27

「お前ら…少年漫画のヒーローかよ…」

 そして、俺は悪役にさらわれた姫君かよ。

 暮れかかった太陽が照らし出したのは、戸口に佇む織田と桐嶋のシルエット。
 ヒロインが敵の手にかけられるまさにその寸前といった、絶妙すぎるタイミングでの到着に、絶望に染まっていた俺の顔にも思わず笑みがこぼれた。


「お、織田様…」

 親衛隊の奴等は主の想定外の登場に動揺し、どうしていいやら分からない様子で固まっている。奴等の気が削がれたこの隙に…と、拘束から逃げ出そうともがいてみたが、こんな場面だというのに俺を押さえつける腕の力は抜かれないままだ。驚き過ぎて硬直しているだけかもしれないが、融通のきかないことである。

「各、務…」

 室内の有様を目にした織田は絶句して、喘ぐように息を飲んだ。そして、ぎり…と剣呑に目を眇めると、大股で教室を横切ってきて、俺を押さえつけていた男の一人を無言で殴り倒した。
 おっとり・おどおどがトレードマークの織田らしからぬご乱行に、小森が悲鳴を上げ、他の奴等も弾かれたように俺から身を離す。

「各務様っ!!」

 その騒ぎを合図に、呆然と立ちすくんでいた桐嶋が、悲痛な叫びを上げて駆け寄ってきた。

「ああああっ…!! どうして、こんな…! 申し訳ありませ…っ!! 俺はあなたを、お守り…できなかった…」
「桐嶋、大丈夫だから泣くなって。こんなナリだが、何もされてねえからよ。ギリギリセーフだ」

 身を起こした俺の隣に膝をつき、綺麗な顔をぐちゃぐちゃにして取り乱す桐嶋に、そう言って落ちつけてやる。

「本当に、何も…?」
「ああ。ちょこっと触られて吸われた程度だからよ。これくらい、蚊に刺されたようなもんだ」
「よ、よかった…」

 嗚咽に合わせて上下する背中に腕を回し、ゆっくりと撫でてやる。そうしてようやく人心地付いたらしい桐嶋が、顔を上げる。俺と目が合い、フッと恥ずかしそうに微笑んだ桐嶋は、ふと視線を逸らした次の瞬間、赤くなった眼を丸くさせた。

「ところで各務様、あれは放っておいてよろしいのでしょうか…」

 遠慮がちに指差す先には、先ほど殴り倒した隊員に馬乗りになって、なおも殴打を続ける織田の姿。
 隊員の顔は鼻から溢れた血で真っ赤に染まって、軽くスプラッタだ。

「各務様を傷付けようとした輩などどうなろうとも構いませんが、あのままでは過剰防衛で風紀委員に目をつけられかねないのでは…」
「どっわああああ!! ストップ! 織田ストーップ!!」

 俺は慌てて立ちあがって織田にかけより、両腕を押さえつけて必死に宥める。

「あ…」

 俺の声に、織田がハッと我に返る。男から手を離して振り返った織田は、俺の姿を目にして苦しそうに眉をひそめた。そして狂おしげな声とともに、逞しい腕で俺の身体を抱きすくめる。

「ごめん…ごめん、各務…!!」

 俺の肩に顔を埋め、聞いているこちらが痛ましくなるような悲愴な声で、何度も謝罪を繰り返す。

「ああ、うん…俺は大丈夫だからよ。お前達が助けに来てくれたから、何にもされなかったから。だからそんな思いつめるなって。この通りピンピンしてるだろ? だからさ、とりあえず、ズボンだけはかせてくれるか」

 ムードぶち壊してすまんが、破れたシャツ一枚にフルチンの装備というのはいささか気恥かしいものがある。

「ご、ごめ…!」

おどけた風にそう言うと、織田は真っ赤になって腕を放し、半裸の俺から目を背ける。ううむ、風呂場でお互いすっぽんぽんを晒しているのだから、今更照れるこたぁないと思うのだが。まあ、間抜けな格好に違いはないので、この姿を直視しないでいてくれるのは素直にありがたいと言っておく。

「にしてもお前ら、何で、ここに…」

 拾ったズボンを履いている間の沈黙と衣擦れの音が気まずくて、俺は二人にそう問いかけた。

「各務様…普段よりお帰りが遅いのようなので、心配になりまして。特に、今朝あんなことがありましたから、万が一のことがあってはと思って探しに参ったのですが、その途中で、織田様と出会いまして…」
「俺より先に帰ったはずなのに、おかしいと思って探してたら…この教室の前に、親衛隊の奴が一人、まるで、見張ってるみたいに立ってて。何してるか尋ねても理由を言わないし、どこうともしないから、殴り倒して部屋に入ったら…こんな…」

 殴り倒したのか。さっきといい、今といい、切れたらなかなかにバイオレンスなんだな、織田。まあ、男の子は、いざというときそれくらい逞しくてなんぼだろう。

「そっか。サンキュ…」

 絶体絶命のピンチから助けてくれた二人に笑って礼を言うと、拍子に、緩みかけていた涙腺からぽろりと雫が零れ落ちた。今更になって、あの時の恐怖が形を伴って噴出されたらしい。

「あ、あれ…? ま、待て!違うから!! これ、涙じゃなくて汗だから!」
「各務…」

 いい歳して泣かされた気恥かしさで、苦しい言い訳をひねり出す俺の頬に、織田がそっと手を触れる。

「…もう、絶対にこんなことはさせないから」

 頬を伝った水滴を優しく拭うと、少しだけ寂しそうな顔で微笑み、真摯な眼差しで俺にそう告げた。
 そうして、俺の身を桐嶋に預けると、織田は親衛隊員達へと向き直る。

「各務が、何をした…!!」

 びりびりと空気が震えるような強く低い声で、織田が叫ぶ。

「お前達にこんな仕打ちをされなければならないようなことを、各務がしたのか!!」
「彼は、あなたに害を成そうとしているのです、正巳様」

 織田の喝に、小森や他の隊員が怯えて身を竦ませる中、中澤はただ一人、落ちつき払ってそう答える。

「何が、害だ。各務はただ、孤立していた俺を気にかけてくれただけだ!」
「正巳様。お付き合いいただく人間は、熟考の上お選びくださらなければ。各務会長が何らかの魂胆を秘めてあなたに近付いたのではないと、どうして言い切れましょう。甘言を弄して正巳様に近付き、身体を使って籠絡しようとしているのかもしれません。そうして、関係していたという事実を盾に将来、あなたや織田家に金品や地位をせびったりといった、恐喝まがいのことをしないとも限らない。あるいは油断を誘い、織田傘下企業の情報を引き出そうとしているのかも。そんなことになってしまってから後悔しても、遅いのですよ?」
「下卑たことを。各務がそんなことを考えるわけがないだろう。各務は…損得なんか考えずに俺と付き合ってくれている。各務は優秀で聡明で、人望もあって、そして強い。俺なんかにすり寄らなくても、一人で全てを持っているんだ。各務に頼り切っているのは、むしろ俺の方だ…」

「うっ…」

 俺を信頼しきった織田の言葉に、僅かな良心がずきりと痛み、呻き声が漏れる。
 仕事をさせるため、マキにそそのかされて近付いたなんて、言えやしないぜ、絶対に。
 こうなれば仕方がない、嘘を真実にしてやるまでだ。この秘密は俺一人(とマキ)の胸に秘め、墓場まで持っていこう、愚直に俺を信じてくれた、織田のために。

「それも今のうちだけですよ。この学園の中ではちやほやもてはやされていても、社会に出てみれば全てが変わる。多少容姿や能力に優れているといっても、そんな人間は彼の他にもざらにおります。各務会長は、所詮はワンオブゼムに過ぎないのですよ。世界に名高い織田の御曹司の正巳様とは、並び立つべくもありません。いつしか、正巳様に到底及ばぬちっぽけな自分に不満を抱き、妬み嫉みといった感情を覚えて、浅ましい行動を取ろうとするであろう姿が、私には手に取るように見えていますよ」
「各務はお前達とは違う。自分が常日頃からそんなことばかり考えているから、誰も彼もが疑わしく見えるだけだろう。お前が今語ったのは各務のことじゃない。鏡に映った自分の姿だ」

 敬愛する織田からの手酷い侮辱に、中澤はカッと頬を赤くして、初めて声を荒らげた。

「私は…あなたのためを思って申し上げているのです!!」
「俺のため? 違うだろう、お前達にとって大事なのは俺じゃない、織田の名前だろうが! 織田の一員である俺から引き出せる権益が減るのが嫌で、俺に近付く人間を片端から排除しているだけじゃないか!!」

 いきり立った中澤の剣幕にも負けない迫力で、織田は怒鳴り返す。
 …そうしたのち、激昂した自分に疲れたかのように息を吐き、顔を俯けた。

「…中澤。中等部で初めてお前が俺に声をかけてくれた時…俺は、嬉しかった。俺は口下手で、引っ込み思案で、いつも兄さん達の影に霞んでいたから。織田本家の人間と言っても三男坊に過ぎない俺に、価値を見出す奴は少なかった。だから、こんな俺でも気にかけてくれる人がいるんだってことが、すごく…嬉しかったんだ。
 でも、結局…お前が、お前達が見ていたのは俺じゃない。織田正巳という、織田家に所属する人間だった。俺という人格は、お前にとって何の値打もなかったんだ。違うとは言わせない。お前達は、自分の利益を確保するためには、俺の意思なんていくらでも無視してしまえるんだからな」
「正巳様…私は、そんな…」

 愕然と首を振る中澤に、織田が皮肉げな笑みを向ける。

「…もう、いい。どうせ、俺が何を云おうとも、お前達には伝わらないんだろう。俺は金輪際、各務にもなつにも近付かない。だからお前達も、二度とこんな真似をしようとするな」

「なっ…」

 織田の口から告げられた台詞に、俺は目を見開き、中澤は顔を輝かせた。

「正巳様、分かってくださったんですね! そうです、あなたには我々がいれば…」
「勘違いをするな! 俺はもう、誰とも関わるつもりはないと言っているんだ! 各務もなつも、そしてお前達もだ!! こんな馬鹿げた嫉妬劇にはうんざりだ。俺のためという名目でお前達がどう尽くしたところで、俺がお前達に目をかけることは絶対にない!!」

 中澤の顔に浮かんだ期待を振り払うように、勢いよく右腕を振り下ろし、織田が叫んだ。
 突きつけられた突然の決別宣言に、中澤が顔を蒼白にして立ち尽くす。

「正巳、様…」

「織田様、そんな…!」
「我々は、あなたのために…」

 うろたえる親衛隊員達に背を向け、織田が俺を振り返る。

「ごめん、各務…せっかく、声…かけてくれたのに。やっぱり俺は、強くなんてなれなかった…」
「お前、何言って…」
「俺のせいで、何人もの人を傷付けた。各務、お前も……俺が不甲斐ないばかりに、辛い思いをさせて。…守れなくて、すまなかった。だけど、もう大丈夫だ。俺さえ近付かなければ、誰もこんな目に遭うことはない。…俺みたいな情けない奴は、誰とも関わらない方がいい…。その方が、皆しあわせだ。各務…今まで、ありがとう。一緒にいれて、楽しかった」

 二度と傷付けさせないと誓った時と同じ、寂しげな目で笑いかけて、織田は呆然としていた俺の横を通り過ぎる。
 遠ざかろうとする背中が、でかい図体をしているくせに、何故かやけに小さく見えて。
 俺は咄嗟にその背を追い掛け、肩を掴んで引き止めていた。
 そして。

「逃げんなっつっただろうが、こんの馬鹿野郎が!」

 そう叫び、振り返った織田の、泣き出す一歩手前のヘタレた顔めがけて、渾身の頭突きを繰り出した。


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