16

「てめぇ…なつきを馬鹿にしたら、ただじゃ済まさねえぜ」
「各務先輩もナツの作るお菓子を食えば、絶対ぇすげぇって思いますよ!」

 両極端な方向性で俺にプレッシャーを与えてくる一年坊主を傍目に、倉橋は誇らしげに胸を張る。

「俺は今、修行中なんだ。幸せの時間を、皆に楽しんでもらう手伝いをするために…!」
「幸せの時間?」

 その口から出た聞き慣れない慣用句を、鸚鵡返しにする俺。
 幸せの時間とははたまた、一体何のことだろう…

「お茶の時間のことをさ、幸せの時間って言うんだって。母さんが教えてくれたんだ。美味しいお菓子を食べながら、美味しいお茶を飲んで、楽しい会話を交わして…そこでは、皆、自然と笑顔になるだろ? だから、幸せの時間」
「ふうん…で、お前はその手伝いをしたいんだ?」

 パティシエにでもなって、菓子屋を開くつもりなのだろうか…

「そう ! 俺は、世界中の人がみんな、いつも明るく、楽しく笑っていられるような…そんな世界を作ることが夢なんだ!」
「そりゃまた、えらくデカく出たな…」

 菓子作りから、世界平和とは。
 だがまあ、浮世離れしつつも妙に正義感の強い、倉橋らしい発言だ。可愛いと言えば、可愛いか…
 倉橋に群がる野郎共は、こんな無邪気なところにもほだされるんだろうなあと俺は思う。

「そうだ、各務にはまだ食べてもらってなかったよな? はい、どうぞ」
「いや、夕飯前だし。甘いもん食ったら飯が入らなくなるから」

 ご丁寧に倉橋が俺にもパイを勧めてきたが、基本的に俺は甘いものはあまり好きではないし、間食を取るのはポリシーに反するため、そう言って断ろうとしたのだが…

「まあまあ先輩、遠慮せずに。せっかくナツが勧めてるんですし、是非。ナツの作ったお菓子はすっげー美味いんですよ」
「てめえにゃ一欠けらだって食わせたくはねえが、なつきにこうまで言わせて断ろうだなんざ、まさか考えちゃいねえよな?」
「わ、分かったよ! 食うよ、食う! 食わせていただきます!」

 有無を言わさぬ笑顔でぐいぐい背中を押してくる須藤と、半眼で脅しをかけてくる一匹狼の勢いに押され、俺はたまらず、倉橋の差し出すパイを奪い取り、口の中へ通し込んだ。

「うっま…!」

 そうして、半ばいやいやパイを喰らったのだが、一口頬張った俺は、思わず目を見張った。

 さっくりとしたパイ生地はしっとりとしていながらも適度な歯ごたえがあり、齧った瞬間に口中にバターの香ばしい芳香を漂わせる。中のアップルフィリングは甘すぎず酸っぱすぎず、林檎本来の自然な風味を活かし、パイ生地と混じりあった時に、絶妙なバランスで甘味を舌に訴えかけてくる。
 菓子類の類はあまり摂取することのない俺ではあるが、このアップルパイは間違いなく、美味だと言えよう。今まで16年生きてきた中で、一番美味いアップルパイではなかろうか。
 そう俺に感嘆させるほど、倉橋の作ったパイは素晴らしかった。

「すげえな、これ! 売り物より美味いんじゃねえか?」
「へへっ、ありがと! 各務の口に合ったなら嬉しいよ!」
「ね、ね? ナツの作るお菓子はすげえでしょ?」
「てめぇが自慢することじゃねえだろ」
「何だよ、キョウだってさっき自慢してたろ。俺だって自慢したいぜ」

 くすぐったそうに笑う倉橋に、便乗する須藤を牽制する不良坊主。

「倉橋が照れるのは分かるが、何でお前まで嬉しそうなんだよ、須藤」

 不良坊主ではないが、俺も思わずそう突っ込めば、須藤は白い歯を見せて笑う。

「だって、ナツはすげえんだって、俺、皆に言いふらしたいんです! 皆に知ってもらいてーもん! ほんと、すごいんです! ナツのお菓子は俺を助けてくれたんですよ!」
「菓子が、お前を助けた?」

 一体、何のことだ? どういう状況になればそうなる…
 脳裏が疑問符で埋め尽くされる。そしてどうでもいいことだが須藤、お前さっきからすげーすげーの大盤振る舞いで、逆にすごさが分からなくなってきてるぞ…

「さっきも言いましたけど、俺、夏大会で負けて、すっげー落ち込んでたんです……けど、ナツにお菓子をもらって食べたら、やる気と元気が出てきたんです! そのおかげで、俺は今も頑張ってられるんスよ!」
「もー、貴史は大袈裟!」
「単純なんだよ、てめぇは…」

 倉橋は照れ臭そうに須藤の腕をぺしぺしと叩き、不良坊主は呆れたように溜息をつく。

「胃袋を握られた、って奴か…」

 俺の反応はと言えば、不良坊主と似たようなものだ。
 野球に燃える熱血スポーツマンで、色々目端が利く奴だと、少し見直していたのだが。案外、安直だな須藤…

「でも、ほんとにすごかったでしょ?」
「ああ、まあな…」

 なおも畳みかけてくる須藤に、俺は素直に肯く。

「じゃあ、また今度皆に差し入れに行ったら、その時は各務も食べてくれる?」
「ああ、タイミングが合えばな」

 倉橋の申し出を、俺は二つ返事で受け入れる。特に断る理由もないことであるし。

「やったー!食べてくれるんだー!」
「よかったなー、ナツ」
「…他の奴等にだけじゃなくて、俺の分も残しておけよ、なつき」

 無邪気に喜ぶ倉橋に、その姿を見て微笑む須藤、少し拗ねたように嫉妬する一匹狼。
 和気あいあいとしたやり取りに、俺の唇も自然とほころぶ。何だかんだで、可愛い奴等だ。

 予想外のタイミングで予想外の邂逅となったが、意外と悪くはなかった…そう思う。
 厄介事の元凶と、その付属物。それくらいにしか考えてなかった一年坊主たちの、意外な一面を垣間見ることが出来たのだから。

 少し前までは煩わしいとしか思うことがなかった、わいわいと戯れる三人の姿を、呆れが若干混じりつつも、俺は穏やかな気持ちで眺めるのだった…


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