北斗から解放された俺は、重い足取りで教室へと向かった。
授業を受けていられるような気分では到底なかったが、普段通りの生活を守り抜くことだけが、北斗へのせめてもの抵抗なのだ。弱弱しい姿は、俺の矜持にかけて見せられない。
鬱屈した思いで教室の扉を開ければ、クラスメイトの視線が一斉に突き刺さる。
憔悴しきった様子の俺に不躾な眼差しを向けてくるものの、話しかけようとする者は誰もいない。
生徒会長の位をリコールされ、北斗の敵と認識されて以降、俺は触れてはならない存在として扱われているのだ。
俺に与する者はすなわち、北斗への敵対者とみなされる。北斗を敵に回してまで俺を庇いたい人間など、いないということなのだろう。
リコールが成立した時から半ば覚悟はしていたが、生徒会長としての賞賛と憧憬に満ちた輝かしい舞台から、一般生徒以下の、空気にも劣る存在への転落は、何よりも耐えがたい屈辱を俺に与えていた。
クラスメイトからの白い目に耐えたどり着いた自分の机に、俺は崩れるように座り込む。
一限目の体育の授業に備え、皆は体育着に着替えているが、俺はまだそうすることができず、意味もなく窓の外を眺めていた。
俺の身体には連日の凌辱の痕がくっきりと残ってしまっている。落ちぶれたとはいえ、こんな姿を衆目に晒したくはないのだ。
級友等が着替え終えて教室を後にし、一人になったところを見計らって制服を脱ぐ。
体育着に手を伸ばしたその時、慌ただしい足音と一緒に、二人の生徒が教室に飛び込んできた。
「やっべ、俺等すっげー遅刻だろコレ! 着替えてグラウンドとか、絶対ぇ間に合わねえって!」
「もういいからサボんねー? 一限から体育とか、ちょーかったるいし」
賑やかに教室に入ってきた二人は上半身裸の俺を認め、一瞬目を見開くが、すぐさまヒューと口笛を吹き、下卑た笑いを浮かべてきた。
「すっげー。愛されまくりじゃん、元会長様」
彼等がじろじろと見つめているのは、俺の裸の胸に幾つもつけられたキスマークだ。
「俺等には散々厳しくしておいて、自分はちゃっかり愉しんでたんだ?」
「ずりぃよなー。元会長さんが取り締まってくれたおかげで、俺等ずーっと欲求不満だったんだぜー?」
「そーそー。お詫びにさ、俺等も相手してくれよ」
二人にそれぞれ腕を掴まれ、身動きが取れなくなる。
「や…っ」
「最近、すっげーエロいよな、あんた」
「誰に開発されたの? フェロモン垂れ流しまくりじゃん」
「ふざけるな! 止めろ、放せっ!!」
腕を振り払おうとする俺を無視して、彼等は肌へと手を伸ばしてくる。
「やー、まさか会長さんを相手にできる日が来るとはねぇ」
「親衛隊の奴等がうぜぇくらいにがっちりガードしてたもんな。まさに高嶺の花って感じで、手出しできそうになかったもんな」
「そういう意味じゃ、リコール万歳だな」
笑いながら、二人は俺を机の上に押し倒す。
「あんたも馬鹿だよなぁ。歴代の会長みたいにただのお飾りでいりゃあよかったのに。妙なやる気を出すからリコールなんかに持ちこまれるんだよ」
「学園を改革するとか得意げに言ってたけどさ。んなこと、誰も頼んでねーっつの。親衛隊とか風紀がどうなろうが知ったことじゃねーけど、校内でのセックス禁止とかぁ、タバコの禁止とかも、ちょー迷惑だったし」
「っ…学生なら、当然のことだろう!」
のしかかる男子生徒に、俺は怒鳴り返す。
「何で? これくらいみんなやってるっしょ。イチイチ取り立ててたらきりねーじゃん」
「あんたは潔癖過ぎんだよ。どんな理想に燃えてんだか知らねえけど、俺等にまであんたの幻想を押し付けねえでくれねえ? うぜぇんだよ、偽善者」
吐き捨てられるように言われた言葉に、胸が、つまった。
「お、俺は…」
北斗だけではない。生徒会役員だけでもない。親衛隊員等だけでも、風紀委員だけでもない。
一般の生徒達からも、俺は疎まれてしまっているのだ。
ただ学園のために、よかれと思ってしたことが、誰の心にも届かなかったなんて。
胸を塞ぐ想いが、涙となって俺の目から溢れだす。
「やべ…泣き顔マジくる…」
二人がごくりと喉を鳴らし、俺のズボンが下着ごと取りはらわれる。
もう抵抗する気もなれず、されるがままになろうとした瞬間、涼やかな声が教室に響いた。
「放せ」
涙で滲む目を開けば、南が大股で歩いてくる姿が見える。
「何だよ、南か…」
「何の権利があって命令してくれちゃってんの? 会長様の親衛隊は解散させられたんだろ?」
南は冷ややかな目を向ける二人の生徒から俺を取り戻し、裸の肩に制服を着せかけた。
「俺は北斗会長の命令で、辰巳様をお守りしている」
「は? 何で北斗様が…」
「辰巳様の今後の処遇を決定するのは北斗会長だ。それまで、何人も辰巳様に触れることは許さないとのお達しだ」
「じゃ、この痕は誰がつけたんだよ」
「そうするよう、命じられた人間だ」
「それも北斗様にかよ」
「ちぇ、北斗様にはさすがに逆らえねーしな。しゃーねえか」
南の説明に二人は気が抜けたという雰囲気になり、そのままぶらりと教室を出て行った。
「…どうして、俺が…」
めまいを感じてよろめいた俺を、南がとっさに支えてくれる。
「辰巳様!」
「…なあ、南…教えてくれ。俺はそんなにも、駄目な人間だったか…? 生徒会長として、無能な存在だったのか?!」
南の胸にすがりつき、俺は尋ねた。
「俺はただ、この学園をよりよい場所にしたいだけだったんだ!! それだけだったのに…!! 俺は…俺のやったことは、全部間違いだったのか…?!」
「…あなたは間違っていません、辰巳様」
俺の背をぐっと抱き締め、南がそう、言ってくれる。
「間違っているのはこの学園です。あなたは何も、悪くない」
「…っ…!」
誰もが俺を拒絶したのに、南だけが俺を肯定してくれる。
俺を裏切った、かつての親友が。
自分でも判別がつかない様々な感情に翻弄され、俺は南の腕の中で嗚咽を漏らし続けた。