14

「お前、一年の………えーと…」

 爽やか野球少年に話しかけようとした俺は、とある重大な事実に気がついて沈黙した。

 何てことだ、名前が出てこない!
 親衛隊持ちの、野球特待生だということは知っているのだが…

 あれだけ色々やり合っておきながら、今更本人に名前を尋ねるというのも何となく気まずいものがあり、俺は口ごもってしまう。

「須藤です、須藤貴史(すどうたかし)。ナツのクラスメートで野球部の期待のホープ、須藤です。次会う時までには覚えといてくださいね、各務先輩」
「自画自賛かよ……つーか、ビビらせんなよ。心霊現象かと思ってマジで焦ったじゃねーか」

 そんな俺の微妙な空気を察してか、野球少年は自ら名乗りをあげた上、軽口で俺の後ろめたさまで吹き飛ばしてくれる。
 何だ、なかなか気が付く奴ではないか。KY集団の一員にしておくのがもったいないほどだ。

「ははっ、泣く子も黙る会長をビビらせたなんて、俺もなかなか大物になったもんだ」

 親しみやすくも礼節を保った嫌味のない物言いに、俺の唇も自然とほころぶ。

「言ってろ……しかし、頑張ってるな、こんな遅くまで自主練か。偉いもんじゃねーか、見上げた心がけだ」
「や、偉くなんかありませんって。好きでやってることですから。そういう先輩だって練習帰りでしょ?髪濡れてますし。お互い様ですよ」
「せっかく人が褒めてんだから、謙遜なんてしなくていーんだよ。この俺様が誰かを褒めそやすなんて、滅多にあることじゃねーんだぞ」
「謙遜じゃありませんって」

 須藤は苦笑いし首を振った。

「俺、スポーツ特待なんですよ。野球をするために、このガッコに来た……だってぇのに…夏体じゃ、自分の役目を果たせなかった。肝心な場面で打てなくて、先輩達の夢を半ばで終わらせちまった。俺はもう二度と、あんな想いはしたくない…!」

 ぎゅっと拳を握りしめ、須藤は悔しげに歯を食いしばる。

 桜坂高校野球部はこの夏の大会、予選決勝戦で惜しくも敗退してしまった。
 その試合のラストバッターが、稀代の新人と騒がれていた須藤であったのだ。
 あの場面のことは、テレビの画面越しに試合を観戦していた俺の心にも、未だに強く残っている。

 1点ビハインド、2アウト2塁3塁。一打逆転のチャンスで打席が巡ってきたのが、その試合でもすでに4打席で一本のソロホームランと二本のヒットを放っていた、このルーキーだ。
 桜坂応援席の誰もが期待し、優勝を夢見たことだろう。

 だが、しかし。

 投手の指先を離れ、キャッチャーミットめがけて飛び込もうとするスライダーを迎え撃つべく、須藤のバットが鋭くスイングした。キン…という快音と共にフィールドに飛び出した打球は、そのまま三遊間を抜けるかと思われた。が、相手の、天運に恵まれたとしか言いようのない好守備に阻まれ、点を追加することが叶わないまま、試合終了の運びとなってしまった。
 野球部の、夏の夢は終わってしまったのだ。

 部員達が涙を流しながら試合終了の整列をする姿は、特に野球ファンというわけでもない俺の胸すら揺さぶるものがあった。それが当事者であれば、なおのこと…であろう。

「…俺は、強くなりたいだけなんです。全部、他でもない自分のためなんですよ。だからこれは、人から褒められるような、ご立派な行為じゃないんです」

 俯いていた顔を上げ、真正面から俺の目を見て須藤は告げる。
 微塵も媚びるところのない潔いその姿に、俺はますます好感を抱いてしまう。

「…いいや。それでも俺は、だからこそ褒めてやるよ。高みを目指してストイックに己を磨く、男としてかくありてぇ姿じゃねえか、なあ?」
「ハハハっ! 先輩にそこまで言ってもらっちゃ、いつまでも意地張ってらんねーっすね! ご賞賛、ありがたく受け取っときます」

 大きな口を開け、須藤は屈託なくカラッと笑う。
 うむうむ、人間素直が一番である。

「に、してもだ。どうせ練習するなら、こんな薄暗くて人気のない場所じゃなくて、野球部の練習場使やいいじゃねえか。せっかく上等の施設があるんだからよ」
「やだな、先輩。努力ってのは、人知れず陰でやるからカッコいいんじゃねーっスか。あいつ、いつの間にあんなに腕を上げたんだ…!って試合本番で驚かせるのが燃えるんですよ」
「あー、分かるぜそれは。ドラマだとか少年漫画だとかの、永遠のセオリーだよな!」
「でしょ。これ、絶対先輩なら分かってくれるだろうなって思ってました。他の奴等に言っても笑われるだけだったんスけどね」
「何で俺なら大丈夫だと思うんだよ」
「だって先輩、カッコいい自分が好きでしょ?」

 おどけた声でそう言って、悪戯っぽく須藤が微笑む。

「おい……暗に、俺がナルシストだって言ってんのか?」

 まあ、否定はしないがな。俺様はかっこいい自分が大好きだ。スポーツ万能で頭もよくその上ルックスまで極上という、まさに神に愛されたとしか言いようのない人間……こんな素晴らしい存在を好きにならずにおれようか、いや、おれまい。

「や、だって先輩、すげぇカッコいいじゃないですか。見た目もそうですけど、ガリ勉にもスポ魂にも見えねえのに勉強も運動もできて、その上人当たりも良くって生徒会長まで務めてる。ファンクラブが出来るのも納得の男っぷりですよ。でも、先輩の今のその姿があるのは、もちろん元々の才能もあるんでしょうけど、それ以上に、見えないところで地道に頑張ってるから、でしょ?」
「ふっ…須藤お前、分かってるじゃねーか」

 そう、天与の才能をただ享受しそれに甘んじるのみでは、せっかくの素材も腐り果ててしまう。美貌・知性・身体能力、三拍子そろった自分を維持するためには、たゆまぬ研鑽が不可欠なのである。かといって、あまりにガツガツしたところを表に出してしまえば、上辺を繕うのに必死になっている風に見えてしまい、スマートではないし…。いかに苦労している姿を見せずに己の理想たる姿を実現するか、俺は日々腐心しているのだ。
 そんな風に常日頃から、実はこっそり努力家でもあることをひた隠しにしてきた俺であるため、須藤の言葉には感心したように装いながらも、驚きの思いを抱かずにはおれなかった。

 こやつ、のほほんとした態度ながらも、なかなか本当に、見る目があるのではなかろうか…

「そういう、男の美学に理解のある各務先輩なら、俺のかっこつけのコソ練にも賛同してくれるんじゃないかなあって、そう思ったんスけど、間違ってましたか?俺」
「まあ、間違っちゃいねえよ。同類だな、俺達は。お前もあと一二年もすれば、俺みたいなイイ男になれるぜ、きっと」
「へへっ。お墨付きも出たことだし、俺も各務先輩にあやかれるよう、頑張りますよ」

 追従をそうと聞こえさせない爽やかなトーンで口にし、須藤は再びバットを構えようとする。

「おいおい…もう大分遅い時間だぜ。自主練は結構だが、そろそろ切りのいいところで仕舞いにしたらどうだ?」
「ご心配、ありがとうございます。でも、今の俺には、ひたすら練習する他には出来ることがないんです。次の秋大会では、絶対負けたくねえから…。やれるだけのことをやりたいんです」

 そう言って須藤は再び素振りを始める。口当たりは柔らかだが、頑として譲る気配のないその姿に、俺は呆れ混じりに嘆息した。

「…んっとに、努力する天才って奴は厄介だよなあ……うちの部長なんかもお前と同じだよ。ただでさえ才能があるのに、その上人一番努力家なんだからな。凡人はどう頑張っても追いつけねーよ。それで、こっちがちょっと泣き言を零せば、俺を上回る練習してから愚痴を言え、だぜ。正論だから言い返せのが、これまたムカつくんだよな…」
「ハハ、仲良いんですね、部長さんと。俺は天才じゃないけど、本番で今度こそ、力を最大限発揮できるように、全力のその先をいつも追い求めていたいんです。今日はまだ、限界には届いてないから」
「そうか。これ以上、部外者の俺が言うこともないな。自分の納得いくまで頑張れよ」
「はい、頑張ります! 練習の後には、ご褒美も待ってることですしね」
「ご褒美?」

 須藤の言葉に首を傾げたその時、遊歩道の方から人がやってくる気配がして、俺はそちらを振り返る。


「貴史ー!」

 果たして、甘ったるい声と共に登場したのは、傍らにピクニックバスケットを携えた倉橋なつきである。



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