全寮制男子校の食堂は、戦場だ。

 ここ、学内で唯一の食堂に、四六時中腹を空かせた育ち盛りのガキどもが一堂に集い、我先にと食料を求めて押し合いへしあいするのだ。
 単純に面積当たりの人口密度を言えば、ラッシュ時の大浴場の方が上回るだろうが、食堂での混雑にはそこに飢えという要素が加わり、一種殺伐とした独特の空気を醸し出していた。

 そう、まさに今、俺の眼前で繰り広げられている光景のように。

「やっばーい、Aセットなくなっちゃうじゃん、最悪ぅ〜! 長谷川が寝坊したせいだからね!!」
「お前こそ、寝癖直すのに時間かけすぎなんだよ! おいてめぇら、チンタラしてんじゃねーよ! 通れねえだろ!」
「ああ?! そっちこそ、後から来たくせに、大人しく列につけよ!」

 バタバタとせわしなく食堂に駆け込んできた生徒達が、トレイを持って席を探す生徒達の列に出くわし、朝から元気に角を突き合わせている。
 まったく…尻に卵の殻をくっつけたままのヒヨコたちとはいえ、飯くらいもうちょっと落ちついて食えないものか。

「ちょっ、割り込むなって! 皆並んでんだぞ!」
「うっせーな、ぼさっと突っ立ってねーでとっとと退けよ」
「おい、押すな…!」
「わ…っ」

 揉み合う声が大きくなり、そこに小さな悲鳴が重なる。
 何事かと目を向ければ、強引に割り込まれてよろめいた生徒が、後ろを歩いていた小柄な生徒にぶつかり、その身体がぐらりと傾いだではないか。

「危ね…!」

 慌てて手を伸ばすが、僅かばかり届きそうにない。
 押されて転んだ程度では怪我などはしないだろうが、トレイの中身はそうもいかない。
 無残にぶちまけられた朝飯のなれの果てと、その後始末のことを思い、俺は憂鬱な想いにかられたが…


「…大丈夫?」

 寸でのところで間に合った織田が、よろめいた生徒の身を片腕で受け止め、もう片手ですかさずトレイをキャッチしている。幸いなことに、大惨事は未然に防がれたのであった。

「混んでるから、気をつけて」

 そう言って織田が微笑めば、助けられた生徒は顔を真っ赤に染めて、ばね仕掛けの玩具のように勢いよくその身を起こす。

「きゃああああ! 織田様に笑いかけてもらっちゃったー!!」

 真っ赤な顔を両手で覆い、くるくると回転しながら黄色い声で叫ぶ生徒。先ほどの危機も綺麗さっぱり、ミーハーなもんである。

「いいなぁ、触らせて〜」
「やーだよー。もう一生手ぇ洗えない〜!」

 芸能人に出会った女子高生のようなノリで騒ぐ生徒達に、俺は呆れ顔で声をかける。

「お前らなぁ、浮かれ騒ぐより先にすることがあるだろ?」
「はっ、か、会長?! すいません、ついテンションあがっちゃって」
「織田様、助けていただいてありがとうございました!」
「これくらい、何でもないよ。怪我がなくてよかった」

 トレイを渡しながら、再びスマイル攻撃をかける織田に、のぼせあがったようにゆだった顔のチワワ達。ぽわんと呆けたように突っ立っている姿に、あいつらの頭は大丈夫だろうかと別の心配をしながら、俺は脇で傍観していた、騒動の原因の生徒達を睨みつけた。

「おめーらも、いくら腹が減ってるからって無茶すんじゃねえよ。世の中はてめぇ一人のためにあるわけじゃねーんだ、もうちったぁ周囲に気を使え」
「ご、ごめんなさい会長様! 僕が急かしたから…。今度からは、気をつけます…」
「サーセン、会長! 織田様も、ナイスフォローあざっした!」

「本当に反省してるのかねえ…」

 チャラい返事に渋い顔をする俺に、織田が今朝は大盤振る舞いの笑顔を向けてくる。

「格好良かったよ、各務」
「かっこよかったのはお前の方だろ。佐原の二つ名の、爽やか王子のお株を奪っちまえそうな働きだったぜ」
「本当? 嬉しいな」
「おお、マジマジ。この調子じゃ、王子の呼び名を冠する日もそう遠くはなさそうだな」
「各務に、かっこいいって言ってもらえたのが、嬉しいんだよ。他の人に、そう思われたいわけじゃなくて」
「あ、そ、そうなんだ? は、はは…あ、列も空いたし、飯選ぼうぜメシ!」

 織田スマイルに危うくノックアウトされそうになりながらも、俺は何とか目を逸らし、陳列ケースから次々と朝食メニューを選びだす。

「お早う。今日も食欲旺盛だねえ、各務君。本当に気持ちのいい食べっぷりだよ」
「スポーツマンたるもの、身体が基本だからね。おばちゃんの上手い飯たっぷり食って、いい身体作んねーとな」

 そう食堂のおばちゃんに言わしめた俺のトレイを見て、織田が目を丸くする。

「各務、意外と食べるんだね。筋肉質だけど、どっちかというと、細身なのに。俺も、わりと食べる方だけど、各務とは比べ物にならないや」

 たかだか、大盛りご飯とみそ汁と、焼き魚に卵焼き、それに野菜炒め、ほうれん草のおひたしにひじきの煮物、冷ややっこに豆のサラダ、ヨーグルトとフルーツがあるだけではないか。大袈裟な。

「俺程度で驚いてんなよ、うちの主将の方がもっとすげーぞ。胃袋が四つあるんじゃねえのかって勢いで詰め込んでくからな。ヤツの小遣いはほとんど食費に消えてるんじゃねえかと俺は睨んでるんだが…」
「水泳部って、ハードなんだね…」
「あれ? 俺、水泳部だって教えたっけか」

 そう、俺は実は水泳部に所属している、水泳部員なのである。
 水泳は、幼稚園の頃、親に身体を鍛えるためスイミングスクールに送り込まれてから、何だかんだで今まで続けられている、俺の数少ない趣味兼特技だ。
 生徒会に入ってからは多忙のため、めっきり顔を出せてはいないのだが…

「教えられなくたって、知ってるよ。うちの水泳部、強いし…各務だって、全国大会に出てたしね。有名だよ」
「インハイ常連のバスケ部エースの耳にまで名を轟かせるたぁ、俺もまだまだ捨てたもんじゃねえな」

「あっ、正巳! 各務も!!」

 そんな風にほのぼのとした会話を交わす俺達の背に、無駄に通りの良い声が呼び掛けてきた。
 振り返らずとも分かる、この澄んだボーイソプラノは…

「一緒に食べようぜー!」

 ぶんぶんと大きく手を振っているのは、今日も変わらず鬱陶しい黒髪の、KYの権化こと倉橋なつきだ。
 むっつりとした顔の取り巻き軍団に囲まれながら、無邪気に俺達を誘ってくれている。


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