窓から漏れ入る柔らかな午後の日差しに、南の横顔が照らし出される。
理知的な印象を与える眉、穏やかそうな二重の瞳、通った鼻梁、少しだけ肉厚な唇。
一年半、親友として付き合い続けてきたその顔、入学当初より僅かに大人びた他は、何も変わらないその顔を、俺はどこか眩しいもののように、目を細めて見つめた。
昨夜、その瞳は欲望を孕んで俺を見下ろし、唇は俺の唇を塞ぎ、この身体を昂らせるために使われた。親友という仮面を脱ぎ捨て、一匹の雄として、俺を雌として扱った南。それが、彼の本当の姿なのだろう。
けれど、こうやって共に歩いている今は…
「なにか?」
俺の視線に気付いたのか、南がそう問いかけてくる。
廊下を進む俺は、隣を歩く男の姿をちらりと横目で見やり、口を開いた。
「…四六時中、カルガモのヒナみたいについてこなくてもいい。お前だって暇じゃないだろう」
「念のためです。また、あんなことがないとも限りませんから」
若干の非難を込めた言葉を受け流し、南は俺の横を歩き続ける。
教室で男子生徒達から暴行を受けそうになったあの事件以来、南は片時も離れずに、傍で俺を守り続けていた。
「相変わらず、過保護で心配性だな…俺は三歳の子供じゃないんだぞ」
「あなたが年端もいかない子供なら、幼稚園に放り込めばことは済むんですけどね。けど実際は、あなたは高校生で、そうすることはできないのに、あちこちふらふら出歩いては妙な輩に目をつけられる。三歳児なんかよりずっと危なっかしいでしょう」
「この…!」
「おっと。図星でしたか?」
ムッとして思わず振りあげた俺の拳を受け止め、南が白い歯を見せて笑う。その無邪気な笑顔につられ、俺も思わず笑い返していた。
…こうしていると、まるで以前に戻ったかのような錯覚を覚える。
リコールも、制裁も、全てが悪い夢だったかのように。
ああ、あの頃に戻れたら…
何の屈託もなく、南と笑い合っていられた、あの頃に…
そうして、普通の男子校生のように戯れ合っていた俺達の前に、不意に、数人の生徒が立ちはだかった。
「辰巳誠、南高彬だな」
体格のよい生徒のその胸、校章の隣に燦然ときらめくのは、風紀委員の証である金色の翼のバッジ。
「…風紀委員が、何の用だ」
「委員長がお呼びだ。風紀委員室まで同行してもらおう」
「乾、が…?」
先日、生徒会室で乾が俺に見せた敵愾心を思いだし、身体が強張る。
乾が何を考えているかは知れないが、その目的が俺に有益なものであるはずがない。
「…断ると言ったら?」
「力尽くで連行するまでのことだ。我々にはその権限が与えられている」
南の言葉に、風紀委員たちがじわりと包囲の輪を狭めてくる。
抵抗すれば、彼等は暴力を行使してでも命令を実行しようとするだろう。風紀委員達は乾にそう躾けられているのだ。
南はそれでも俺を守ろうとするかもしれないが、多勢に無勢で敵うわけもない。
無駄に怪我を負わせるくらいならば、最初から抗わずに受け入れた方がましだ。俺は肩を落とし、彼等の要求を受け入れることを決めた。
「…分かった、行こう。けれど、乾の目的は俺一人だけだろう。南は関係ない、解放してやってくれ」
「いいえ、俺も行きます。あなたを一人になんてさせられない」
「南…だけど…」
「どっちみち、委員長は二人共をお召しだ。望もうが望むまいが、南高彬にも同行してもらう」
南を巻きこむことに躊躇う俺に、風紀委員が告げた事実に目を見張る。
「な! どうして、南まで…」
「我々には委員長の目的までは教えられていない。ただ貴様達を連れて来いと命令されたまでだ。同道を了承したならば、さっさとついて来い」
そうして俺達は、風紀委員に取り囲まれ、風紀委員長室に向かい進み始めた。
…怖い。
乾が俺に対して抱いている憎悪は、俺が思っていたよりもずっと根深く、ずっと苛烈なものだった。
そんな感情を向けてくる相手のもとへと赴いて、果たして何が待っているというのか。
震える手を隠すため、ぎゅっと拳を握りしめると、南がその上から手を重ねてきた。
顔を上げると、真摯な眼差しで南が俺を見つめていた。
「大丈夫、俺がいます」
「南…」
「絶対に、風紀委員などにあなたを傷付けさせません」
「…ありがとう」
気休めに過ぎないとしても、どこまでも俺の力になろうとしてくれる南の気持ちが、俺は嬉しかった。喪ったはずの親友が、帰ってきたようで。
風紀委員室までの僅かな道のりを、俺は恐怖と絶望と、少しだけの幸福感を抱き、歩いていった。