10

「っはー…生き返るー…」

 けぶる白い湯けむりに、ぴちゃんと滴るお湯の音。
 湯船にゆったりと足をのばし、温かいお湯に全身を浸した俺は、目を閉じて天を仰いだ。
 いい香りのする湯に包まれ筋肉が弛緩してゆく快感は、一日の疲れを忘れさせてくれる。

「この風呂のためだけでも、生徒会役員になった甲斐があるってもんだよな…」

 広々とした浴槽、ゆとりのある洗い場、喧騒とは無縁の静かな空間。
 大浴場の悲惨さとは無縁のこの場所は、生徒会役員専用の浴場だ。
 業務による疲れをゆっくり癒せるようにという名目で作られた、ささやかな役員特権の一つである。
 役員浴場は大浴場よりはもちろん狭いが、使用する人間が限られているため、ゆったり湯に浸かることができるのだ。
 寮には三つの大浴場があるが、混雑時のイモ洗いっぷりと言ったら、夏の湘南海岸もかくやという有様で、とても疲れをいやすどころではない。
 そういうわけで、俺はこの役員特権に大層感謝しながら、その恩恵に与っているのである。



「…誰か、いるのか?」

 至福のひと時を満喫していたところにそんな声がかかり、俺は目を開けた。
 馴染みのある、耳に心地よい低い声。

「織田か? 各務だ」
「各務…」

 湯気を透かして見える織田に、身を起こして向き直る。

「珍しいな、お前がこんな時間に来るなんて」

 俺が風呂を使うのは割と遅い時間帯であるため、これまで他の役員とかちあったことはなかったのだ。

「…練習試合が近いから、夜練してた」
「ああ、それで。確か、バスケ部だったよな?」
「ん…」

 小さくうなずくと、織田は洗い場に向かい頭を洗い始める。会話が途切れ、シャワーの音だけがやけに大きく浴室に響く。
 身体を流し終え浴槽に入ってきた織田に、俺は再び話しかけた。

「お前、背が高いからバスケ似合うよな。なあ、アレ出来るか、スラムダンク」
「スラムダンクっていうか…普通のダンクシュートなら、うん…」
「へえ、すげぇな。俺もタッパは平均以上だけど、ゲームじゃ決めらんねえんだよなー。ダンク、できたらかっけーよなー」
「試合だと、なかなか難しいから…」
「やっぱそういうもんか。いっぺんナマでダンク見てみたかったんだけどなぁ」
「…もし、暇だったら……見に来て、練習試合。来週の、土曜…」
「おう。特に予定もないし、応援しに行くわ」
「…ダンク…決められるように、頑張るから」
「ん、楽しみにしてるぜ」

 そう言って笑えば、織田も少し恥ずかしそうに、だが嬉しそうに微笑んだ。
 ふと、目線を湯の中にやった俺は、織田の身体のとある部分に釘付けになる。

「うわ、すっげ! 腹が六つに割れてる」
「!」

 綺麗に割れた腹筋にぺトリと掌で触れると、織田はギシリと音を立てて固まった。

「…各務だって、割れてる」
「お前に比べりゃ、こんなの割れてるうちに入んねーよ」

 両手のひらで形を確かめるように腹筋をなぞると、俺の手から逃れるように身をよじる。

「くすぐったい…」
「こら、逃げんな」
「や…」

 織田が身を引き、支えを失った俺の身体はバランスを崩し、顔から湯に突っ込みそうになる。

「うわ…!」
「あぶない…」

 すんでのところで織田の両腕に支えられ、難を逃れた俺は、礼を言おうと顔を上げて、息を飲んだ。
 呼吸をすれば、呼気が唇にかかってしまいそうなほどすぐそばに、織田の顔がある。

「各務…」

 織田に、腕を強く握りしめられる。

「各務…俺…」

 切なげな声で、織田が俺の名を呼ぶ。
 至近距離から熱っぽい眼差しで見つめられ、目が逸らせなくなる。
 おどおどと人の目線から逃げるように目を逸らしてばかりの織田に、こうまで真正面から見つめられるのは、これが初めてかもしれない。
 織田からの予想外の行動に驚かせられてか、俺の心臓は痛いほどに高鳴っていた。


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