10

「随分と待たせてくれたな、辰巳誠、南高彬」

 革張りのソファに身体を沈ませたまま、乾は傲然たる笑みを浮かべて俺達を迎え入れた。
 周りに従順な風紀委員たちを従えるその姿は、王のごとき威厳をまとっている。
 いや、実際に乾は王なのだ。生徒会長が学園の表の実力者ならば、風紀委員長は影の実力者。
 生徒会長を除いては、乾がどんなことをしようとも、止められるものはいないのだ。

「…それで、一体俺に何の用だ?」

 かつて学園で双璧をなしたのも、今は昔のこと。
 北斗に嬲られるだけの存在に成り下がった俺は、今一人の絶対的権力者に力なく問いかけた。

「ふん。聡いお前のことだ、とうに俺の目的は察してるもんだと思ってたがな」
「…買い被ってくれたものだな。俺が賢ければ、そもそもこんな事態には陥っていない」
「はっ、それもそうだな。じゃあ、改めて教えてやるよ、辰巳。俺はお前を引き裂いてやりたいんだってな」
「…っ…」

 半ば予想はできていたが、実際に言葉にされた現実に、喘ぐように息を呑む。
 北斗に加え、乾も俺の敵に回るのだ。学園の表の王と、影の王。その二人が、俺の敵対者となる…

 身体を固くする俺に、乾が顎をしゃくり、周囲の風紀委員達を指し示す。

「なあ、辰巳。こいつ等の顔に見覚えはねえか?」
「見覚え…?」

 言われて、俺は初めて周りを取り巻く風紀委員らの顔を見つめた。
 風紀委員は学年、クラスを問わず、腕っ節の確かさで選出される。
 俺と顔見知りのものもいれば、そうでないものもいる。見覚えと言われても、ピンとこない。
 不可解な気持ちのまま彼等の顔を見渡せば、いずれの顔も、深い憎しみを湛えて睨み返してくる。
 その感情の激しさに、俺は気圧されたように目を逸らした。
 俺が風紀委員を混乱させたことを思えば、彼等の憎しみも当然かもしれないが…それにしても、ここまで強く、俺を嫌悪してくるのは…

「あ…」

 俺の口から、小さな声が零れる。
 彼等の間に、一つの共通点があることに思い至ったのだ。

「ようやく思い出してくれたようだな。そうだ、こいつらはお前が首を切ろうとしていたメンバーだ」

 そう…俺が改革の一角として風紀委員の再編を図っていた時、攻撃的すぎるという理由で解任しようとしていた委員が、今この風紀委員室に集まっている彼等なのだ。

「こいつらはこいつらなりに、誇りを持って風紀委員の任についてたってのにな。生徒会役員と違って何のメリットも与えられない委員職だが、それでも腐らずに続けてこれたのは、自分達が学園の秩序を担ってるっていう自負があったからだ。それをお前は、一方的に切り捨てた。委員らの言葉を聞くことすらせずにな。何の権利があってそんなことが許されるんだよ、なあ?」

 嘲弄めいた響きの言葉に煽られるように、風紀委員らの顔がますます険しくなってゆく。
 高まってゆく俺への憎悪が、風紀委員室に満ち満ちる。
 敵の牙城に独り、俺は無力感に苛まれながら、ただ憎しみに満ちた眼差しを受け止めていた。

「だが、高慢さで目を眩ませた力量不足の生徒会長は、自らの足元を見失い、惨めに失墜した。かつての学園の王が、今じゃ北斗のペットで、自分の親衛隊員たちの愛玩具だ。いいザマだなあ?辰巳。正義気取りの独裁者どころか、空回りしただけの憐れな道化には、お似合いの末路だ。お前らもそう思うだろう?」

 クツクツと笑いながら、乾が周囲に同意を求める。

「とうに手垢塗れなのが残念だが、風紀と生徒会の間の、積年の恨みを晴らしてやるのにうってつけのお相手だ。好きなように踏みにじってやれ」

 そして、乾は非常な宣告を下した。凍てつきそうな、冷たい声と眼差しで。

 乾の命を受け、忠実な風紀委員たちが、俺を責め苛むために動き出す。

「待て」

 そのとき。一人の影が、俺を押しのけて前へ進み出た。今まで隣でジッと控えていた南だ。

「南…」
「このこと、北斗様は承知の上か?」

 俺をその背に庇いながら、南が乾を睨み据える。

「辰巳元会長への制裁は、北斗様の管理下で行われる。他の誰も手出し無用と、そう公布してあるはず。それは風紀委員とて例外ではないはずだ」

 語気鋭く責め立てる南に、乾は醒めた顔で嗤った。

「はは、お姫様を守るのに、虎の威を借るのかよ? 随分と情けのねえ王子様がいたもんだ……そう思わねえか?北斗」


「まったくもってその通りだな。今のはちょっとばかしかっこ悪いぜ、南君」


 隣室の仮眠室へと続く扉がゆっくりと開いてゆき、聖画の天使のごときその姿が次第に露わになってゆく。

「北斗…っ!」

 俺に代わり、学園の王へと成り代わったその人物の姿を認め、俺は凍りついた。

「どういうことです……これは、あなたも了承の上ということなんですか…?!」

 南が蒼白な顔で、北斗を問いただす。

「俺がここにいるってことは、つまりはそういうことだろうな」
「なぜ…! 辰巳への制裁は、俺達だけで下すという約束だったはずです!!」
「つまんなくなったからさ」

 北斗はごくあっさりとそう言って、肩をすくめる。

「辰巳さんもだいぶ慣れて、制裁としての効果も薄くなっちまったみたいだし。ここらで趣向を変えるのもいいだろう? ちょうど、俺と風紀の利害が一致したみたいだから、乾に手を貸してもらったんだよ」
「そんな…!」

北斗の返答に、南が絶句する。

「そういうこった。ご主人様の許可は出てるんだ、裏切り者の犬は、獲物が横取りされるのを、ヨダレを垂らして眺めてろよ」

 奥歯を噛み締める南を、乾がせせら笑う。

 そう、南は北斗には逆らえない。
 …誰も、俺を救ってはくれない。

「や…!」

 呆然と立ちすくむ俺の体に、風紀委員の手がかけられる。

「みな…」

 俺は、咄嗟に助けを求めて南の方を振り返る。風紀委員に掴まれた手を振り払い、南へと腕を伸ばす。
 そんなことをしても、無駄なのに。
 南は俺を裏切って、北斗に従ったのだから。助けを求めても、応えてはくれないのだ。
 …かつての親友は、戻ってはこないのだ。

 現実の残酷さと無慈悲さに、涙が溢れ、視界が滲み、南がどんな顔をしているのか見えなくなる。
 だが、その方が返ってよかったのかもしれない。俺を裏切るその姿を、目にせずとも済むのだから。


「止めろ!!」

 全てを諦めかけた俺の耳に、凛とした声が届いた。
 そして、力強い腕に抱きしめられる。

「辰巳に触れるな!!」

 涙に目が塞がれていても、わかる。俺は、この身体を、この腕を知っている。
 俺の心を囚えた、この腕の主は…

「南…」


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