「周(あまね)君! また浮気したでしょ!!」


 唇を離した瞬間、小作りな口から発せられた怒声に、俺はぱちくり目を瞬かせた。
 授業を終えて部屋に戻り、キスを交わした途端。
 可愛い俺の彼氏が、愛らしい頬を真ん丸に膨らませて怒りだしたのだ。

「何だよ、突然。浮気なんかしねてえって。なんか勘違いしてねえか、桂月(かづき)?」
「うそ! だってシャンプーの香りが違うもん! いつもはマリン系の香りの使ってるのに、これ、フローラルじゃない!
 別の部屋でシャワーを浴びるような『何か』をしたってことだよね?」

 何てことだ、不覚だった。シャンプーの匂いなんて、気にかけたこともなかったのに。
 俺の髪に鼻を埋め、すんすんと匂いをかぐ桂月の姿は可愛いが、ここで罪を認めてしまえば俺は破滅だ。
 この学園で、大手を振って歩くことができなくなってしまう。


 容姿と家柄、それよりは少し劣って学力や運動能力が、とにかくこの学園では重視される。
 これらの要素に秀でた者は、学園の有力者として、そうでないものを従えることが許されるのだ。

 俺はルックスこそまあ良かったものの、家柄はないも同然の一般家庭の出だし、学力は下から数えた方が早い。運動能力はまあそこそこと言った、ランクで言えば上の下といった立場だった。

 けして悪くはないのだが、特筆するほどよくもない。
 そんな微妙な地位にあった俺だったが、ある時突然、特上に近いランクにまで登り詰めることとなった。


 桂月が俺を、恋人として選んでくれたのだ。


 名立たる財閥の一族であり、生徒会庶務でもある桂月。
 可憐な容姿と学園でも五指に入る威勢を誇る桂月のパートナーとなったことで、俺の地位もそれに相応しいよう引き上げられたのだ。

 そうなると、人とは現金なもので、俺を通して桂月に近付こうという魂胆だろう、今まで俺に見向きもしなかったような輩が次々とすり寄ってくるようになった。
 友人面の者、おべっか使いの者、下僕志願の者…そして、俺を誘惑しようと目論むもの。

 うざったい野郎共は適当にあしらっていられたが、可愛い男の子に迫られれば、ぐらっときてしまうのも、仕方がないというものだ。男の子だもの。
 俺はつい誘惑に負け、甘い花の蜜を味わってしまった。だって男の子だもの。

 だがしかし、ここで浮気を認めるわけにはいかない。
 桂月の恋人という肩書を失えば、俺の地位は一気に失墜し、学園の人気者のプライドを傷つけたことで、制裁の嵐に見舞われることだろう。下手をすれば、全校生徒を敵に回すかもしれない。
 …そういうわけで、絶対に、認めるわけにはいかないのだ。


 俺は大して良くもない頭で、言い訳をひねり出そうと必死に足掻いた。

「そ、そーだっけー? ほら、シャンプーの残りが少なくなったから、隣の部屋に借りたんだって」
「はい、うそ!! シャンプーのストックならあと二本分あります!
 周君がいい匂いだなって言うから、いつでも不自由なく使えるよう、僕が揃えたんだよ」
「あ、う…」

 早くも俺は、ネタに尽きた。

「ごめん! ほんっとごめん!! もう二度と浮気なんてしないから! 本気で好きなのは桂月だけだって」

 本命は牛丼でも、たまには天丼やカツ丼が食べたくなる。
 浮気とはそういうもので、男とはそういう生き物なのだ。

「…前も、その前の時もそう言ったよね」
「えー? そうだっけー?」

 こうなれば、許してくれるまでしらばっくれるしかない。

「仏の顔も三度までって言葉、知ってる?」

 桂月はおもむろに懐から、小さなボトルのようなものを取りだす。
 それを顔に、シュ…と吹きかけられた。

「桂月…?」

 香水のような霧を吸い込んだ、俺の身体はぐらりと揺れた。
 頭が次第にぼんやりとしてきて、手足にも力が入らない。

「な、に…」
「君が悪いんだからね、周君」

 頬を撫でる桂月の掌を感じながら、俺は意識を失った。



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