19

 およそ荒事とは無縁そうな美青年二人による、仁義なき戦いが繰り広げられようとした、まさにその時。

「はいはい皆さん、朝から面倒事は慎んでくださいね」

 パンパンと掌を打ち合わせながら、一人の男子生徒が人込みを割ってこちらへと歩み寄ってくる。
 シルバーフレームの眼鏡をかけた、真面目そうな印象の、整ってはいるが取り立てて特徴のない相貌の主だが、この学園で奴の顔を知らない人間はいないだろう。

「く…風紀委員…!」

 小森が悔しそうに呻き、振りあげていた拳を解く。

「その通り。僕等が来た以上、下らない小競り合いなんて起こさせませんよ」

 揉み合う形の桐嶋と小森を、有無を言わさぬ強引さで引きはがしながら、そう言ってにっこり笑う。
 この柔和な物腰の男こそ、何を隠そう、泣く子も黙る風紀副委員長、相内利久(あいうちりく)なのだ。
 風紀のナンバー2であるこいつがここに来たということは、もしかして…

「随分と派手な登校だったじゃねえか、会長閣下」

 嘲り調子の低い声が耳朶をくすぐり、俺は苦々しい思いで背後を振り返る。

「まさかあの各務が、お姫様よろしく抱かれてるなんてな。朝っぱらから腹ワタがよじれるほど笑わせてもらったぜ」

 やっぱり、篠原の野郎も一緒か。
 吐息がかかりそうな距離で陰険なニヤニヤ笑いを浮かべる天敵を、しかめっ面で睨み返す。

「篠原。あなたも条件反射みたいに各務会長に喧嘩を売らない。気になる子ほどイジメたいという心理は理解できないこともないですが、高校生にもなってそういう子供のような真似は、同じ風紀委員として恥ずかしいですし、早々に改めてくださいね」
「…おい、利久。誰が誰を、どう思ってるんだってぇ?」
「友人の口を借りて告白なんて、女子中学生じゃないんですから。それより今は、事態の収拾を図るのが先でしょう? びしっと決めてくださいね、風紀委員長」

 顔を引き攣らせる篠原を軽くいなす相原。さすが女房役、厄介な相棒のコントロールもお手の物のようだ。

「役員の親衛隊員同士がイザコザを起こすなんざぁ、昨今の生徒会の威信も地に落ちたな。てめえらの器量の乏しさを語るも同然じゃねえか。こんな奴等がこの学園の顔役だなんて、情けなくて涙が出るぜ」

 絡みの矛先をこちらに向けてきた篠原を、迎え撃つべく俺は口を開いた。

「はん、親衛隊も結成されない野暮な風紀委員長にゃ、人間の情緒ってもんが分からねえみてえだな。これくらい、主への愛ゆえに引けなくなった意地の張り合いみてえなもんだろ、可愛いもんじゃねえか。わざわざ風紀が出張ってまでして騒ぐことはねえんだよ。てめえらがしゃしゃり出て来なけりゃ今頃、俺が華麗にこの場を治めてたぜ」
「ボケっと突っ立って眺めてるだけだったじゃねーかよ、バ会長閣下は。それに、結成されないじゃなくて、出来ない、の間違いだろうが。中立公正が原則の風紀には、親衛隊結成禁止の暗黙の了解があるんだからよ。それさえなけりゃ、てめえに負けねえ程度の取り巻きはできてただろうさ。
 それより各務、お前は生徒会長としての監督不行き届きの心配をしろや。再三の注意にも関わらずにこの事態…お前、ちゃんとトップとしての舵取りが出来てんのか? 会長として役員を率いることもままならねえなら、風紀が生徒会ごと綱紀粛正してやってもいいんだぜ。じゃじゃ馬ぞろいの役員もひっくるめて躾け治してやるよ」

 腕を組み、全てを見下したような冷笑を浮かべる篠原の言葉に、俺は顔をしかめた。

 桜坂学園では、生徒会は全生徒の代表として絶大な権力を握ると言われている。実際は、そこまで絶対的な力を持っているわけでもないのだが、生徒の自治を重んずる校風のもと、割と自由で広範な裁量権を有していることは事実だ。
 だが、生徒達の信任を得たからと言って、生徒会が何でもかんでも好き勝手にやっていいということではない。あくまで、全生徒の代表として権力を授けられたに過ぎないのだ。ゆえに、生徒会がその権限を逸脱した行いをしたり、職務怠慢といった機能不全に陥った場合、リコール…解職請求という最終手段が採られることになる。
 リコールが成立する条件は二つ……一つは全校生徒の半数以上の賛成、そして、もう一つが風紀委員による請求だ。つまり、風紀委員はそうしようと思えば、生徒会を潰すこともできるのだ。
 冷徹な眼差しを向けてくる篠原は、その力の存在を、今改めて俺にほのめかしているのだ。

「っ…大きなお世話だ! 大体、大袈裟なんだよ。よくあるガキの喧嘩を、さも大事のように喧しく咎め立てやがって。呼ばれもしねえのに、どっから湧いてきやがった!」

「俺が呼んできたんだよー」

 伝家の宝刀を持ち出されたことに動揺し、必要以上に篠原に噛みついてしまった俺に、横から間延びした声がかかる。

「三木本!」

 KY集団の中に見当たらないと思っていたら、わざわざ風紀委員を召喚しに行ってくれていたわけか。ったく、余計なことをしてくれやがって…

「いくら会長が気にしないって言ったってー、被害は被害でしょー。泣き寝入りなんて、犯人を助長するようなもんじゃないー。悪い子には、ちゃーんとお仕置きしてあげなきゃねー」

 そう言って三木本はいつものヘラヘラした笑みを浮かべるが、細められたその目には、剣呑な輝きが宿っている。どういうわけだか、かなり不機嫌な様子だ。さきほども俺が受けた嫌がらせに対して、妙な反応をしていたし…お前、そんなに正義感に溢れる男だったか? 何か悪いものでも食べたのか?



「さて、まだ諍いを続けようというつもりですか、二人とも? これ以上は、君達の主の体面を汚すことにもなりかねないと思いますが」

 出鼻を挫かれた形となって、不満そうな顔の桐嶋と小森に向き直り、相内がそう問いかける。NOという返答など受け入れる気はさらさらないという、威圧的な微笑みを浮かべて。

「…ちっ。仕方ない、今回は引いてやるよ」
「ふっ…命拾いしましたね」
「ふん、どっちがだか……いいか、手を引いたのは、お前ごときや風紀に恐れをなしたせいじゃない、織田様のためだ。僕ごときのために、織田様を煩わせるわけにはいかないからな」
「ええ。私だって各務様のために、あなたを完膚なきまでに叩きのめしたいという欲求を必死に抑えているんです。そうでなければ今頃は…」
「ははっ…つくづく口だけは達者なんだな」
「ふふふふふ…そちらこそ、弱い犬ほどよく吠えるということわざ、知らないなら教えてあげましょうか?」

 未だピリピリと肌を刺すような殺気を発しつつも、ようやく拳を収める気になったらしい桐嶋と小森に、安堵のため息を吐く。

 …もしかして、篠原が生徒会を脅すような発言をしたのは、親衛隊の最大の弱点である主人たちを盾にすることで、奴等の戦闘意欲を削ぐためか。俺は間抜けにもそれに気付けず、奴が望むとおりの役柄を演じてしまったわけだ。
 まんまと風紀の掌で転がされた情けなさに、俺は苦虫を噛み潰したような思いで篠原のドヤ顔を睨み返したのだった。


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