放課後の生徒会室。
執務を終え役員等は、部活動に行くものや寮へと帰るもの、各々早々に部屋を後にしたが、織田だけは自分の用務を済ませたのちも室内に残り、細々とした書類仕事を続ける俺の姿をジッと見守っていた。
織田とは朝、喧嘩別れをしたっきり、昼も別々にとった上、執務中もろくに会話を交わしてはいない。恐らくは、俺と話がしたいがために生徒会室に居残っているのだろうが、生憎、こちらはまだ腹の虫ががおさまってはいないのだ。織田と楽しくくっちゃべる気持ちにはとてもなれない。
向けられてくるもの言いたげな眼差しをひしひしと感じながらも、俺はひたすら書類整理に没頭しているふりを続けていた。
窓の外が紅に染まり始めた頃、ようやく仕事を切り上げ帰り支度を始めると、織田は席を立ち、俺のデスクの前に立った。
「各務…話が、したい」
「俺はねえよ」
思いつめた顔でそう切り出してくるが、俺はそっけなくあしらって、鞄を掴んで生徒会室の扉を開ける。
「各務…!」
背中越しに苦しげな叫びが投げかけられるが、俺はそれを振り切るように、叩きつけるような勢いで扉を閉めていた。
「あああっ、チクショウ! 何であんなこと言っちまったんだ…」
人気のない廊下を歩くうちに、不意に途方もない自己嫌悪に襲われて、俺は頭をガシガシ掻き毟った。
気が弱く押しにも弱い織田のことだ、親衛隊に積極的に誘われれば、断ろうにも断り切れなかっただろうと、容易に想像できるのに。
…なのに、一方的に織田を詰り、拗ねて、無視して。子供の駄々のように見境のない自分の行動が、馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。
「くっそ…」
…収まりきらない苛立ちの原因は分かっている。
ショックだったのだ、織田の一連の行動が。
純情だと思っていたあいつが、複数の人間と寝ていたこと。
思いつめた上の小森の行動を、みっともないと評したこと。
小森を冷淡に泣かせたそのすぐあとで、何の屈託なく俺に笑いかけてきたこと。
そして何より、愛情の表現方法に難有りとはいえ、自分を一途に慕う、一度は身体の関係まで持った人間を、織田はあんな風にバッサリと切り捨てる奴なんだという、その事実が。他のどんな事実より深く、俺を打ちのめした。
臆病で人見知りだが、根は優しい奴だと思っていたのに。弱いからこそ、人の痛みが分かる奴だと、そう思っていたのに。
信じていた人間に裏切られたような…いや、俺が今まで見てきた織田正巳という人間が、突如として得体の知れない存在に変わってしまったような。そんな戸惑いが心をかき乱し、俺を織田と正面から向き合うことから逃げさせていた。
顔を伏せ、鬱々とした気持ちで廊下を歩いていた俺の目に、二対の脚が写り込んできた。
進路に立ちはだかるように並んだ脚の主を確認すべく、目線を上げてゆくと、そこには見知った顔と、見知らぬ顔の二つがある。
「お待ちしておりました、各務会長」
見知らぬ顔の主が、そう言って会釈をする。
「お前らは…」
「私は織田様親衛隊の隊長、中澤と申します。こちらのものは小森…紹介するまでもなく、ご存じとは思いますが」
無表情の小森の隣に立つ、いかにも生粋のエリートといった雰囲気を漂わせるその生徒の自己紹介に、俺は目を眇め、警戒心も露わに問いかける。
「何の用だ」
「各務会長には、今朝の騒動のことで、謝罪させていただきたく…」
「謝罪?」
中澤の口から出た予想外の言葉に、俺は目を丸くした。
「今回の一件…倉橋なつきと各務会長への度重なる嫌がらせは、この小森が先走って行ったことです。我々親衛隊の本意ではありません。小森の不徳のため、各務会長には多大なご迷惑をおかけしたこと、心からお詫びいたします」
真摯な声で謝罪の言葉を述べ、中澤は深々と頭を下げる。
「お前も謝罪しなさい、小森」
「…はい」
中澤に促された小森はのろのろと前に進み出て、がくりと崩れるように廊下に膝をつく。
「申し訳、ありませんでした…」
そしてそのまま床に手を置いて、ゆっくりと頭を垂れてゆく。その動作に、俺は慌てた。
「ちょ、おい! 何もそこまで…!」
土下座とか。謝罪はまあ受け入れるとしても、人間の尊厳を貶めかねないそんな行為までして欲しいわけではない。
それに、放課後ゆえ人通りは少ないとはいえ、皆無というわけではない。こんな場面を目撃でもされれば、後々どんな噂を立てられるか分かったものじゃない。
「とりあえず、場所を移すぞ。こんなところですべき話じゃないだろう」
「会長が、そう仰るのであれば…そうですね、そこの教室なら、この時間は誰も使っていないようでしたが」
「分かった、とにかく移動しよう」
そうして誘導された先の空き教室で、再び中澤は俺に向き直り、神妙な顔で謝ってくる。
「このたびのこと、本当に申し訳ありませんでした、各務会長」
「…まあ、反省してるなら、今回の一件は水に流してやらないでもない。俺としても、ことを大きくはしたくないしな。倉橋にもちゃんと謝って、二度とこんな馬鹿をしでかさねえと誓うなら許してやるよ」
「はい。もう二度と、こんな無様な真似は致しません」
我ながら甘いとは思うが、反省している人間には更生の機会を与えるべきだろう。
上役の中澤がああまで言うからには、小森も嫌がらせを続けるどころではなくなるだろうし…
「あんな、物証を山のように残すような真似をして。我々がやったのだと喧伝するような方法では、織田様にご迷惑をおかけするだけですから。我々はもっと巧妙なやり方で、ターゲットの心を挫いてみせます」
「え」
にこやかに述べる中澤。だがしかし、その内容はどうにもおかしくないだろうか?
「たった一人でこんな密室についてこられるとは。警戒心に欠けると言うか…思っていたより、頭がお悪くていらっしゃるようだ、各務会長は」
呆れと蔑みが入り混じった笑みを浮かべた中澤の台詞に、俺は遅まきながら、罠にかけられたことを悟ったのであった。