28

 ごっちん。

「〜〜〜〜っ!!」

 鈍い音を伴う衝撃とともに、目から火花が飛び散りそうな痛みが脳天を貫く。ぐるぐると回る視界に、揺れる脳味噌。
 俺は声にならない悲鳴を何とか飲み下し、涙目でデコを押さえる織田を睨んだ。

「か、各務…?」

 どうしてこんなことをされたのか、全く持って理解できない、そんな面持ちである。
 なにゆえ頭突きをかましたのか、それは俺にも分からない。織田を引きとめるだけなら、もっと他に穏便でスマートなやり方があるだろうに。
 だが、一人でうじうじ悩んだ挙句に、とんでもない方へ突っ走っていくような大馬鹿野郎の頭を冷やすには、これっくらいキツイお灸をすえてやらねば到底足りないと、無意識のうちにそう思ったのだ。

「一人で勝手に決めてんじゃねー、馬鹿! 誰がそんなことしてくれって頼んだよ!!」

 胸倉を引っ掴んで恫喝するように言ってやれば、唖然としていた中澤が血相を変える。

「ま、正巳様っ!! 各務会長、あなた、一体何を…!! 無礼千万にもほどがある!! この方をどなたと心得て…」
「やかましい! お前らもいつまでも無礼だの主従だの、時代遅れな寝言ほざいてんじゃねえ! 身分制度はなくなったんだって、歴史の授業で習わなかったのか!」

 駆け寄ってきた中澤にそう叫び返し、俺は至近距離にある織田の顔を睨み据えた。

「俺、言ったよな? 逃げるなって」
「に…逃げたんじゃない。俺は、各務のために…」
「俺のためぇ? 俺の幸せを、お前が勝手に決めんじゃねえよ! お前が悩んでんのに自分一人厄介事から解放されて、俺が枕高くして眠れるようになるとでも思ったのか? そういう風に見られてんなら、随分と見くびられたもんだな」
「違う!! そうじゃない…最初から、俺が誰とも関わらなければ、迷惑をかけることもない……だから、俺は、もう…一人でいいんだ」

 なおもふざけた戯言を抜かす織田に、俺は眦を吊り上げた。

「いいわけねえだろ馬鹿野郎!! そうやって誰も彼も切り捨ててったら、仕舞いにお前、本当に一人っきりになっちまうだろうが!! 俺や倉橋が下らねえ嫌がらせに耐えたのは、お前にそんな思いをさせるためじゃねえんだよ!」
「それが、嫌なんだ!! そうやって俺のために、各務や、なつを…大切な人を苦しめて傷付けるくらいなら、俺なんか、どうなったって構わないから…」

 ぶった切れた俺の剣幕にもひるまず、織田は叫び返す。普段はおどおどしている癖に、何でいらん時にだけ強情を張るのか。歯噛みしつつ、織田を諭すべく言葉を探す。

「ざっけんな! お前はただ捨て鉢になってるだけだ! 大体、他人との関わりを捨てたからって何になるってんだよ! 問題から目を背けてるだけで、ことはちっとも収まっちゃいねえだろ! そんなやり方を選んだところで、俺も倉橋も、親衛隊の奴等も、もちろんお前も、誰一人救われねえだろうが!」
「じゃあ…どうすればいいんだ!! 中澤達に、嫌がらせを止めるように言っても、聞いてくれなかった! だから今度は、距離を置こうとすれば、各務は不快に思う! なら、あとは俺が、誰とも親しくしないようにするしかないじゃないか…! それも駄目だっていうなら……もう、俺は…これ以上…どうしていいのか分からないんだ…」

 泣き出しそうな声で思いを吐き出して、織田はくしゃりと顔を歪ませた。

 外野の俺があれこれ口を挟んでしまったせいで、かえって織田を悩ませることになってしまったのかもしれない。だがどうせ、いつまでも親衛隊に馬鹿げた行いを続けさせておくわけにもいかないのだ。遅かれ早かれ、解決しなければならない問題ならば、この機を逃す手はない。カサノバ計画に巻き込んで、織田の身辺をひっかき回した責任は、きっちりと取ってやる。そのためにも、まずはこいつの気持ちをはっきりさせねば。

 織田の胸倉を掴んだまま、俺は静かな声で言う。

「…織田。俺はな、嫌がらせの始末から逃げんなって言ってんじゃねえ。自分の思いと、親衛隊の奴等と向き合うことから逃げんなって言ってるんだよ」
「向き合う…って、言ったって…」

 上目づかいにこちらを見やるその顔は、もはや半べそ状態だ。寡黙でクールなところが素敵だと、普段熱を上げているファン達がその様を見たら、卒倒して泡を吹くかもしれない。
 思わず苦笑した俺は、子供をあやすような気分になりながら、織田の髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。

「お前、本当はあいつ等とどういう関係になりたいんだよ。過保護な母親だの、やるためだけのセフレだの、ルール無用の私兵だの、ずっとそんな形の付き合いを続けたままでいいのかよ?」
「…いや、だ…」

 問いかけに、織田は弱々しくも首を横に振る。

「だったらどうしたい。望むことがあるならなら、はっきりそう言え。そんな泣きそうな顔で、言葉を飲み込んでんじゃねえよ。お前のその口は、ただものを食うためだけにあるわけじゃないだろ? お前の想いを、伝えるためにあるんだろ? 口下手でもいい、言葉を飾り立てる必要なんかないんだ。こいつらはみんな、お前のことが好きなんだ、どんなお前だろうと拒んだりしねえよ。だから、ビビるこたあねえ。腹ン中に溜まってるもん、全部ぶちまけちまえ」
「…でも、俺は…」

 潤んだ瞳が逃れるように伏せられようとするが、俺はそれを許さず、両手で頬を包んで強引にこちらを向かせる。

「だーっ、もう!ウジウジすんな!!顔上げてシャキッとしろ! 大体、お前もお前だぜ。自分は何の努力もしないのに、親衛隊の奴等からいいとこ取りだけしようなんざ、虫がよすぎるっつうもんだろ。与えられて手に入ったものは紛いものだって、本当の価値はねえって自分で言ってたよな。だったら本物を、価値あるものを得るために、今度はお前が頑張ってみろよ。欲しいものがあるなら、自分の力でもがいて足掻いて、悩み抜いて手に入れろ。自分の気持ちから逃げずに、正面切って向き合えよ。
 なあ、織田。お前が本当に望んでることは一体何だ…?」
「俺は…」

 織田の言葉が途切れ、切れ長の瞳が固く閉じらる。

 駄目だったのだろうか。俺の言葉はこいつに届かなかったのだろうか。結局織田は、自分の殻に閉じこもって逃避することを選んだのだろうか。
 いや、今の織田はそんなことをするような『弱い』人間ではないはずだ。倉橋や俺という存在に触れて、強くなりたいと、そう願うようになっていたではないか。現状に甘んじ、困難から逃げ出すだけの人間ならば、そもそもそんなことを考える必要はないはずだ。
 俺は、織田を信じる。こいつの内に潜む強さを信じる。自分の弱さに打ち克つだけの力が、織田の中には必ずあるはずだ。変わりたいとそう願った時から、前に向かって一歩ずつ、歩を進めているのだから。

 その証に、織田の瞳は再び開かれた。真っ赤に充血した、兎のような目の色だったが。

「親衛隊なんて形じゃなくて……普通の…友達として、一緒に…いたかったんだ…」

 震える唇からようやく零れた本音に、俺は口の端をつり上げた。


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