13

「さあ、教室に行きましょうか、日向。じきにホームルームの時間です」

 静寂に支配され、誰もが時が止まったかのように硬直していた中、和泉が俺にそう言って歩き出した。

「お、おい…和泉…」

 あの場を収拾することなく立ち去ってしまっていいのだろうかと、戸惑いがちに呼びかけるが、和泉は立ち止まることなく校舎の中へと入ってしまう。

「なあ、おい…和泉!」

 仕方なく俺もその背を追うが、和泉は無言で廊下を歩き続け、俺の呼びかけにも振り返ろうとしない。
 そうして人気のない一角に差し掛かった途端、和泉はよろめいたかのように壁に手をつき、もたれかかった。

「和泉?! どうしたんだよ?!」

 驚いて和泉の身体を支えようとしたが、よく見ると、その肩がプルプルと小刻みに震えている。小さく吐息が零れる音もして…
 もしかして…笑って、いる…?

「和泉…?」

 俺が怪訝な声で名を呼んだ瞬間、和泉は身体を二つ折りにし、盛大な笑い声を上げた。

「あはははは、もう駄目、我慢できない!! くくくく…あっははははは!!」
「い、和泉…?」
「ああ、面白かった…!!」

 呆気にとられる俺に、笑い過ぎて目に溜まった涙を拭いながら、和泉が悪戯っぽく笑いかける。

「みんなの顔、見た?」
「…王子様の豹変に、畏れ慄いてたな」
「ははっ、特に風紀委員長の顔、サイコーだったよね。ぽかんと大きな口開けて、鬼の風紀委員長の威厳も形無しになっちゃってたね。本当に、愉快ったらないよ」
「そっちこそいいのかよ、品行方正な副会長様があんなことして。和泉のイメージが崩れまくりだろ!」
「いいんだよ、すっきりした。もっと早くにこうしておけばよかったな。日向が俺のものだって、みんなに牽制しておけば」
「…俺が人前でキスした時は、怒ってたくせによ」

 手酷く拒絶された時のことを思い出し、俺は半眼になって和泉を睨んだ。
 …今だからこそ笑い事にできるが、泣くほどショックだったんだぞ。

「怒ってはないよ…まあ、別の意味ではムカついてたけどね。あんなとこでキスするなんて、信じられないよ」
「やっぱり怒ってたんじゃねーか!」
「だって、勃っちゃうじゃないか。あんな風にキスされて、触られたら。品行方正な副会長様が、人前で君に襲いかかるなんてできないだろ? あの時は本当に焦ったよ」
「えっ…」

 そ、そんな理由で…?
 嫌われたかと思って沈み込んでいた自分が、馬鹿のようだ。まあ、和泉を傷付けたわけではなかったのならよかった。俺の行動基準は万事和泉だ。和泉さえよければすべてよし、それでいいではないか?

「それに、君が俺に言ったんじゃない。信じられないのなら、全校生徒の前で愛でも叫ぶか?って。そうさせてもらっただけだよ」
「う。お、覚えてたのか…」

 照れくさい告白の台詞を持ち出され、羞恥に頬が熱くなる。

「君からの告白、忘れるはずないだろ」
「だからって、あそこまでしなくたって…副会長様の頭がおかしくなったと思われたらどうすんだ」
「君があんまり馬鹿なことばかりするから、俺も染まったんだって思ってくれるよ」
「…俺は、誰からどう思われようが構わねえが……お前の評判が落ちるのは、嫌なんだよ」
「あー、もう。かわいいなあ」

 俯いてもしょもしょと抗議していたら、和泉にぎゅっと抱きしめられた。

「馬鹿だけどかわいいよ、日向。いや、馬鹿だからこそ可愛いのかな。どっちでもいいか。馬鹿な君が、俺は好きなんだから」
「また、馬鹿馬鹿って…」

 和泉とこうして共にいられる幸福感に、笑み崩れながら抱きしめ返す。

 一時はもう、駄目かと思った。俺が短慮で和泉を傷付けたせいで、もう二度とこうやって一緒にいられなくなるかと思った。笑いかけても、叱り飛ばしてもくれなくなるかと、絶望すら覚えた。

 だが、和泉は寛い心で愚かなる俺を許し、俺の元へと戻ってきてくれ、こうやって俺の腕の中に収まってくれている。
 この幸せを、二度と手放したくはない。

「日向。俺を馬鹿にした責任、とってくれるよね?」

 俺の腕の中で微笑む和泉への、いとおしさが募ってゆく。
 もう、和泉なしでは生きていけない。

「ああ、もちろんだ! 共に白髪の生えるまで、お前を愛して守り抜く!! だから、俺と結婚してくれ、和泉!!」

 勢い余って口から飛び出したプロポーズに、目をぱちくりさせて、和泉は俺を見つめ返した。

「…今の日本の法律だと、男同士じゃ結婚できないけど…」
「近いうち必ず、政治家に金を握らせて法案を通してやる! 子供は優秀な女の卵子提供を受けて、人工授精で作ろうな! 和泉の子と俺の子と、最低でも二人は欲しいな! ああ、お前似の子共なら、さぞかし可愛いんだろうなあ。俺達の子供だからって、手を出さない自信はないぜ」
「君の子供だったら、さぞかし魅力的な馬鹿に育つんだろうね。僕がしっかり躾けてあげないと、うるさい虫達にまとわりつかれて大変なことになりそうだ」

 呆れられるか一笑に付されるかと思っていたのに、和泉は楽しげに、俺の壮大な夢想に付き合ってくれる。
 ああ、もう本当に、一生和泉を手放せそうにない…

「愛してるぜ、和泉」

 囁いて軽く口付ければ、にっこり笑って和泉もキスを返してくる。

「俺も愛してるよ、日向」

 触れ合うだけだった口付けは次第に深くなり、予鈴が鳴るまでずっと、角度を変えては続けられた。
 おかげで俺の股間は大変なことになり、和泉も負けず劣らず元気になってしまって、処理のため、結局ホームルームに間に合わなかったことは、公然の秘密となってしまったのであった。


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