「…あの後…親衛隊の皆と、謝りに行ってきたんだ。今まで、嫌がらせをしてきた相手に」

 その口から告げられた言葉に、俺は目を見張る。

 あれだけのゴタゴタの後で、織田はそんなことをしていたのか…

「俺が、頭を下げたから…皆、表立っては許してくれたけれど…本当はきっと、まだ傷付いたままの人もいると思う。俺達がしてきたことは、そんな口先だけの謝罪じゃ、済ませられないこと、だよね…。彼等から、本当の意味での許しを与えてもらえるよう…この先も、俺の出来うる限り、償っていきたいと思ってる。俺達は…俺は、それだけのことをしてしまったから」
「そうか…」

 声音に悔恨の響きを滲ませながらも、きりりと引き締まった表情でそう言う織田の姿に、俺は腹の底が熱くなるような、痺れにも似た感動を覚えていた。

 情けないことに俺ときたら、自分のことに手一杯で、被害者のケアのことなど考えつきもしなかったというのに。
 織田は姿の見えない被害者たちの存在を忘れず、彼等の傷を憂い、その先のことまで案じて、そして実際に動き出している。加害者サイドの者として当然と言えば当然のことなのだろうが、織田が、頼りなかったあの織田が。
 随分と、頼もしくなってくれたものではないか。いや…もともと織田は、穏和で生真面目で、何かと気配りができるタイプの人間だった。妙なコンプレックスに凝り固まって縮こまってさえいなければ、これくらいは出来て当たり前なのかもしれない。そういう意味では、織田が本来あるべき姿を取り戻したと言うべきか。臆病で引っ込み思案だった青年の影など、もはやどこにもない。

「頑張れよ…あ、でもあんまり頑張り過ぎんなよ。無茶してお前自身が潰れちまったら、元も子もねーんだからな」
「うん。俺の、出来る限りのことは、しようと思ってるけれど…それ以上のことは、できない。だって俺は、自分の気持ちを大事にすることの意味を、知ってしまったから。人に流されて、自分で決めることを怠ったつけが、あの事態だ。俺の弱さが、沢山の人を、各務を傷付けた…あんなこと、二度とごめんだ。だから俺は、もう絶対に、自分の気持ちから逃げることはしないよ。どうしたいか自分で決めて、どうすべきか自分で選ぶ…責任も、選択も全て、俺自身のものだから…その途中で何が起ころうと、全部受け入れて進んでいく……そう、誓ったんだ」

 俺の心配にも、織田は意外なほどしっかりした答えを返す。この様子ならば、罪悪感に付け込まれて食い物にされるといったような事態も起こらないだろう。本当に、強くなったものである。

「そっか。でも、何か困ったことがあったら、一人で背負い込まずに周りに頼れよ。親衛隊の奴等にでも、先生にでも、もちろん俺にでも。責任を取ることと、問題を抱え込むことは全く違うんだからな」
「うん、頼りにしてるね」
「何も出来ねえかもしれねえけど。それでも、俺なりに力になるからよ」
「そばに、いてくれるだけでいい。それだけで、俺はどこまでも頑張れる」

 またしても甘ったるい眼差しを向けられ、俺はうっと怯みつつ、慌てて話題を転じさせる。

「そ、そんじゃ、話もついたことだし、朝飯にすっかー。いい加減腹も減ったしなー」
「そうだね。俺も、お腹ぺこぺこだ」

 くすくす笑いながら、織田もわざとらしい俺の方向転換に付き合って、身を起こして歩き出す。

 結局のところ、織田との関係についてはまだ、はっきりとした答えは出てはいないのではあるが、当面は問題が先送りされたことに、俺は情けないながらもほっとした気持ちで、その隣に並び立ったのだった。





「ふぁ…」

 食堂への道すがら、俺と言葉を交わす織田が、何度目かの噛み殺し切れない欠伸を漏らした。
 一度や二度では済まないそれが気になって、俺は織田に問いかける。

「さっきからどうした? やけに眠そうだな」
「ん。罰掃除の、草刈りのせい。庭師さんが、暑くなる前に済ませたいからって、皆して5時に起きて刈ったんだ。エリアは広いけど、人数が多いから、予定よりずっと早く済ませられそうだって、喜んでたよ」
「あー…そういや、篠原の野郎が出した、地獄の罰則もあったんだっけな…。5時起きかー…キツイよなー」
「ちょっと眠いけど、涼しかったから、作業もそんなに辛くなかったよ。お昼は、理科準備室で、小森と標本磨きをして…放課後は、中澤とトイレ掃除があるから…生徒会には、遅れていくね」
「本当にお疲れさん」

 心の底から労わりを込めて織田の肩を叩いた時、間延びしたような声が俺達の背にかかった。

「あっれー。織田っち、こんなとこにいたんだー」

 振り向けば、そこには予想した通り、朝からジャラジャラと数多くのアクセサリーでその身を飾り立てた男子生徒の姿。

「三木本…」
「おっはよー、織田っち。ついでに会長。まぁた二人で一緒にいたんだー? 本当に、ナカヨシになっちゃったんだねー」
「まあな、おかげさんで」

 何とはなしにトゲを感じさせる物言いに、ニヤリと笑って言い返せば、三木本は一瞬眉間に皺をよせ、俺を無視するように織田の方へと顔を向ける。

「ところで織田っち、なっちゃんのとこ行かなくていいのー? 他の皆はとっくに一緒みたいだよー?」
「…今朝は、各務と一緒に食べようと思う」
「へえ? じゃあ、決めたんだー? なっちゃんは諦めて、会長にするってー。あんなになっちゃんにべったりだったのに、随分あっさり乗り換えちゃうんだねー。代わりを見つけたら、なっちゃんはもうお役御免なわけかぁ。見かけによらずー、薄情なんだね。織田っちは」

 険のある声でチクチクと責め立ててくる三木本に、織田は眉をひそめて言い返す。

「諦めるとか、乗り換えるとか、そんなことじゃない。なつとは、友達。各務とも、親しくなりたい。これは別に、矛盾することじゃないだろう?」
「ふうん? 随分と身勝手な言い分だよねえ。なっちゃんにもー、会長にも迷惑だけかけといてー、美味しいどこ取りしよーってことでしょー? ムシがいいってゆーかー、図々しいってゆーかー………調子のいいことばっか、言ってんじゃねえよ」

 緩すぎるほど緩かった三木本の声と眼差しが、不意に底冷えがしそうなほど、鋭く冷たい色を帯びる。
 突然のその変化に俺と織田は目を剥くが、瞬くほどの間もなく、三木本は再びいつもの弛んだ表情を取り戻した。そして、先ほどの豹変が夢か幻であったかのように、何事もなかった風に俺に笑いかける。

「会長もさー、気をつけた方がいいよー。織田っちは、優しくしてくれる人なら、誰でもいいみたいだからー。次を見つけたら、まぁたあっさり乗り換えられかねないよー?」
「三木本。お前は朝からそんなお節介を言うためだけに、わざわざ声をかけてくれたのか? 随分親切なこったな。けどな、ご丁寧に教えてもらわなくとも、織田がお前みたいに器用じゃねえことくらい、俺は十二分にわかってんだよ」

 親衛隊の奴等と身体の関係を続けながら、倉橋に言い寄っているのは三木本も同じだ。そんなお前に織田を不実だと詰る権利はないだろうとほのめかせば、三木本は口元に形だけの笑みを浮かべたまま、面白くなさそうに目を伏せる。

「…会長が織田っちに弄ばれたら可哀想だと思って、忠告してあげたのに」

 捨て台詞のようにそう言うと、踵を返し去ってゆく。その背中を、俺は呆気にとられたような心地で眺めた。

「…前にも言ったかもしれねえけど、何だあれ?」
「うーん…」

 答えを求めるでもない俺の呟きに、織田は苦笑と困惑の入り混じった微妙な表情を返す。

 以前にも似たようなことがあったが、その時といい今回といい、三木本の取る行動は、どうにも解せない。

 倉橋に惚れている三木本からすれば、織田は恋敵のはず。恋しい相手に纏わりつく輩は少なければ少ないほど望ましいだろうに、なぜ敢えて織田を倉橋のもとへと誘おうとするのか。
 俺への言葉にしたって、忠告というよりむしろ、織田との距離を縮めようとすることに対する、牽制と言った方が正しいだろう。織田が俺に興味を持てば、倉橋との接触に充てられる時間が減ることになって、三木本にとっては好都合だろうに。そうならないよう仕向けるような言葉は、なぜ。

 三木本の言動は、酷く矛盾しているのだ。当人が主張する、倉橋への恋情をまことのこととするならば。


「…倉橋のところに行かなくていいのか? 別に俺は、止めねえけど」

 三木本の言葉を、真に受けたつもりはないのだが。
 しかし、何とはなしに不愉快な心持になってしまった俺は、ついそう、試すようなことを織田に言ってしまう。

「三木本には言ったけど、もう一回、言わなきゃ駄目…? 俺は、各務と食べようと思ってるよ。一緒に、食べたいんだけど…?」

 織田は、そんなガキっぽい俺の反応にも、なぜか嬉しそうな笑みを浮かべて、くすぐったくなるような返事をくれる。

「…悪い。そうだな、さっさとメシにしねえとな。会長と書記が揃って遅刻なんてザマになったら、目も当てられねえ。まあた篠原の野郎に嫌味言われちまう」

 照れ臭さと気恥ずかしさと、それから、紛いようもない喜びが込み上げてきて。俺はだらしなく緩む頬を取り繕うこともできないまま、浮かれ切った顔を織田に向けた。


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