18

「あーっ! 隊長ばっかりズルイですう!」
「僕達も可愛がってください、各務様ぁ!」

 唇が触れあう寸前、きゃぴきゃぴと甲高い声が耳を貫き、俺は目を瞬かせる。
 よくよく周囲を見回せば、周りには唇を尖らせた親衛隊員達と、目を半月形に笑ませるマキの姿がある。

 あっぶねぇ…桐嶋の色気に惑わされて、うっかり衆人環視の前でラブシーンをおっぱじめてしまうところだったぜ…

「全くもう…いいところだというのに…」

 艶やかな唇から艶めかしい溜息をついて、桐嶋は身を起こす。

「いくら隊長だからって、各務様を一人占めなんてさせませんー!」
「各務様はぁ、皆の各務様なんですー!」
「各務様っ、桐嶋隊長だけじゃなくて、僕等も可愛がってくださいっ♪」

 ついこの間中学を卒業したばかりの一年坊主たちは、顔立ちも骨格も未成熟で、同じ男子高校生とは思えないほどあどけなく幼い。それを十二分に理解した上で甘えかかってくる仕草はあざといほどの可愛らしさで、過剰な演出に呆れを覚えないでもないのだが、そこまで突きぬけられるといっそ微笑ましくすらあり、俺はつい苦笑を零し、大きく腕を広げた。

「おら、来い。可愛がってやる」

 とりあえず近くにいた隊員二人を両腕に捕らえ、両膝に一人ずつ乗っけてぐりぐりと頭を撫でてやる。

「きゃー!」
「各務様ぁ…」

 うっとりとした顔で頬を染め、まさしく愛玩犬チワワのように目を潤ませる親衛隊員たち。うむ、これはこれで、なかなかに愛らしいものである。そんな俺を見て、桐嶋はまたしても溜息を一つ。

「せっかく、各務様の筆おろしを指南しようと思っていたのに…」
「ちょっと待て! 俺はとっくに済ませてんぞ!!」

 聞き捨てならないその台詞に、俺は目を剥き叫び返す。よりにもよってそんな疑いを抱かれていたとは…全くもって、許容しがたい不名誉である。男としての沽券にかけて、DT疑惑だけは晴らしておかねば!

「中学3年の春休みに、付き合ってた彼女と済ませたぜ! 今更筆おろしはねーよ」

 中学生の分際で早計だと罵ってくれるなかれ。俺が桜坂に入学することに決まり、離れ離れになってしまうのならば、その前に…と燃え上がってしまった次第なのである。その後も長期休暇で帰省する際などには彼女と逢瀬を重ねていたのだが…やはり、遠距離恋愛というものは長続きしないものらしい。すれ違いが続き、互いに不満を募らせ、結局のところ、高校に入って一年もしないうちに俺達は別れてしまった。

「ですが各務様、男性相手では初めてでしょう? いざという時に手順が分からないなどということにでもなれば、困るのではありませんか?」
「ま、まあ、それはそうかも…」

 男と女では身体も違うし、色々と勝手が違うだろう。男女間の交わりでも後ろを使うプレイはあるようだが、当時まだごく純真であった俺は、そういったアブノーマルなプレイは嗜むところではなかったし。つまるところ、男性相手では童貞も同然…ということになってしまうのだろうか…?

「でしょう…? ですから各務様、是非とも…」
「お、おう…そうだな…」

 桐嶋が妖艶な流し目をこちらにくれると、俺の周囲のチワワ達がきゃいきゃいと騒ぎだす。

「もー! 隊長ばっかりズルイって言ってるじゃないですかあ!!」
「僕だって、各務様に色々教えて差し上げたいです!」
「ほう…この俺を差し置き、各務様に教授して差し上げるほどのものが、お前達にはあると?」
「う…」

 腕組みした桐嶋が冷ややかな眼差しでそう言い放てば、チワワ達は怯んだように一歩後ずさる。

「ならば、その腕のほどを見せてもらおうか。俺より床の技に秀でている自負のある者は、前に出るがいい」
「くっ…」

 おっとり和風美人モードから一転、冷酷な雪女のごとく変貌した桐嶋の威圧感に、親衛隊員たちはたじたじとなってしまっている。無理もない。美人が怒ると夜叉になるとはよく言ったもので、普段の穏和の姿とのギャップには、この俺ですら少々ビビってしまうものがある。

「どうした? 威勢のいいのは口先だけか?」

 結局、桐嶋に逆らおうとした者は一人としておらず。桐嶋は気圧された様子の親衛隊員たちをじろりと見遣ると、ふんと鼻で笑った。

「く…悔しい…! 百戦錬磨の女郎蜘蛛に、いたいけな一男子校生が敵うわけないじゃないですか!」
「朝食に食パンを食べた回数より男子高校生を食べた回数の方が多いような人に勝てるのは、マタハリかクレオパトラくらいですよ!!」

「…女郎蜘蛛? 食パンよりも…?」

 色々看過しがたい形容句が飛び出してきているのだが…

「ふふん、勝ち目のない戦いは挑まないことだ……と、言うわけで各務様、煩い外野は黙らせました。そろそろ、大人の補習授業を始めることにしませんか?」

 桐嶋の傾国の微笑に心を奪われ、結局スルーしてしまう俺である…

「あ…ああ…」
「聞いただろう、お前達。他ならぬ各務様がご所望だ。各務様のお望みを叶えるためにも、早々に散会しろ」
「ふ、ふーん、っだ! 確かに帰りますけど、隊長にビビったせいじゃありませんからー! 各務様のためですからー!」
「隊長、月のない晩には背後に気をつけてくださいねっ!」
「各務様、操は絶対死守してくださいね! 女郎蜘蛛の罠に引っ掛かっちゃ駄目ですよ!」
「乱れる各務様のショット、是非とも激写したいところですけど…桐嶋隊長が怖いから、また今度の機会に」
「皆さん、各務のブロマイドについての商談は、日を改めてじっくりと〜」

 桐嶋に追い払われ、親衛隊員たちは四の五の言いつつも大人しく帰ってゆく。隊員たちを送り返すと桐嶋は友好的な笑みを浮かべ、一緒に見送りに出ていたマキへと向き直る。

「槇野君。折り入って相談があるんだけれど」
「嫌だなあ分かってますよ、おジャマ虫は引っ込んでろ、でしょ? 大人しく部屋にこもってヘッドフォン付けて明日の予習に勤しみますから」
「絶対嘘だろ」

個室の扉の後ろでガラスのコップをドアにくっつけているに違いない。

「…と、各務様が疑心暗鬼になっておられるのでね。申し訳ないんだけれど、外で時間を潰してきてもらえないかな」
「えー? 僕も一応住人として、部屋でくつろぐ権利はあると思うんですけどー?」
「その権利を一時譲ってくれるなら、代償として俺の戦歴の一部を事細かに仔細漏らさず語って聞かせたいと思うんだけど、どうかな?」
「じょ、女郎蜘蛛の男性遍歴を…?!」

 …その女郎蜘蛛というのはそんなにメジャーな通称なのだろうか。桐嶋、お前って一体…いや、問うまい。世の中には知らないでいた方がいいことは、山のようにあるのだ。

「ううーん…各務の個人レッスンと女郎蜘蛛の過去日記と…どっちも甲乙つけがたい…うーん、悩ましいなあ…」
「お前…ヘッドフォンつけて予習するって言ってたろ」
「あっ…そうそう、俺ってば一応学年主席だからね。人知れず日々勉学に励んでるんだよ」
「どの口でしれっとしらばっくれる気だ、マキ!」
「時すでに遅しですよ、槇野君。各務様は繊細でいらっしゃるから、君が気配を探っていると分かれば、到底その気にはなられないでしょうね。欲を出して二兎を追うより、確実に一兎を仕留める方が賢いと、君なら理解できるでしょう…?」
「ハイハイ…仕方がないなあ。今回は折れてあげますよ。桐嶋先輩、各務のことしっかり仕込んで、公然羞恥プレイも楽しめるような身体にしてやってくださいね」
「ふふふ…各務様の痴態をそこいらの馬の骨に見せてやるつもりは毛頭ないのでね。まあ、槇野君となら楽しめるかな…とは思うけど」
「是非。期待してます。各務ー、俺が帰ってきたらちゃんと鍵開けてねー」
「出来るもんなら朝まで締めだしてやりてぇよ」

 携帯端末と文庫本をポケットに突っ込んで、マキは朗らかな笑みを浮かべて部屋を出てゆく。そして室内には、俺と桐嶋の二人だけが取り残された。


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