次の方へ歩み寄る。
と、次の瞬間。
「あんまり騒ぐと、その口塞いじまうぞ」
手首を捕まれ、思い切り引かれたと思ったその時には、本棚に押し付けられるような格好になっていて、逆の手で口を覆われていた。
もう、口塞がれとるわ。
一瞬の出来事に、呆気に取られながらそんな事を思って。平次は、口を塞ぐ新一の手を払い除けた。
「……病人やったくせに、結構力あるやんけ」
「中学ん時まで、ずっとサッカーやってたからな。サッカーは全身トレーニングなんだよ」
「へえ、さよか」
口を覆っていた手は外したものの、手首を掴んでいる手はそのままで。腕を上げた状態で固定されているそこには、結構な力がかかっている。
「取り敢えず。大人しゅうするから、そっちの手ぇも離してくれへんかな。痛い」
ちらり、視線を手の方に向けると、新一もその後を追うようにそちらを見る。同じタイミングで、鳴るチャイム。ゆっくり、新一の手が平次の手首から外れた。
「……ちぇ、時間切れ。ちゃんと椅子とか戻しとけよ」
言って背を向け、出口の方へと向かう新一の表情は見えなかった。だが、なんとなくわかる。
「……誰が好きだから会いに来てんねん」
新一が先程まで掴んでいた手首を摩って、そっと握ると。新一の熱が残るそこは熱くて、平次に向けていた瞳と同じで。
「それ、自分のことやろ……」
握ったままの手首を胸に押しつけると。自分の鼓動が痛いくらいに響いて、胸が、ぎゅっと苦しくなった。
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