「俺から言わせてもらえば、馬鹿なのはお前の方だ、朝霞。何度、同じことを繰り返すか? 答えはお前が一番よく知っているだろう。いつまで?……それは、お前が観念するまでだ」

 分かっている。分かっているんだ。ただ、認めたくないだけで。

 俺は、望月からの連絡を、心待ちにしていた。
 望月の乱れた姿を目にすることを、待ち望んでいた。
 束の間のささやかなやりとりを、楽しみに思っていた。
 それは一体、何故なのか…?

「他の奴等には通じるのに、どうしてお前には駄目なんだろうな……あの程度じゃ刺激が足りないか? もっと先までいかなければ煽られないか? だったら次は、最後まで…」
「止めろ!!」

 思い詰めた口調に望月の本気を感じ取り、俺はその両肩を掴み叫んだ。かなりの力でそうしたにも関わらず、怯まぬ望月が、懇願するような眼差しで見つめ返してくる。

「だったら言って聞かせろ!! どうすればお前はそのお固い道徳観念を捨てられる?! どうして俺にその手を伸ばそうとしない?! 今まで抗えた奴なんていなかったのに…どうして、お前だけは!!」
「そんなの…傷つけたくねえからだろうが!!」

 守りたいのだ。傷付けたくない。この、美しくも儚い存在を。
 彼を害する全ての存在から、守ってやりたい。例えその相手が俺自身であろうとも。
 だから、俺は…

「傷をつけてくれ」

 縋りつく望月が、黒目がちな瞳を潤ませ、そう…囁く。

「誰の目から見ても一目で分かるほどに。俺は、お前のものなんだという、証をつけてくれ」
「望月…?」

 透明な膜を張った瞳から一筋の水滴が頬を伝い、望月の肩に置かれた俺の手の上に零れ落ちた。
 その雫の熱さに、熱に浮かされていた俺の頭は瞬時にして冷えた。

「一体…何が、あった?」
「…夕霧に…あいつのものになれと言われた」
「なっ…!」

 その口から零れ出た名前に俺は目を見張る。

 夕霧通仁。役員選で望月に敗れ、生徒会副会長に就任した、学園のナンバー2。
 一般出身の望月とは違い、財閥系一族の出自を持つ、正真正銘の血統書付きエリートだ。
 その夕霧が、望月を望んでいる…?

「…役員選で、俺の支持があいつを上回ったことが気に入らないそうだ。だから、その不名誉を挽回するために、俺が夕影の『女』になるのなら…俺があいつにひれ伏すのであればよし、だが、逆らうのであれば…全力で、俺を潰すと」

 顔を伏せた望月の、自嘲のように歪められた唇だけが目に入る。

「生徒会長になったところで…俺は、結局…自由になんかなれない。昔と何も変わらない。負け犬のまま」
「望月…だから、お前は何度も、あんな…」

 俺に、助けを求めていたのか…あんな、不器用な、回りくどい方法で。言葉に出せない想いを、俺がほんの戯れで申し出た、あんな古い約束に…機会を介してしか繋がれない、ささやかな呼びかけに乗せて。

 …この学園で、夕霧に比肩しうる勢力を有する人間は、風紀委員長たる俺のみだ。俺だけが、夕霧に対抗し、望月を手に入れる力を持っているのだ。

 夕霧か、それとも俺か。
 …『雌』として喰らわれるのならば、どちらがましか。

 二者択一を迫られた望月は、その身に抱え込んだもの全てを守るために、俺を選ばざるを得なかったのだろう。生徒会長のしての権威…一般出の身での栄誉に対しての誇り…そして、被食者としてではなく、一人の人間としてこの学園で生き抜いてゆく、その自由を守るために。

「…そう、俺はお前に賭けてたんだ、朝霞。夕霧からの提案には、ご丁寧にも一カ月の回答期限が付けられてた。だから俺は、その間にお前を誘うことにした。お前が誘惑に負けて俺に手を出したら、そん時は責任を取ってもらおうってな。けど、お前はとうとう期限当日の今日まで俺に手を出さなかった。鉄壁の自制心だったな。賭けは俺の負けだ、朝霞」

 俺の胸をトン…と突き飛ばし、望月が俺の腕の中から放たれる。

「…今まで、すまなかったな。俺の事情に巻き込んだ。お前には昔の調子で甘えちまったが、あんな約束はもう反故にしてくれていい。お前はもう、気まぐれの申し出に囚われる必要はないんだ。俺の電話にも、もう出る必要なんてない」
「望月」
「番号、消してくれ。二度と、お前にはかけない」

 くしゃくしゃになっていた制服のズボンのポケットから携帯電話を取り出して、望月はそれを俺に差し出した。

 掌に収まるほどの小さな機械。俺と望月は、もうどれだけの間、これを通して繋がりあってきたことだろう。こんなものを介さなければ、口実を設けなければ、俺達は共にあることすらままならなかったのだ。
 今、目の前にある携帯電話から俺の番号のメモリーを消してしまえば…俺達はもうこれ以上…互いのために足掻くこともできなくなる。

 今日、俺が望月に触れなかったことで、望月の中での答えは決した。夕霧に、屈するのだと、そう決めたのだ。望月は、そうすでに割り切っている。だから、俺に番号の削除を求めたのだ。

 望月は、そう望んでいる。
 だが俺は、望月の決心に賛同すべきか答えを出せずにいた。
 望月のことを想うのならば、俺が望月の『雄』となり、夕霧からあいつを守ってやった方がいいのではないか。そう思う。だが一方で、それは望月を思いやる振りで、自分の欲望を遂げようとする卑劣な行為ではないのかとも思うのだ。自分の劣情を正当化する口実を得て、望月の惨状を喜んでいるのではないか、と。
 望月は、誰にもその身も心をも犯されるべきではないのだ。純真で無垢な瞳を曇らせるべきではない。
 …愛してもいない人間に、身を委ねる必要など、どこにも、ない…

 逡巡する俺の手を取り、望月が携帯電話を押し付ける。

「…あいつのものになれば、もう俺は他の輩からは狙われることはないだろう。お前に助けを求める必要もなくなる。だが、俺は…」

 そのまま重ねられた掌に、ぎゅっと強く握りしめられる。整った顔がくしゃくしゃに歪み、再び大粒の涙が滑らかな頬を滑り落ちた。

「ずっと…初めて出会った時から……ずっと、お前が…」

 嗚咽混じりのか細い言葉が、呆然と立ちすくむ俺の耳に届いたその時。
 俺は、重ねられた手とは逆の手で、強く、望月の身体をかき抱いていた。


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