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「取り込み中悪ィが、お二人さんよ」

 …またしても流されてしまう!と焦り、厄介な吸引力を発する眼力から逃れるべく、ぎゅっと目を閉じた瞬間、横からそんな陰険な声がかけられ、俺と織田は慌てふためき互いから跳びのいた。
 声の方へと振り向けば、そこには薄笑いを浮かべた風紀委員長の篠原と、無表情でじっとこちらを見つめている桐嶋の姿が。けっして笑っていない目が怖いぞ、桐嶋よ…

「いくらバ各務とはいえ、ここが天下の通り道だってこと程度は知ってんだろう? 公然猥褻は風紀の取り締まり対象だぜ」
「チッ、野暮な野郎だな。こういうときは普通、黙って気を利かせるもんだろうが」

 本音を言えば、助かったぁあ!という安堵感で一杯なのだが、篠原には一言たりとも感謝したくない俺は、代わりに舌打ちを返すことにする。

「は。放っておいて、ここでおっぱじめられても迷惑なんでな」
「発情期の犬猫じゃあるめーし、こんなとこで盛るか。つーか、遅ぇんだよ。治安を守ることが風紀の使命なんだろうが。ことが終わった後でノコノコ出てきて、デケェ面してんじゃねえよ」
「どうせ、突っ込まれちゃいねーんだろ?会長閣下」
「てめーにゃ残念だろうがな」
「全くだぜ。んなことにでもなってたら、指さして笑ってやろうと思ってたのにな」
「てめえ!人の貞操を何だと思ってやがる!」
「ああ? 孕むわけでもあるまいし、野郎の処女なんぞ、パンの耳ほどの価値もねえだろ」

 ハン!と鼻で笑う下衆野郎にわなわなと肩を震わせた俺は、隣に佇む桐嶋を睨みつけた。

「桐嶋!」
「大丈夫です各務様、各務様の唇やお身体、もちろん処女には千金、万金の値があります! 金銭で贖えるものならば、不肖ながらこの桐嶋、喜んで支払わせていただきますから!」
「違ぇよ、どうでもいんだよンなこたぁ! 風紀委員は山ほどいるってえのに、何でよりにもよってこの性格破綻男を呼んできた!」
「この学園のトップである各務様の一大事を、一兵卒に過ぎないヒラ委員に任せられるはずがありません。各務様の親衛隊長として、ここはけっして譲れない一線です」

 無駄に胸を張って答える桐嶋。いや、百歩でも二百歩でも譲ってくれて構わねえから、全然!

「そいつから大体の話は聞いたが、当事者全員から事情を聴取しねえことには、事実関係を把握したことにはならねえからな。ホシは部屋の中か? てめえらも同席して尋問に協力しろ」

 そう言って、俺の首根っこを掴んだ篠原が教室の扉を開くと、その姿を認めた織田親衛隊の面々の顔が恐怖に引き攣った。

「風紀委員長…!」
「おら、委員長御自ら足を運んでやったんだ、三跪九拝して出迎えろよ、愚民共」
「てめぇは中国皇帝か! つうか放せ! 猫掴むみたいな持ち方すんな! 俺を誰だと…」

 わめいてもがけば篠原はあっさりと手を離し、俺を無視して、親衛隊員らへと絶対零度の眼差しと笑みを向ける。

「この俺があれほど釘を刺してやったにも拘らず、またしても馬鹿をやってくれたみてえだなあ。風紀の長たる俺の警告を無視するとは、イイ覚悟だ。愚行の報いに然るべき処罰を下してやる。おら、ここまできたらみっともなく足掻かずに、観念して全て白状しやがれ」
「中澤…」
「…これ以上醜態を晒し、織田様にご迷惑をかけるわけにはいきません。ええ、倉橋なつきに対する行為も含めて全て、我々親衛隊が行ったことです…」

 心配そうな顔の織田に微笑みかけ、中澤は淡々とした口調でこれまでの行いについて語り始めた。
 倉橋に対する嫌がらせのこと、俺を騙しておびき寄せ、集団で暴行を加えようとしたこと。以前から、同様の手口で織田に近付いた生徒達を脅していたこと。
 敬愛する織田の前で自らの恥部を披歴することは、中澤にとっては耐えがたい屈辱だろうが、それを表情には出さずに、あくまでも神妙に自供するその姿に、織田の方が痛ましげな顔になる。

「以上、中澤の自供に異存はないか、織田」
「…ああ。俺に、否やがあるはずもない」

 全てを聞き終え、確認してくる篠原に、織田は沈痛な面持ちで肯く。それを受け、篠原はどこまでも冷徹な表情で親衛隊員等を見渡した。

「なるほど。ならば決まりだな。物証はねえが、この俺に加え会長と書記、役員二人の証言があれば、証拠として事足りる。集団暴行未遂並びに脅迫、器物損壊。退学処分を下すには十分すぎる罪状だ」

 その唇からもたらされた退学という単語に、メンバー等の顔色が蒼白になる。ただ一人、中澤だけは落ち着いた様子だ。全て、最悪の事態も覚悟の上で行ったことだというわけか。改めて、その想いの深さを思い知らされる。
 だがやはり、中澤ほど頭が回らなかった模様の残りの面子は、退学という事態に動揺しきっているようだ。
 無理もない、この桜坂学園は、世間一般にも名の通った日本有数のエリート校なのだ。この学園を卒業したという事実は、社会に出た後もステータスとなって輝かしい栄光を与え続けるが、その半面、退学になったとあれば、自らの無能を曝け出すも同然、出来損ないの烙印を押され、一族からも社交界からも見放されてしまう破目になる。一生涯を棒に振ることになりかねない事態なのだ。

「そこまでは必要ねえだろ」
「ああ?」
「こいつらはやり方は間違ったが、織田を守るためにしたことだ。俺を暴行すること自体が目的だったわけじゃねえし、情状酌量の余地はあるだろ」

 今にもぶっ倒れそうな顔色の親衛隊員達が哀れで、思わずそう取り成してやれば、篠原が軽蔑しきったといった眼を向けてくる。

「馬鹿か、お前は。悪意がねえから更生可能だとか、生温い戯言を言うつもりじゃねえだろうな。動機がどうであろうが、起こった事実は変わらねえ。犯罪は犯罪だろうが。半端な同情心で善悪の境を見失ってんじゃねえよ。これ以上下らねえ真似を起こさせないためにも、悪の芽はさっさと刈り取るに限るんだ」
「こいつらは根っからの悪人じゃねえ! 性根がひん曲がってねえなら、人間、いくらだってやり直せるだろ!」
「ふん。そもそも、真っ当な人間は犯罪行為なんて犯さねえんだよ。リスクとリターン、我欲と倫理観を秤にかけて、必ず正しい道を選ぶもんだ。それが出来ねえなら、そいつは一人前の人間として、社会を生き抜く知恵も能力もねえってことだ。今見逃してやったところで、どうせまた同じことを繰り返し、いたずらに被害者を増やすだけだ。治安を維持するには、規律を乱した者を排除するほかねえだろうが」
「こんの、四角四面の石頭! てめえの勝手な了見で決めつけてんじゃねえよ! 変わりたいとさえ思えば、いつだって人は変われるだろ! 織田も、親衛隊の奴等も、これからまた新しい気持ちでやっていこうって決めたばかりなんだ! こいつ等が悩んで足掻いて決めた道を、そんな簡単に否定すんな!」
「篠原、どうか俺からも頼む」

 いきり立つ俺に続き、織田が必至な顔で篠原に懇願する。

「こんなこと、俺が言えた義理じゃないことは分かってる。でも、どうか、もう一度だけ、チャンスを与えてやってくれないか。中澤達は二度とこんなことを繰り返さないから…俺が、絶対にさせないから…!」
「大体なぁ、被害者の俺がいいっつってんだ、ちったぁ融通利かせろよ! 杓子定規な罰則を与えるだけなら、猿にでもできるだろ。個々の事情に見合った判断を下すために、人格的に優れていると見做された人間が、風紀委員として選ばれるんだろうが!」

 まあ、目の前の陰険性悪野郎が人格者とは、俺には到底思えないんだがな!

「それでも、どうあっても意見を覆さねえってなら、俺にも考えがある。最後の切り札…会長拒否権を発動してもいいんだぜ」
「なっ…!」

 俺の台詞に、篠原のスカシ野郎が目を見張る。

 風紀委員が解職請求権という最終通告を有するように、生徒会の長たる会長もそれに劣らぬ最終兵器を持つ。議会の決定や各委員会の執行に対し、絶対的な拒否権を発動できるのだ。
 もちろん、拒否権の濫用は許されないし、発動後には厳格な審査にかけられ、行為が正当であったか否かを審議される。不当に権利を使ったと判断された時は、リコールにより生徒会長を解職させられることすらあるもろ刃の刃。だが、一旦下された拒否権が覆されることはない。

「てめえ…! そこまでするか…?!」
「お前の偏屈さがそうさせたんだろうが…!」

 ぎりぎりと火花を散らして睨みあう俺と篠原。
 見えない角を突き合わせあう俺達の均衡状態を破ったのは、第三者の甲高い叫びだった。

「それで、僕等に恩を売ったつもりですか?! 言っておきますが、そんな風に庇われたところで、嬉しいどころか屈辱的なだけですし、あなたにほだされるつもりもありませんから!」

 小森が真っ赤な顔で、俺を睨みつけていた。


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